わたしの身体で生まれたこと。こわいこと。
こわいものをたくさん持って生きていました。
それでも今はすこしだけ嬉しいものも溜まってきた気がします。
未熟児でした。
奇形の子供でした、うまれつき肛門がなく、
物心ついたときには、右腹にはストーマというものがついていて、
そこから排泄する形でした。
でしたと過去形で書いているのは、もうすでにそれはなく、
排泄は人工的に増設(新築?w)された肛門からされています。
さてそれが大体小1の頃。
手術自体も結構大変ではありましたが、
いまだに悩まされるのは、排泄の話。
いまだに、行きたくなったらトイレに行き、トイレで用を足すということが、むずかしい。
まずトイレに行きたいという欲求が薄く
おしりまわりから、ふとももの神経も感覚が弱く
閉じる、締めるという認識は最近ようやく身体に落ちてきました。
そして腹が弱いためくだしやすく(生理がくるとさらにひどい)
いうなれば、トイレトレーニングをまったくしてないまま、社会に出たんだなぁと思います。
日常は生活は、本当にその状態なこと以外は普通にしています。
小中は同級生全員が身体のことを知ってくれている状態でした。
といいつつ、なにかあったとしても、それになにか言われることも少なく
やさしさに溢れていたのか、もしくはばれてなかったのか。
どちらもあると思います。
それは嬉しかったけれど、
それでもやっぱり毎回、絶望的なきもちにはなってもいました。
漏らす時に背筋が凍ります。
その間すらないときもある。
ばれてないかっておもうし、
すごく悲しくなります
悔しくて恥ずかしい
わたしだけがって思います。
漏らすことは私にとって最悪の失敗で、それが何度も起こる度に、
むけられる目に怯えて過ごしていました。
たとえば1番近くに長くすごす家族だったり。
身体のことを知っている人全員に、本当は嫌われているんだろうとか、段々嫌われていくと、心の奥底で思っていました。
漏らすこと、この身体だってことに段々と、気持ちをなにも感じないようにしているような節がありました。
そのうち、生活の中でこわいものがどんどん増えていきました。
白いスカートがこわい。
お風呂がこわい
気を抜くのがこわい
セックスがこわい
食事がこわい
人と長く過ごすのがこわい
はしゃぐことがこわい
人と運動することがこわい
人前にでることがこわい
歩くことがこわい
でも本当はどれも好きなんだとおもいます。
でも、とてもそれをすることはこわい。
もし辛いのなら、ストーマにもどすことも出来ると言われています。
もう一度今の状態になることは無理だと言われてはいますが。
ただもう一度手術をすることは単純に恐ろしく、それに時間を使っていることもこわい。
なにより、この姿になれたことはわたしにとって、唯一手術をしてよかったことなのです。
なので、これからもしばらくは、良くなってきたとはいえ、
漏らすかもしれないということと付き合っていくんだと思います。
本当はこの話を書くことも、することもこわく、するつもりはなかったのです。
たくさんのやりたいことをあきらめて、目の前のことに流されて生きてくのだろうと思っていました。
でも不意にやりたいことが出来た時に、どうしようもなくやりたい気持ちが、自分にとっては最後のチャンスだろうなとなんとなく思いました。
それが即興の演劇でした。
でも本当にとても今こわいです。
隣に座っているこのこ、漏らしてるんだよって、
いつそうなるのかわからないんだって、言われることは、
それはどんな気持ちなのか。
もしかしたら、いらない心配や重荷になるのかもしれない。
いつかは嫌になるのかもしれないとぐるぐると巡っては消えていきます。
未知の場所は、受け入れて貰えるのか。
人と本当にやりたいこと、出来なくなるのかもしれないとか。
ただこの話をするまでに、身体のこと、演劇のこと、出会う世界を広げられた場所は優しくて、
そしてウソをつきたくはなくて。
だからこれを書くのは、本当は知ってもらってもっと楽に、してみたいってエゴなんだと思います。
1番最初に、今だに本当に泣くほど嬉しかったことが
失敗する姿は愛しいよ、という言葉です。
私にとって漏らすことは、大失敗で許されなくて、笑い話にすら出来ない、されないものでした。
勿論、身体の話ではなくて、演劇の中の話で、その中でチャレンジしたことの失敗に対してですし
当時は私の中で、身体の話と結びついてくるとは思ってもなかったですが。
それでも、その言葉はとてもわたしにとって、大事にに響くものになりました。
それがひとつのやりたいことのきっかけとなっていると思います。
そしてやる形を模索すること、自分たちで変えられること、
それは、誰にでも楽しいに出来るという、やさしさや楽しさがありました。
したいことをチャレンジしてみること、失敗すること、みんなで笑うこと、ちゃんと人を大切にすること。
そんな見る目線の違いが、作っていくものの楽しさが大好きでした。
そんなおかげで、こんなことを書いてみることが出来るまでになりました。
どう思うかは、本当に人それぞれで、私にはどうしようもないことなのですが、
どうかそれでもやっていくことや、一緒にいて貰えることが出来たら嬉しいなと思います。
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