新入社員でいきなりコロナにかかった話 〜コロナ闘病(?)日記〜

表題の通りだが、新型コロナウイルスに感染した。幸い症状は軽かったが、周りに大きな迷惑をかけてしまった。ただで起き上がるわけにはいかないと思うので、感染発覚からホテル退所まで、noteにまとめておこうと思う。
私自身、情報収集に苦労したので、今後感染者の方、そして周りの方の何かしらの助けになればと思う。
思ったことをリアルタイムで書き溜めていたので、読みにくかったり、端的な情報は得にくかったりするかもしれないが、ご了承願いたい。

また、文頭にもnoteの方から表示されているが、あくまで2021年4月段階の、一個人の経験談として読んでもらえればと思う。最新情報はしかるべき場所から得てください。

①発症日(発覚から対応まで)

それは社会人3日目の、月曜日の朝だった。
朝から喉が少しイガイガして、やな感じだなと思いながら呑気に朝食を食べていた。
慢性的な肩こりがひどかったので、母に湿布を貼ってもらうようお願いし、髪をあげていたら、湿布を貼ろうと首を触った背後の母から
「あれ?熱くない?」
と声がかかった。
言われるがままに熱を測ると、37.6℃。
いやいやいや、新人3日目なんだけど?しかも私の会社はやや黒い感じなので(失礼)、そんないきなり休むわけにはいかない。というか休み方とか知らないし。
そう渋る私を横目に、母はテキパキと発熱外来に電話をかける。
近所の病院に受診の手筈が整ったところで、私は重い腰を上げて会社に連絡した。
会社に行く気満々だったため、1回目の電話は時間が早すぎて誰も出なかった。
仕方なく、社会人初日に名刺をもらった上司にメールを入れておく。

その後会社から折り返しの電話が来て、かくかくしかじか、その日は自宅待機とし、とりあえず病院に行くように指示を受けた。
病院の予約時間が来たので、家から徒歩5分の発熱外来へと向かう。病院の前に着いたら電話をかけ、傍の駐車場に設けられたテントの中へと進む。
能天気に渋っていた私も、ここまでくると「本当にコロナだったらどうしよう」と大きな不安を覚えていた。
しばらく待ってから、奥へ招き入れられ、マスクとフェイスシールドをした先生に喉を見せ、鼻に素早く綿棒を入れられる。
顔に傷がある私に「これどうしたんですか〜?」とか世間話をしてくるし、なんだか拍子抜けだった。
今となって思えば最前線で身の危険を呈しながら、私の心も少し楽にしてくれたことに感謝しかないのだが。
そのあとは看護師さんに渡された袋に、代金と保険証を入れ、渡し、袋に入れられた領収書とお釣りを受け取り帰宅。

1時間後に結果が出るとのことで、のんびりと「進撃の巨人」の最新話を見ていた。
ちょうどとあるキャラの裏切りが発覚したクライマックスで、家の電話が鳴り響く。
下の階から母に呼ばれ、階段を降り受話器を受け取る。
私は人生今まで、運が強いので「詰んだ」ということがあまりない。今回もまぁ陰性だろうと呑気に考えていた。

「あ、先ほどはどうも。実はね、コロナ陽性でしたよ。」
「え」
「うん、なのでね、このあと保健所の方から連絡が行くのでね、指示に従ってください。」
「はぁ」
「あとね、お母さんが濃厚接触者にあたるから、お母さんもこのあと検査しましょう。代わってくれますか?」

随分と緊張感のない声で、死刑宣告にも近い衝撃的な事実を告げられた。詰んだわ。
吐き気がした。コロナの症状でなく、ストレスで。
新入社員なのに、やっちまった。それが一番大きな感情だった。会社どうしよう。

私から受話器を受け取った母の表情がみるみる暗くなる。
私は昔から、母の顔色の変化が一番怖い。
そんなことより、今この瞬間にもうつすかもしれないと思い、慌てて距離を取る。
リビングの隅で立ちすくんでいると、私の様子がおかしいことにすぐに気づいた愛犬が駆け寄ってきた。
大丈夫?なんかあった?気分悪い?
そう問いかけてくるように、立ち上がって顔を寄せてくる。
愛しい、嬉しい、でも犬にも感染のリスクがあると前ニュースで見た。
心苦しさに吐きそうになりながら、犬を突き放す。

