![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/3229320/rectangle_large_f2b2547b9fa77c5238a3e259014f5d4d.jpg?width=1200)
#050「FAKE」
真実がどうであるのか、は、観た人が想像するしかないし、きっと佐村河内さんの中にも、新垣さんの中にも各々の真実と嘘がある。
だからと言って、彼らを晒して叩く必要は全く無いし、そもそも佐村河内氏の生い立ちと音楽に感動して裏切られたと感じた人以外にとって、何がそんなに事件だったのかは良く分からない。
まず、新垣さんのことを考えると、25歳から18年間、名前の出せない仕事をしていて、このままずっとこうなのかという絶望は想像できる。だけれど、それを打開するために「週刊誌にリーク」というのは最初の選択肢ではきっと無くて、それなりに色々な、本当に二人の間で色々なことがあってのことなんだろうと思う。
佐村河内氏の嘘も、新垣氏の真実も、どちらも100%のものではなくて、映画の中の映像でも整合性の取れない細かな部分が多々ある。とは言え私の生活だって、映像で客観的に撮って見たら、不自然なことも色々あるんだろうなと思う。誰もそんなに意識的に生きていない。
(事件前のことは分からないけれど)事件後の佐村河内氏と妻の生活は、じっと時が過ぎるのを待つような薄暗い雰囲気で、映画は生活そのものを撮影しているので、なんとなくその家特有の空気を目撃して、居心地が悪い。
他人のプライバシーって、基本的に見たくない部分だと思う。
テレビで自分が面白おかしく取り上げられたり、間違った報道をされているのを、佐村河内氏は傷ついた様子で見る。取材やテレビの出演依頼などの来客にも、どう傷ついたかを訴える。
一つ一つには反応出来るのだけれど、この問題そのものからは、完全に目を反らしている様に見える。と言うか、とっくの昔に考えるのを辞めてしまって、都合の悪い部分は思考停止してやり過ごしてきただけなのでは。と、思う。
そこに、佐村河内氏の弱さや狡さみたいな部分を凄く感じた。妻は、騒ぎの後も一緒に居て、ひたすらに支えている人なのだけれど、感情や意思みたいなものが見えなくて、森監督に「一緒の船に乗ったから」と言うところが、感動的なはずなのに、なんだか怖かった。
宗教の中で、見たい物だけを見て、ひたすらに信じて突き進む教祖や幹部みたいな暗さと怖さと、似ている。と言ったら、失礼だろうか。
あの家の中は、嘘と本当が曖昧になって溶け合って、もう誰も何も分からなくなっているのかも知れないと思った。真実なんて誰も必要としていない。
要所々で佐村河内家の猫が映るのだけれど、ラストの大きな結末のところで、猫が驚いた様な顔でなんとも言えぬタイミングで抜かれていて、そこがハイライトなのか?猫の目だけが真実を知っている。という猫映画なのか?そうなの?森監督。