#46 社会人編 〜絵心と棒人間〜
昔から、私といえば絵心がないし、絵心がないと言えば私であった。
絵心といわれるとなかなか難しいのだが、100人が見て100人が
「下手だな。」
と思ったらそれはもう絵心がないと言って良いだろう、そして私はおそらくそれに当てはまるのだと思う。
それでも過去の私はなんとかして自分の画力をあげようと、必死に色々なイラストを描いては周りの友人たちに見せては返り討ちにあうという無駄な努力をしていた。
例えば蛇を描いて見せれば、
「何この呪いのステッキ…」
と予想以上の酷評をもらい、悔しさをばねに漫画の主人公のような少年を描けば
「おばさんを描いたの、○○にしてはうまいじゃん。」
と、もしかしたら下手な私に対する思いやりの言葉だったのかも知れないが、私からすれば、性別も年齢も外され気持ち的には落胆するのだった。
そんな幼少期を過ごした私はいつしか、自分から人前で絵を描くことは意図して避けるようになっていたと思う。
それでも職業柄どうしても相手に説明をする際にイラストを必要とすることもあり、いよいよ避けては通れない状況もやってくるようになった。
「うーん、でも一般的に描くような人間は描けないしな…」
と、はっきり言って本来の業務内容とは違うところで悩み始めた私は友人に助けを求める。
「…なんだけど、ほら昔からイラストが苦手じゃん?どうしたらいいだろうか。」
すると、友人から
「多分大丈夫だよ、人間なら最悪棒人間でいけるっしょ。棒人間が描けない人はいないから。」
と言われたのだった。
なるほど、棒人間という方法があるのか。確かに中途半端に人間を描いても余計に反感を買ってしまうかも知れない。
いっそのこと思い切り振り切って棒人間で見せたら、こういうタッチの絵だと誤解してもらえるかもしれない。
と、友人のアドバイスを意外にも真に受けて棒人間でイラストを描き、仕事で見せることにした。
するとどうだろう、色々な意見はあったが意外や意外、反応は思ったよりもよかったと言って良い。
「動きをみるなら棒人間の方が単純化されているからわかりやすいね。」
「春先さんの棒人間、動きが面白いからいいね、わかりやすいよ。」
などと言ってもらったわけである。
27年間生きてきて、基本的に自分の絵を褒めてもらうことなど多分死ぬまでないんだろうなあと思っていた私にとって、例え棒人間であっても自分の絵を褒めてもらうことは、非常に嬉しい体験だった。
もはや有頂天である。
そうして、棒人間を描くことに味をしめた私は、それからことあるごとに棒人間でイラストを描き、なんだかんだ棒人間画力だけはグングン上がって行ったのだった。
しかし、ことはそう上手くいくことばかりでもない。
棒人間でいつものようにかいていると、上司から
「棒人間なんて落書きで描くんじゃない。しっかりと絵で描くなら絵で描きなさい!」
とお叱りを受け、
「なんだかんだで棒人間じゃ限界があるよな。」
と同僚からも手厳しい意見をもらうようにもなったのだ。
確かに、棒人間とはどんなに頑張っても基本は“棒“なのだ。
ひょろひょろ具合で言えば他のどんな絵で描くよりもガリガリである。
単純化といえば聞こえはいいが、結局仕事で描くイラストとしてはなかなか不十分だったのだ。
そうして私の絵心は一向につかないまま、今日まできてしまった。
しかし、救いの神はまだ私を見放してはいなかった。
最近iPadを購入したことで、何か新しい使い道はないかと色々なアプリをいれて遊んでいた。
その際にふと頭をよぎったのが
「もしかしたら、お絵かき練習アプリでも入れれば、少しくらいは画力が上がるかも知れない。」
という発想である。
実際のところ画力なん手そう簡単に上がるものではないし、小学校から中高と、年齢が上がるにつれて美術科目に関しては赤点ギリギリで低空飛行していた私にとって、アプリ程度でどうにかなるもんじゃないという気持ちもあった。
しかし、コツみたいものはわかるかも、とアプリを入れてみる。
すると、顔の描き方から色の使い方、自然な体の描き方など細かく練習ができるのだ。
これはすごい、絵の勉強できるじゃないか。思わず過去の自分の絵心の無さを棚にあげて友人におすすめしてしまいそうになる。
そんな風にして今日も今日とて練習に勤しんでいる。
画力が上がる日がいつになるのかはわからないが、せめて棒人間からもう少し肉付きの良い人間がかけるように、絵心向上に向けた特訓はこれからもしていこうと、心に誓うのだった。