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*007 坩堝

今年になってから、過去にない程の不調に見舞われて、毎日毎秒をとにかく凌ぐという感覚だった。今までも、調子の悪さを自覚することはあったけれど、じわじわと身体的な苦痛に変換されていくまま、良くなっていく兆候も感じられず、毎日動悸がする程何をどれだけ考えても、一向に埒が明かない。
朝目が覚めた瞬間からとにかく辛い。気をつけていないと、電車の中だろうが店の中だろうがどこでも泣く。
夕方から家に居ること自体が苦痛になり、とにかく夜道を泣きながら徘徊する。コロナ禍の22時の街は、まるで深夜2時の空気なので、誰とすれ違うこともなく、放っておいてもらえたことは幸いだった。

◉ どこかに穴が開いているボートに乗っていて、毎日水を掻き出しているだけで精一杯みたいな気持ち。このままだと力尽きるのは分かっているけれど、原因が見つけられないし、こうしていたところで岸までは行けない。どこへ行きたい訳でもないのだけれど。

上記は、毎日大量に打ち込まれていたテキストの中の文章。
大概文章に起こして納得すれば、状況が悪くても飲み込めるつもりだったけれど、今回はそれがどうしてもうまく行かなくて、終わりが見えなさ過ぎて、本当に途方に暮れていた。なんでも良いから誰か助けてくれと、念仏の様に唱えていた。

◉ 脳内物質のバランスがイカれているのだとしたら、もはや薬に頼りたい。宗教でも良い。とてもではないが、こんなまま生活し続けるのは無理だ。

◉ しかしながら、人の痛みみたいなものを知ることが出来たことは良かった。これまで、とてもとてもクリアな思考の中に居られたのだと分かる。まだそこに戻る方法を考えているし、こんな混乱と混沌の中に居たくないし、多分、出られなかったら死んでしまうけど。
どうやって出たら良いか真剣に考えてみる必要がある。誤魔化していても一向に埒が開かないし、此処に居てもとにかく苦しいから。苦しくない場所を探していたけれど、一時的な避難にはなっても離脱症状が大きいし、日々の流れが全然変わらなくて、とにかく辛さが1mmも減らない。

不調の切っ掛けに、何があったと言える様な大きな問題は起こっていなかった(まだ)。この(まだ)が複数積み重なったことで、私はショートしたのだと今は思っている。
ひとつ一つは、そんなことで?と自分で思う様な瑣末なことだ。ただ、私は保留状態に極端に弱い。状況の良し悪しと関係なく、それが今どういう状況にあるのか分からず、且つその対象に自分が全く関与出来ない場合、堪え難いと感じる。
それをどうやって克服したら良いのかは、今も分からないけれど。

のたうち回った挙げ句、明確な理由も無く僅かに浮上した。
敢えて思い当たるところがあるとすれば、洒落にならない様な突飛な問題が更に降ってきたこと。ギャグなのかな?と思う様な事態に、じゃあもう良いや。と思った。もう笑うしかないな。と。そうしたら、やっと人に話せた。

これはこれでただの躁状態なのかもと疑っている。状況は別に何も変わっていないので、またあの渦に突き落とされるのではとびびっている。
一つ言えることは、視点を無理矢理移動されるということは、めちゃくちゃ有効だ。そして、その機会を得ることはとても難しい。殆ど運だし。
歳をとると、常態の自分を上手く運営出来ている様な気になって、そこから離脱する方法を見失ったりする。みたいだ。

毎日を生きてさえいれば、少しくらい誰かに迷惑を掛けたり、心配を掛けたりしても良いのかも。何であっても、依存は対象を壊しかねないけれど、おやつみたいにちょっとずつ何かや誰かを頼る事は、決して悪いことではない。
ただいま、おかえり。