電話を終えた母の顔がまともに見れない。一言二言交わして、逃げるように部屋に戻る。
とりあえず数分残していた進撃の巨人を最後まで見切ってから、落ち着いて、関係者各所に連絡を始めた。並行してコロナについて調べる。
この時初めて知ったのだが、コロナが感染力を持つのは発症して数日内のみで、濃厚接触にあたるのも発症日から2日前以降らしい。
幸か不幸か、私が発症したのは月曜日で、その前の2日間、つまり土日は家でゴロゴロしていた。つまり、濃厚接触者は母のみであった。
会社にかける迷惑が一段階下がり、少し安堵しながら電話をかける。
かくかくしかじか状況を報告し、濃厚接触にも当たらないことも伝え、ひとまずしばらくの療養を言い渡された。
2週間も仕事を休むのは流石にしのびないし、そこまで症状もないためテレワークをお願いすると、まぁ新人で有休もないためその方がありがたい(もちろん無理のない範囲で)と許しが出た。一安心。

その後は、念のため1週間以内に会った人たちにも連絡。約10日前に卒業式があったため、大学の同期を中心に連絡した。
同期の1人は職場で自宅待機を命じられたらしい。本当に申し訳ない。
会ってないけど信頼できる仲良い友人にも連絡。すぐに心配と励ましの返信が来た。誰でもかかりうるものだから、自分を責めないで、と。
かなり精神的にまいっていたのだが、この言葉にかなり救われた。

その後保健所から電話がかかってきて、1時間ほど通話。
内容は、症状について聞かれたあと、直近2週間の行動を事細かに整理した。外食した際の席配置や職場での席配置、外出場所と滞在時間、同伴人数、移動時間と手段など。
その後は今後の対応について。

その時すでに熱は平熱に下がっていたのだが、喉の痛みがあるということで、無症状ではなく軽症扱いとなった。そして同居人(母)がいるため、ホテル療養となった。
ホテルに入ることになったら、とさらに細かく相談。一つ一つ丁寧に説明してもらい、徐々に状況が掴めたことでかなり心が楽になる。保健所の看護師さんにも頭が上がらない。

会社にも、保健所からの連絡を踏まえさらに詳しく状況を説明した。すでに社内に周知されたらしく、辛うじて名前を覚えた数人の上司から個別に連絡が来ていた。
多大な迷惑に平謝りする私に対し、優しく温かい、心配と言葉ばかりで、恐縮しながらもありがたい。
一番怖かった直属の上司からは電話がかかってきて、熱が下がったことを恐る恐る伝えると「熱ないんかい!」と笑い飛ばされる。
他の上司にも、「誰もに起こりうることだから、悪いとか思わないでね」と優しく言われる。
怒られなくてよかった、とほっとした。
その後テレワークの段取りを相談し、静養が第一と釘を刺されながら電話が終わる。

いや、入社して早々仕事せずコロナだけ持ってきたような新人に優しすぎないか。涙がちょちょぎれそうだった。

そんな頃に母親が検査に出かけ、玄関ドアが閉まる音がした。そして愛犬が階段を登り、私の部屋の前までくる足音。
ドアをかしかしと前足で引っ掻いている。
お姉ちゃん、元気にしてる?大丈夫?お母さん出かけたよ。僕と遊ぼうよ。
そう言わんばかりに元気に引っ掻いている。
「ごめんね〜」
と言いながら心を鬼にして無視していると、ドアが開いた。勝手に開けて入ってきた。
尻尾をふりながら無邪気に胸に飛び込んでくる。
「ほんとにごめんね、私も遊びたいんだけど、うつしたらいけないから」
そう言いながら抱き抱え、部屋の外に出す。
きょとんとした顔を見ながら名残惜しくドアを閉めた。愛犬はそれ以上入ってこようとしなかった。愛犬に会えないのが何よりも辛いが、愛犬に何かあることの方がもっと嫌なので我慢。

