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#0 自己紹介

どんな記事を載せていこうか、妄想を膨らませて登録したのだがふと気付いた。自己紹介をしていないと。初めは私の自己紹介をしようと思う。

私は現在27歳男で、どこにでもいる普通の社会人だ。

雪の滅多に降らない県の1LDKの家に一人暮らし。一人暮らしなのだから、当然独身である。たまに、こんな話をすると、

「え、春先さんって独身なんですか、見えないです!」

と笑顔で言ってくれる人がいる。この時の私の顔は、大変微妙な感じになっていると思う。この人には私が何に見えているのだろう。

それは結婚して、幸せそうに見えたのにという褒め言葉的な裏切られたことへの反論なのか。はたまた結婚してそうな老け顔なのに、まだ結婚もしてなかったのかという事実確認なのか。

大体そう言われたときは「あはは」と乾いた笑いで適当に流しているが、こんなやりとりを何回もしているとそのうち美容整形にでも行ってみろと誘われている気になってくるのだから不思議というものだ。

そんな私も子供の頃は大変可愛かったのだ。

「子供なんて生まれたばかりの頃はみんな可愛いもんだ。」と、うちのばあちゃんなら一蹴しそうなのだが、それでも写真を見る限り確かに可愛かったと思う。

なんせ、母とばあちゃんたっての希望で女の子の格好をさせられていたくらいだ。もはやあの写真はお焚き上げでもした方がいいだろう。

きっとあの頃の私は、2人にとって目に入れても痛くないほどの存在だっただろう。現在は独身の私に対する視線が痛くて、実家に入ることも躊躇われる。

時の流れとはこれほどまでに残酷なんだと実感させられる。

そうそう、残酷といえば最近は特に鏡を見ることにも残酷さを覚え始めた。

あれは人類が発明した悪魔の兵器である。人の姿を寸分の狂いなく映し出してしまうのだから。

たとえば、鏡で写し出されるのが自分を100倍美化した自分が映るとしよう。

おっと、ここでは、0は何倍しても0ですよなんてツッコミはしないでおいてもらいたい。せめて1くらいの容姿はあると思いたいのだ。

ちなみに私の中の1は、へのへのもへじと同等だ。閑話休題。

自分がもとの自分の100倍の美しさだったら、朝起きて顔を洗う際にもきっと笑顔になれると思う。

「今日もおはよう」何て、自分に声なんかかけるかもしれない。本当に自分をさておきイケてるとか思えるのかもしれない。

でも現実はそう甘く無いのだ。

まず第一のダメージは自分を間近で見ることで受ける。私は目が大変に悪いので、鏡の前に立っただけでは自分を認識できない。

そもそも、朝起きても部屋の物を認識できないのだ。

以前も朝起きて天気予報でも見ようと、眠気まなこでリモコンを押したのだが全然つかない。寝起きのイライラと相まってクッションに投げつけた。

それでもテレビをつけようと、それを間近で見た時に気付いた。手に持っていたのはメガネケースだと。もはや壊滅的な視力である。

おっとまた脱線してしまった。

そう、視力が悪い私は鏡で自分の姿をはっきり認識できないので、とにかく近づく。鏡との距離が数センチというところまで近づく。そして気づく。

「だれ、このオッサン」

あれほど自分の発した言葉で悲しくなったことはないだろう。でもこれが現実である。

顔の乾燥、疲れ切った目、シワの入り始めたおでこ、そっていないヒゲ、全てにイヤになって思わず目を逸らしてしまう。

ここで終われば、まだ自分を励ませるのだが、朝の魔の時間はそんな優しいモラトリアムを私に与えてはくれない。

ここで第二のダメージ、コンタクトレンズである。

学生の頃、初めてコンタクトレンズを装着した時は、これはメガネ族にとっての救世主だ!と意気込んだ覚えがある。

プールに入って生活しているかのような、もやがかかった視界が一気に鮮明になる。メガネなんかなくとも私は一生コンタクトレンズで生きてくんだ、と誓ったことが懐かしい。

今は、コンタクトレンズを入れる瞬間に手が震える。もちろん目に物を入れる怖さで、ではない。これが装着された後の自分の姿を直視してしまうことに対する恐怖で、である。

どんなに都合の良い妄想を裸眼で繰り広げても、あのレンズは否応なしに私を残酷な現実へと連れ戻しにくる。何て恐ろしい。

そんな風にして、残酷な朝を毎日乗り切って働きに出るのである。

それが今の私だ。

もしよければ、こんな私の日常でありながらこれまでの歪な日常を徒然なるままに書いていこうと思う。

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春先 生
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