049夜中に犬に起こった奇妙な事件

#049「夜中に犬に起こった奇妙な事件」

親だからって子供の全てを受け容れられる訳では無いし、親だからこそ、子供にとってベストな存在になれなかったりする。そのことに、親であるから猛烈に苦しむ。家族って本当に、難儀だ。
個人的には、そういうどうにもならない苦しさを抱えることもあり得るはずの家族が、世の中では妙に美しく眩しい存在で、家族=愛でなければいけない。というプレッシャーが、歪な形になってしまった家族を更に追い詰めてしまう気がして。家族に起こった事件を、ことさら「家族なのにどうして」と言ってしまうこと(言いたくなる気持ちは分かるけれど)に、とても違和感がある。

主人公は自閉症の少年で、父親と二人暮らしをしている。母親は最近亡くなったと伝えられているのだけれど、実際は家を出て行ってしまっていて、父親はそれを少年に隠している。ある日、家の中で少年は母からの手紙を見付け、一人で会いに出かける。
自閉症の彼にとって、外の世界がどれだけ混乱したものであるのかを、デジタル的な演出や音響で観客に体験させる。目や耳に入る情報の全てが洪水の様で、認識したり、理解したりするところまで及ばない。
プロジェクションマッピングや映像表現を利用した演出は、近年増えているだろうと思っていたけれど、それがむしろ、俳優の身体的な演技を際立たせているのがとても面白かった。

彼は、人に触られることが一切駄目なのだけれど、スキンシップって、大切なコミュニケーションなんだなと。特に、子供と親の関係で触ることを拒否された母親は、その都度傷つくだろうし、自信を持てなくなるだろうと思う。親だから。
そう言えば、私は親との関係が良好ではないまま大人になったけれど、スキンシップって全くない家だったなと思う。外出時に手は繋がれていたけれど。小学生くらいの時に、抱きしめられるってどういう感じだろうと思っていた。のを、今思い出した。

で、彼には理解のある先生が居て、彼女の存在が彼を導いているのがとても皮肉。彼に出来ることと出来ない事を理解していて、今必要なものを選んで、出来ない事を切り捨てることも出来る。彼女は親じゃないから。

凄く良いと思ったのは、彼と父親の信頼関係の回復について。
母親は死んだと伝えていたことやその他の色々な理由で、主人公は父親はもう信じられないと主張し、母と暮らそうとする。でも、母親も息子を置いて出て行くような人なので、結局生活していけなくなる。
父親が息子にもう一度信じて欲しいと話すのだけれど、
「今日は、5分だけ信じて一緒に居て欲しい。明日は6分信じてくれないか?」と言うわけです。
私は、人を信じるってどういうことかと途方に暮れていたところで、何と言うか、胸が一杯になった。

周りを信じろとか、もっと信じて。とか昔から良く言われていて、その都度私なりには信じているつもりなんだけど。と思いつつ、手放しで信じてはいない自覚もあるし、とは言え、信じるって頼まれて出来るものでも無かろう。と、結構困っていて。
でも、彼の父親の言う様に、5分間目の前のその人を信じることは出来そうで、そうやって論理的に信頼を積んでいっても良いのだと言うことに、凄く救われたのです。

信頼は一朝一夕で築かれるものでもないけれど、時間が経てば、ばばんと建つわけでも無いので、そこは前向きにこつこつ積むしかなくて、「今、貴方のことは30分くらいなら信じられる」というグレーな時期があっても良いのだ。

終わり方が良かったな(結局ここが重要か)。
想像と違った前向きなエンターテインメントとして締めてくれて、演劇体験として、楽しかった。