母親の検査が終わり、結果が出た。
見事(?)、陰性。

母は既往歴もあるし、そもそも母までホテル療養になったら愛犬はどうなるのか、と不安だったので一安心。
氷のように冷たかった母のテンションも回復。
母と陽性者(私)との最終接触を発症日に留めるため、以降一切顔を合わせず空間も設備も共有せず、消毒を徹底した。

その後保健所から再度連絡があり、発症日がその日に認定された。何事もなければそこから10日で復帰となる。なお濃厚接触者の母親は14日後となる矛盾、、、その後ホテル療養の申請をしてもらい、cocoaの登録の手筈も整えてもらった。

その頃すでに夕方だったが、やっと状況を把握し安堵し、お腹が空いたので食事を取る。
匂いも味も普通にするし、食欲も平常時通りだった。
夜は親しい友人から電話がかかってきた。そのまましばらく電話。
他愛もない話が、何よりもリラックスさせてくれる。ここからしばらくほとんど誰とも接しない日々が始まると思うと、この少しの交流に救われていくのだろうと思う。
友人にはまた電話をかけるようにわがままを伝えた。就寝。友人との電話の影響か、エヴァンゲリオン(見たことない)に乗る夢を見た。

②ホテル入所まで(持ち物など)

2日目。熱もなし。喉は痛い。
朝からまた連絡が相次ぐ。念のため検査した友人、職場の人も皆陰性だったようだ。
つまり、私が引き起こしたクラスターは今のところないということになる。安堵。
会社からテレワークに必要なデータや書類が送られてきた。迅速な対応、ありがたい。回復したら土下座して感謝せねば。

保健所の方から経過観察の連絡が来る。
元気ではあるが、相変わらず喉の症状はあるため軽症扱いとのこと。

ホテル入所の準備を始める。
ホテルには一度入ると(当然だが)出れないし、差し入れも母親が濃厚接触者で自宅待機のため期待できない。入念に準備をする必要がある。
味方であれば頼もしい母、色々なブログやネットで情報をかき集め、食料品や生活用品などたくさん準備してくれた。そのため、私は洋服や常備薬など最低限を用意するのみであった。ありがたい。
大きなスーツケースがパンパンになる。
もりもり準備してると、なんかやたら疲れる。とりあえず昼寝をはさみ、準備のつづき。なんとか終え、テレワークを始めようかと思いパソコンを開いたが、やっぱり疲れた。
また少し寝ると、回復。どうやらすごく疲れやすくなっているようだった。気付かぬうちに体は頑張ってウイルスと戦ってくれているようだ。
「はたらく細胞」に登場する白血球さんを頭に思い浮かべながら、私の体の白血球さんにも感謝、そして心より応援しながら、大人しく横たわることにした。

8日間のホテル療養に向けた持ち物は以下の通り。
(実際に療養を終えて役立ったかなどのコメントは、太字で付記、ただし何の用意があったかはホテルによって異なるのであくまで参考程度に。)

【指示のあったもの(枚数は任意)】
・着替え(外にも来ていけるようなジャージなど、3セット、トップスだけ5セット)
・パジャマ(2セット)
・下着、靴下(3セット)
・タオル(バスタオル1枚、スポーツタオル3枚、圧縮タオル6枚、いずれも捨てても良いもの)
→ホテルに希望者のみだが用意あり
・常備薬
→看護師に申告し、療養に影響が出るものは使用に注意
・体温計
→ホテルに希望者のみだが用意あり
・保険証
【健康に関するもの】
・肌触りの良い薄い布団
→枕を持ってきている人もいた。何よりリラックスできることを最優先に考え、荷物が増えても睡眠に関わるものは特に持っていったほうがいいと思う。
・ブランケット
→部屋の中は自由に温度調節できたので使わなかった
・スキンケア、ヘアケアグッズなど普段生活で使っているもの
→ホテルのアメニティがあったが、拘りがあれば持って行ったほうがいい
・着圧ソックス(狭い部屋なのでむくみ対策に)
・サランラップの芯(マッサージ用)
→とにかく運動しない、というかできないため、マッサージやストレッチは欠かせない
・のど飴、龍角散ダイレクト、口内ケアスプレーなど喉の痛み対策グッズ
・湿布、胃腸薬、解熱剤など念のための薬
・栄養ドリンク
・普段使っている生理用品
・アルコールスプレー、ウェットティッシュなど
→入れ替わり立ち替わりで新しい菌(入所者)が入ってくるので、入念にした方がいい
・熱さまシート、カイロ
・アイマスク
・余分にマスク
→毎日一枚ずつもらえる、ご飯を取りに行くときしか外に出ないのでたくさんはいらない
・鼻うがい
・ハッカ油(鼻詰まり用)
・アロマオイル(嗅覚確認・安眠用)

