018それでも夜は明ける

#018「それでも夜は明ける」

人間の価値ってどこにあるんだろう。と、頭の中がぐらぐらした。

アメリカ南部では、それは酷い奴隷制度があって、差別があって、という事は教科書や知識としては知っていたはずなのに、映画の中で、本当に奴隷を家畜の様に扱う白人が出てきて、信じられないけれどそういう価値感だったんだと衝撃を受けた。
自分が買った人は、所有物で、労働の為に存在していて、どう扱っても構わない。働かせる為に、殴ったり吊したり、恐怖を与えて従わせる。割と普通に。
白人の中にも割とまともなオーナー(もうこの言い方が酷いけど)も居て、でも、その人も奴隷を資産と思っている。割と普通に。
奴隷ということがどういうことか。の描写にいちいちえぐられる。人間て何だろう。と、思う。環境がそうであれば、何でも受け容れるの?
人を裸にして並べて、健康ですよ。力持ちですよ。値段は幾らですよ。

主人公は、拉致されて奴隷の中に居るから出ようとするんだけれど、産まれながらに奴隷の人が大半で、自由も無く、労働するだけの毎日で、そのまま何十年も過ごして一生を終える人も沢山居る。
人の価値ってなんだろう。何を成し遂げたとか、どこに所属しているとか、おしゃれな容姿とか、凄い才能があるとか、幸せそうな家族写真とか。外側に貼り付けているものが価値なのだとしたら、選択肢も無くてただ叩かれたり売られたりしながら、何十年も労働していた人達には価値が無いことになってしまうじゃないか。

人の価値って、感じられることなのでは。感じて、気付けることなのでは。と、思った。行動を起こせるかどうか、その行動が功績を産むかかどうかは価値ではなくて。
人って本当に気付けない。おかしいことを、おかしいって明確に自覚出来なかったり、危ないことをぼんやりではなくて、危機として知覚出来ない。
無自覚に、知らない間に、どこまででも行ってしまう。

映画を観ていて、奴隷として働いている人はその全てを自分のことの様に感じていただろうな。と思う。自分が殴られなくても、亡くなったのが自分でなくても、その人を救えなくても、自分の痛みとして全てを感じていただろうと思う。
白人の人達が、大きな屋敷に住んで綺麗な恰好をして、奴隷を殴っていることが、もの凄く滑稽な、無様な姿に見えた。