#13 少年期編 〜Appleと私〜
私にとって携帯電話といえばiPhoneだし、それは初めてのスマートホンから変わっていない。
Appleと私の付き合いは、かれこれもう15年近くなろうとしている。
初めてAppleの製品に触れた時、
「Apple?何それ、りんごじゃん。」
今では日本国民の誰もが知るほど、有名となったメーカーにケチをつけるほどの無知さ加減だったことが腹立たしい。
でもほんの20年ほど前まで、そこまでAppleの製品は脚光を浴びてはいなかったし、windowsの影響力はそれほどまで絶大だったと言える。
そんな私の中でAppleの製品で印象的に残っているのは、iPodとiPhoneの二つだった。
まず中学生頃からだいぶお世話になったのがiPodだ。
当時発売されていたのはiPod shuffleと呼ばれるもので、今でいうUSBメモリのようなスティックタイプや、クリップで止められるものなど色々な種類があった。
どちらのタイプも使った覚えがあるのだが、まず当時は音楽をデータとしてPCで管理して持ち歩いて聞ける、なんていうことが革新的だった。
それまではCDプレイヤーやMDプレイヤーなどはあり、持ち歩く方法はあったものの、CDを持っていたりMD等にダビングしたりする必要があった。
それはそれで懐かしい。母がよくSMAPをダビングしている横で踊っていると、
「音が飛ぶでしょ!!やめなさい!」
とかなりのテンションで叱られた覚えがある。その度に
「ひぃっ」
となるのだが母からすればこいつの踊り一つで、癒しのジャニーズが聞けるか聞けないかにかかってくるので、確かに本気になるのも無理はないだろう。
そういった音楽の媒体は、周囲の環境によって音が途切れる、“音が飛ぶ“という現象が度々起こっていたのだ、今は昔といった感じだが。
そんな少年時代も、やがて音楽をデータで管理できるようになるのだ。
何がどうなってこんな小さな四角いものの中に音楽が詰まっているのだろうと、あの頃は不思議でならなかった。
何はともあれ、流行の曲等をiPodに入れて聞くということが、学生の一種のステータスのようになっていたように思う。それほど流行の最先端だったのだ。
そして、もう一つ衝撃だったのがiPoneだ。
当時“ガラケー“などという言葉すらなく、誰しもあの二つ折りの携帯電話を使っていた時代に、iPhoneという革新的な携帯電話はかなり先進的なものに見えていたと思う。
先進的すぎて、初めは時代の先をいく人たちくらいしか持っていなかった。
当時のiPhoneはまだインターネットにつなげるにも不安定、アプリ類も不十分、マップは壊滅的な状態と、今にしてみると笑い話なのだが、その時の人からすると使い勝手のよろしいものではなかった。
なので、多くの人は買うべきか買わぬべきか様子見といった感じだったと思う。
劇的にそれが変化していったのは、iPhone4が出たあたりかなと私は思っている。
ゲーム等もどんどん開発され、アプリも充実、ネットワークもどんどん良好になり、これはマルチに使える新しいデバイスになったと世間でも大きく取り上げられるようになっていった。
これは、なんとしてでも欲しい!
本来目新しいものに飛びつく私なのだが、割と長いこと様子を見ていただけに、今回のiPhoneは何がなんでも欲しいと考えていたのだった。
でも高校生にもなると、もうそろそろ親がただでは子供のために金を使おう、とはならないことは過去の記事から分かる通り、学習していくのである。
子供はそうやって、親を説得する方法を日夜研究しながら生活しているのだと思うと、目頭も熱くなってくるってもんじゃないだろうか。
その頃大学受験を控えていた私は、
「ちょうどいい。合格祝いのネタをiPhoneにしよう。」
という計画を目論んでおり、その野望はその時の4月に無事達成されたのだった。
別にiPhoneのために進学したわけではないのだが、結果的にそんな結果になってしまったので、その後しばらく親からは白い目で見られることになるがそんなことは気にしない。
もう手に入ってしまえばこっちのもんなのだ。
そうして、私はiPhoneユーザーデビューを果たし、今日までずっと機種変更を繰り返しながらもずっとiPhoneを使い続けているのだ。
たまに、Android携帯を使っている方から
「iPhoneは性能がいい部分もあるけど、全面的に器用貧乏でコスパが悪いからな…高いし。」
などの指摘を受ける。
その指摘は一部その通りだなあ、と共感する部分もあるのだが、それでも使い続ける良さがあるから使っているのだ。
何よりも私が利便性を感じているのは、PCやタブレットとの互換性だろうか。
今の生活上、携帯もタブレットもPCも必須なのだが、Apple製品であれば、これらの互換性がすごく良い、というかこれがAppleの商売のやり方なのだろうが、私は満足している。
しかしながら別に信者ということではない。winodowsのPCだって使っている。結局自分が、それを使いたいと思えばそれでいいのだろう。
なんて気持ちで最近実家に帰った際に、兄にそんな話をしたら
「そこまでAppleの製品使ってて、良さを俺に語ってるんだから十分信者だよ。」
と言われてしまった。
そうか、信者とは知らない間になっているのかもしれないな、と社会の闇を感じずにはいられない帰省となった。