【生活用品】
・洗濯洗剤、物干し用ハンガー
→ホテルに用意ありだが洗濯するなら持って行った方がいい、特に物干しハンガー
・食器洗剤、スポンジ
・使い捨てコップ、どんぶり
→汁物をたくさん飲んでいたので重宝した
・水筒
・箸、スプーン
・タコ足、延長コード
→私のホテルにはあった
・充電器類
・スリッパ
→ホテルにもある
・メガネ、コンタクトレンズ
・ハンディファン(空気が澱むらしいので)
→使わなかった
・最低限のメイク道具(オンライン会議の予定があったため)
→食事時に他の人に会うが私はすっぴんで過ごしてた
・ビニール手袋
・ゴミ袋
→ホテルに用意あり
【食料】
ホテルで以下のほとんどを配布していたため、持っていく必要がなかった。
・お菓子
・カップラーメン
・粉末茶、インスタントコーヒー
・ペットボトルのポカリとお茶
・スープの粉
→これだけはめちゃくちゃ重宝した、あったかい汁物万歳
・ゼリー
・野菜ジュース
・お茶漬けの素
私は普段お茶を飲んでおり、水はもらえるので、水出しのお茶とか持っていけばよかったと後悔した。また、お弁当はとにかく飽きるので、好みの食料を持っていくと良いかも。

【娯楽】
・本
→結局電子書籍で大量に漫画を買ったため読まなかった。電子書籍は便利。
・パソコン
・HDMIケーブル(パソコンとテレビを繋ぐ用)
・文房具(暇な時に日記をつけたり、テレワーク用)
・ベッドテーブルにもなるクッション
【持っていけばよかったもの】
・先述したが水出しのお茶
・ご飯取りに行く時用のつっかけの靴
・ご飯取りに行く時用の上着
・加湿器(アロマディフューザー)
・枕
・ヘアケア・スキンケアを重点的に(乾燥にやられる)
・掃除用具(用意はあるが、共用で使いづらい)
→特にトイレ・風呂が臭かったので簡易的なモノでもあれば
・ドライヤー(こだわりあれば)

後から思えば
基本的に旅行でホテルに泊まる用意
+生活に必要なもの
−おしゃれ
と言う感じで荷造りをすると良いと思う。
とにかく快適に過ごせるように、荷物は最悪捨てて帰れば良いし、行きは送迎してもらえるので、多くなっても色んなものを持っていくことをオススメする。

遭難しても大丈夫だろうというほどの用意でホテル療養に臨むこととなった。
この日の夕方に入所するホテルが決まり、さらにリサーチをかけるとどうやら乾燥しているとのことで慌ててアマゾンプライムで簡易加湿器をポチったが、流石に届かなかった。
しかし幸運にも、近くに友人が住んでいたので万が一の場合も差し入れをお願いすることができそうだ。一安心。
この日は昼間に何度か昼寝を挟んだからか、あまり寝付けなかった。

3日目/ホテル1日目
珍しく早朝に目が覚める。新社会人の緊張感が抜けていないのだろうと、枕元のお茶を口に含むと、何やら違和感。
味がしない気がする。
慌てて枕元のアロマオイルを嗅ぐ。匂いはする気もしない気もする、わからない。
母がすでに起きていたので電話し、朝食と、塩と砂糖をひとつまみ用意してもらう。舐めてみるが、味はする。朝食のパンも普通通り。思い違いだったのか。
昼頃に再びアロマオイルを嗅ぐと、いつも通りに香る。一時的な嗅覚・味覚障害だったのか。寝ぼけたのか。

