*018 世界を認識する方法
自分がどうやって世界を認識しているのか?について、延々と話す。
普段自分がベースにしていることを、他者に説明する為により論理的、具体的に明示する。その結果、自らそのディテールをより強く見る。ということが起こる。それを、理解が深まったと感じる反面、「そういうことにしてしまった」とも思う。
説明することは固定することで、それ以前のイメージを失った様な気がする。気のせいだけど。
視界の端っこの方で見ていたものを、目の前にきっちりライティングされた状態で置かれて、果たして自分の認識していたそれだと言えるか。
とはいえ、より具体的になった手触りを、新鮮に 楽しんでいる。
一つ一つを検分して記録して、積み上げて、それぞれの干渉や関係を検証して前に進んでいく様なやり方だったはずなのに、いつの間にか、自分を外側に置いて、そこに満たされた水面に指先を入れて、返ってきた波紋を観測する様なイメージになっていた。漣は、作る度に違う形で戻ってくる。
世界に誰かが何かを作ったり置いたりした結果なのだと思っている。
私は、社会の外側に出るには、労働の細部に埋没するのが一番手っ取り早いと思っている。ということが分かって、大変面白かった。
社会の隙間は社会の内部に。当然のことだ。
世界が自分にとってどういうところなのかを知る必要は多分無くて、自分が知ろうとして差し込んだ手もまた、観測者の誰かの波に干渉しているだけだということ。