いきたがりとかほしがりとか
感覚の話
なんとなく突然に
あ、もうしんでもいいんだっておもったことが
数日前にあって
肉体的なしぬかんかくとかじゃなくて
しぬってなんだろうっておもったけど
それは生命維持活動の形をひとつ終えるって感じ。
わたしの場合は、一人暮らしするとか、
働き方を変えるとか
今までしてきた生きるための形を変えること。
でも、きっと肉体の死もまた選択肢に含まれていて。
でもそれを選ぶことも自分でできるっていうこと。
それってなんかええと感覚的に
許可ってイメージで
気力がとか緊張がとけたら急に発熱するとかにちかい
で、わたしのなかで引っ越しって本当に
ふとそれがいいんだろうっておもって
調べたら簡単によい場所が見つかって
問題もすこし頑張ったら、どうにかできて。
だった。
昨日のなくなった報道にすごくびっくりして
生命の話だからめちゃくちゃ不謹慎かもしれないんですが
そういうふとしたことだったのかなみたいな。
きがしていて。
決める瞬間ってすごく簡単だったのかもしれないって。
普段、命とか身体を大切にしろよって思いが結構でてくるんだけど
わたしでさえ出来るのにっておもうことがある、
わたしにとって、生きるってこととか
生かすってことをみんなで考えて進んでいくもので。
なんとなくこども病院の愛情や生きる力がベースにあって
そこに死と直結する場所だからこそ
でも子供(最近子供をみていると将来がたのしみねって
すごく今をみて、そして先を楽しみにするって気持ちがでる)
だからこそ、一緒に進むし、信じているきがしてた。
だから病院から家に帰ったら
それはなくて
今言語化するなら
死にたがり
生きたがりにみえていて
いきるとかしぬとかじゃなくて
ほしがりで
それがすごくくるしくて
でもみんなそんな中で生きていて
それがフツーなんだなって思った。
なんとなく生きるみたいなこと。
つらいことが、いきてるって感覚と
直結する必要はなくて。
生きていることを喜んだり
生きてる未来を信じたり
そのためにみんなで生きていたり
でも
同じくらい
死んでしまうことを
終わりが来ること、
喜んだり信じたり
したいなとおもう。
その感覚が
わたしは病院ってことで
手にしていたけど
もっと簡単で
たのしくて、
楽で、
興味深くて
おもしろくていいよねっておもった。
死ぬことを健全に恐れていない世界。
おわりを健全に恐れてない世界
って感じ。
でそれをずっとおもっていたけど
たぶん、そういう世界に
病院って形じゃなくてやるんだなって思った。
個人事業主になったこととか
そういう人たちだらけの中に行くとか。
たとえば指名を受けたときとか
直感にしたがう時って
それに言われたとおりにだけするだけだと
それってほしがりになるから
この終わりがよかったを
このはじまりがよかったを
自分で決めることができることが重要だなとおもった。
生きる場所が変わること、
進むこととか
選択していきたいね。
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