保健所の方から経過観察の電話が来る。一通り答えて電話を切った後に、そういえばお腹が緩いことに気づく。
しかしまぁなんとも言えないのが、お腹がゆるいのは生理前に良くあることだし、もっと言えば鼻水は花粉症、だるさ・頭痛は低気圧、など、慢性的な体調不良とコロナ由来のものとの見分けがつきにくいのだ。何をどこまで報告すれば良いのだろう。
思い返せば発熱した時も、生理前の高温期かなとか思っていたし、「体調の変化に気をつけてください」とか散々テレビで言っているけど、こちとら体調が良い日の方が少なく毎日何かしらの不調を抱える日々を二十数年間送ってきたから、いちいち気にしてたらキリがない。
この疲れやすさも、私が体力がないだけで、本当は鞭打って仕事しなきゃいけないのかもしれないけど、どこまでが病気なのかわからない。とりあえず今日までは休むことにした。

送迎の時間が決まったとの連絡も受け、荷物の最終確認をする。母も私も心配性で荷物が多くなってしまうクチなので、最後の最後にどんどん物が増えていく。

そうこうしているうちに、送迎車の運転手から停車場所の確認の電話が来る。私は家の前の道路が狭かったので、少し離れた大きな道路を指定した。
入念に確認し、その時間を待つ。
スーツケースが重たそうだ。自宅の階段を持って降りれるか不安で階段から階下を覗いてみると、下から見上げている愛犬と目があった。
「部屋に行っちゃいけない」という言いつけを守りながらも、心配してくれていたようだ。
私が声をかけると、全力で尻尾を振る。そして傍にいる母にアイコンタクトを送る。
やっぱり行っちゃダメ?
そう確認しているようだ。母が「ダメ」というと、少し落ち込んだように項垂れる。
数分外出しただけでも寂しがる愛犬のことだ、同じ家にいるのに顔を合わせないのは不思議に思っていることだろう。
愛犬ともしばらく会えなくなるので階段越しにたっぷり見てから、いよいよ出発ということになった。

重いスーツケースを下ろし、家を出て、指定場所に向かう。久しぶりの太陽。荷物を減らすためたくさん着込んできたから、春の陽気が少し暑い。母が尾行するかのように離れた後ろからついてきた。
途中に工事現場があり、道が狭くなっていた。交通整備のお姉さんが優しく話しかけてくる。やめてー、うつっちゃう!そう思いながら、俯いて急ぎ足で通過。お姉さんごめんなさい。
外出自粛のこの時期に不似合いな大きなスーツケースを転がして歩いていると、心なしか注目されているような気もする。皆さん、もしそんな人が近所にいたら察してあげてください。
指定場所に着き、しばらく待っていると電話で伝えられた特徴通りの車がきた。
ドアが開いた。車内は運転席と後部座席を仕切るようにビニールがかけられており、運転手さんはマスクのみという防御力。
スーツケースはかなり重たかったが、ボックスカーで段差が低かったためなんとか自力で乗せられた。
乗り込み、母親に手を振ってから発進。

車内はもちろん無言。相乗りになることもあるそうだが、乗客は最後まで私一人だった。
窓の外を眺めながらうつらうつらしていると、運転手さんがラジオをかける。コロナのニュース。大阪は800人を超えたらしい。
自室にこもっていたので情勢を知らなかった。滑り込みで逼迫する前にホテルに入れたのか、なんて思った。
当事者なのでなんとなく聞く気になれず、イヤホンをつけて好きな音楽を聴いた。最愛のアイドルの曲。どうか彼らには、この煩わしい災難は降りかからないようにと願いながら、目を閉じた。
スイスイ走る高速を降り、ブレーキの回数が増えたのを感じて目が覚めた。辺りは見覚えのある景色。たまたま母校の付近を通過していた。
100回は行ったであろうサイゼリア、まだあったのね。懐かしい。

③ホテルの第一印象

しばらくしてホテルのエントランスを車が滑り込んだ。降りようとすると、運転手さんに止められる。車外ではマスクをつけたパーカー姿の男性が数名あたふたしている。どうやらまだ迎え入れる準備が整っていないようだ。
数分待ってから、ドアが開き降り立つ。
外に向かって、運転手さんにお礼を言った。こんな大変で危険な仕事、ありがとうございます。運転手さんはかかりませんように。
入り口に向かって、カラーコーンに沿って歩くと、辛うじて声が聞こえるくらい遠くから名前を呼ばれた。頷くと、封筒を差し出される。
ホテルの中に入ると、事務室みたいなところのガラス窓越しに手を振られる。
ガラス越しで聞こえづらいが、ここでも名前を呼ばれ、確認。特に手続きなどはその場ではなく、部屋に行ってから電話などで行うようだ。

名の知れた、そこそこ良いホテルではあるが、清掃スタッフなどが最低限だからかホールやエレベーターには埃が目立つ。
部屋はよくあるシングルルーム。充分な広さだが窓が小さいし開けられないのが少しネック。でも贅沢は言ってられない。
上着をクローゼットにかけたりしていると、電話が鳴る。看護師さんから、パルスオキシメーターを使ったか聞かれる。
慌てて貰った封筒から取り出す。あわあわ。
使い方を教えてもらいながら計測。その後、1日2回の体調チェックを記録するためのサイト?などの説明を受けた。
電話には必ず出るように念を押される。電話に出ないと、何かあったのかと心配して部屋に突入してくるらしい。トイレ中とかだったらどうするんだろう。
でも看護師さんにしっかり管理してもらうのはありがたい。未知で治療法も明らかでない病気を乗り越えるために、さまざま工夫をし、被害を最小限に抑えるための努力が行われているんだなぁ、とじんとする。
私はほぼ無症状だったので、あまり管理されることはなかったが、生理痛が重かったので持参した痛み止めが、コロナの症状を隠す場合があるので使用に注意するように言われた。そこまでケアするの、大変だなぁ。

荷解きをし、封筒に入っていた資料を読んだり、家族・友人に連絡したり、所用を終わらせたあとは、真っ先にお風呂に入った。
自宅では洗面所・トイレは母と別々に使っていたが、風呂場だけはどうしても共用であるため、念のためお風呂に入っていなかった。
久しぶりのお風呂、気持ちいい。大好きな半身浴を1時間ほどして、存分に汚れを落とした。しかし仕上げに体を洗っている頃から、何やら苦しい。急いで洗い流して、下着をつけてから水を飲む。
危ない、倒れるところだった。のぼせたのとまた違う、脱水に近い感じか。
どうやらコロナで予想以上に体力が落ちているところに、これまた予想以上に体力を使う半身浴をしてしまったのが良くなかったようだ。気をつけよう。とか言いながら翌日も半身浴をして、また気分が悪くなった。学ぼう。

落ち着いてからテレワークを始める。
快適に過ごせそうだ。

④1日のスケジュール

ホテル療養中は代わり映えのない日々を過ごしたため、日記形式はここで終わりにして、まとめて話を進める。ちなみにホテル2日目で症状は完全に治った(疲れやすさはあったが)。
まず1日のスケジュールは以下の通り。

7時 朝の体温・酸素チェック
8時〜9時 朝食
午前中 看護師による健康チェック(電話)
12時〜13時 昼食
16時 午後の体温・酸素チェック
18時〜19時 夕食

これらの時間になると館内アナウンスが流れ、食事の時はホテルロビーまでお弁当を取りに行く。
ホテルロビーへはこの3回の食事の時間しか立ち入ることができず、お弁当、水やお茶に加えアメニティ類が置いてある。
アメニティはシャンプーとかだけではなく、ティッシュ・トイレットペーパーやゴミ袋など生活に必要なものが揃っている。
電子レンジとゴミ箱も置いてあるので、ゴミ出しをしてお弁当を温めて部屋に戻る。
1週間以上、1日3回この作業をするため、後半はかなり慣れる。この動作の手つきでなんとなく新人なのか玄人(?)なのか分かる。玄人は面構えが違う。
後半は、ニュースで報じられる感染者数の拡大に比例するように、人も増えていったように感じられた。私が入所した頃は2フロアだった宿泊フロアも、退所の頃には4フロア以上に増えていたように思う。

そしてもちろん皆無言で粛々とお弁当を取りに来るのだが、賑やかし(?)のためにペッパーくんがずっと喋っている。
「皆さん!腹が減っては戦はできぬ!みんな応援してます!」
みたいな声がこだましている。ディストピア感。
余談だが、一番狂気を感じたのは
「今日のラッキーカラーは白です。僕の色ですね。皆さん今日は僕のことをよく見て治しましょう!」
的なことをペッパーくんが言っていた時だった。

ちなみに、この時不特定多数の入所者と顔を合わせるため、着ていく服はあまり個人情報が入っていないものがいいと思う。結構大学とサークル名がガッツリ入ったジャージを着ている若者が多く、なんとなくプライバシー的に大丈夫なのかな?と思ってしまった。
服装で言えば、思いっきりパジャマみたいな人もいた。割とガッツリ人に会うし外に出るので、ご飯取りに行く時くらいはジャージとかの方がいいと思う。

ご飯の内容は、3食ともお弁当。
味は美味しいが、毎食米と茶色いお惣菜なのでとにかく野菜やパンが恋しくなる。

一度バナナとオレンジが一つずつもらえたが、それは本当に嬉しかった。宝物のように大事に食べた。
私はあまり食に執着がないし食欲もあまりない方だと思っているが、それでもちょっと辛かったし飽きたので、食事を大切にしている人は心した方がいいと思う。身バレが怖いので画像は載せないが、気になる人がいたら連絡してきてください。
でも美味しいし税金で賄ってもらってるので文句は言えない。
ちなみにたくさん食べたい人は予備のお弁当やカップ焼きそばを追加でもらえるみたいだ。

それ以外はずっと部屋の中で過ごすが、私は根っからの引きこもり・おひとりさま性質なのでむしろ快適に気ままに過ごしていた。
たまに友人や家族と電話したりLINEしたり、ちょうどいいくらいの距離感。
隣の部屋からは一日中ずーっと話し声が聞こえたので、電話でもしていたのだろう。寂しがりやなのか知らないが、少しうるさかったので私は対抗して大声で歌っていた(真似しないでください)。
なお何日間も隣から昼夜問わず声が聞こえ、特に深夜は眠れないほどうるさかったので看護師さんに相談したら、周囲の部屋みんなから苦情が来ていたようだった(そして注意してくれたらしい)。私も歌ったりしてごめんなさい。

土日を挟んだが、ホテル療養に入るまでの数日欠勤してしまったので、土日もテレワークで作業をしていた。テレワークはマイペースにできるから本当に精神的に楽。療養中なんだから休みなよ!と友人や家族にはよく言われたが、寝坊したり昼寝したりまったりしながら隙間時間で仕事してただけなので、全然苦労しなかった。
テレワークについては、インターン時代にも取り組んでいた作業内容だったので、途中何度か社員さんに質問したりしたが、問題なく進めることができた。これで研修中とか足並みを揃えなきゃいけなかったりしたら大変だっただろうから、幸運だった。

⑤退所

そうこうしているうちに、退所の日を迎えた。
前日に症状について詳しく看護師さんと話した上で、退所の許可が出て、手続きを行う。
部屋に散乱する荷物をキャリーケースに詰める。捨てられるものはゴミ袋にまとめて部屋に置いておいた。無事にキャリーケースに収まり、一安心。

退所当日。
10時過ぎに部屋を出てくださいとの連絡が来て、それまで準備をしながら待機。
久しぶりの外なので、日焼け止めを入念に塗る。
シーツ類は所定の回収ボックスに入れなくてはいけなかったので、朝食の時についでに入れておいた。
1週間以上過ごした部屋からやっと出れるということで、感慨深さもある。やっと家に帰れる。
時間が来て、部屋を出ると、数名ほど他にもキャリーケースを転がした人に会った。
貸し出されていたパルスオキシメーターとルームキーを返却し、ソーシャルディスタンスを保ちながら書類を受け取り、帰る。前を歩くヤンキーの男の子は不愛想にスルーしていたが、私はスタッフの方々に深く一礼した。
受け取った書類の中には、保険の申請に使える証明書(の申込書)や退所後の注意事項などが入っていた。
電車に乗り、帰路につく。
最寄り駅まで迎えに来ていた母の車に乗り込み、やっと帰宅した。

帰宅。愛犬と感動の再会を果たす。
愛犬が尻尾を振りすぎてお尻を振る、くらいに喜んでくれた。久しぶりに会うとますます毛が伸びてぬいぐるみのよう。
私はここでまさかの人見知りを発揮し、少し接し方が分からなくなっていたが、翌日にはいつも通りじゃれあっていた。

帰宅後は、どっと疲れが出て沼のように寝た。
それまで一日100歩くらいしか歩いていなかった(食事の受け取りのための部屋とロビーの往復)ため、体力が著しく落ちていたようだ。
家に帰るだけでとてつもなく疲れた。
帰宅した後数日は家の中でも念のためマスクをつけて過ごした。ホテルも悠々と過ごせて楽しかったが、やっぱり自宅は居心地が良い。

それからさらに1週間は自宅にてテレワークなので、ゆっくり体力を戻しながら社会復帰を目指していきたい。

なお、社会人になるにあたりちょうど保険に入っていたので調べてみたら、どうやらホテル療養も入院と同様の扱いとして保険金が出るようだった。なんだかあまり嬉しくないが、貰えるものは貰っておく。
寛解したらお世話になった家族や友達とご飯にでも行くのに使いたい。

⑥コロナ療養中に思ったこと

最後に、コロナ療養中に一番変化の大きかった、メンタルの話をしようと思う。
私は身体的な症状は特に出なかったが、度々触れているようにメンタルを抉られるようなことが何度かあった。
誤解がないように伝えると、私の周りの友人や家族は皆私のことを心配し、気にかけ、優しく接してくれた。改めて恵まれていると思った。
さらに、私の周りでPCRを受けた人は全員陰性だった。つまり誰かにうつしたとかしてないから、そこに気を揉むこともなかった。不幸中の幸いである。

それでも、辛い思いはした。
これだけ世の中で流行っていても、いや流行っているからこそか、感染すると周りから少なからず嫌な目で見られ、誤解された。バイ菌扱いされた。当たり前の対応だが、実際にやられると辛い。
コロナは発症から3日ほどで感染力がグッと落ちるらしい。しかし、PCRを受けてもしばらくは陽性は出続ける。感染力がないことは証明できないが、経験則によりホテルから出所することとなる。私自身も、大丈夫なのか不安である。
職場は私からの申し出に快く応じ、しばらくの自宅待機(テレワーク)に対応してくれた。その後には連休もあるし、出社する頃にはだいぶ時間も経つから差別とかは受けないと思う(と信じたい)。
分かっているが、出社してどんな目で見られるのか、怖い。ましてや新人だし、仕事もちゃんとテレワークでこなしているけど、陰でなんと言われるのか。その宿命からは逃げられないけど、怖い。

また、実際に濃厚接触者であったのは母だけだし、連絡する必要があったのも、せいぜい職場くらいで、そこまで多くの人数ではなかった。
濃厚接触に全く当たらないので、連絡の義務はないのだが、もしかしたら同じ感染経路から同時に感染している可能性もあると思い、念のためちょっと喋っただけの友人含めかなり多くの人に連絡した。

私は大人数の会食もしてないし、外出も必要以上にしていたわけではない。よく言われる飲食についても、直近2週間だと友人と2人きりで一度夕食を食べたのみである。どちらかというと気をつけていた方であったと思う。
まぁそれでもかかったのだから言い訳無用だし、間違いなくもっと気をつけることもできた。
でも実際に感染すると、気をつけないでそういう行動をしていた人と一括りで「感染した馬鹿な若者」というレッテルを貼られたような気がした。
会社もそうだが、多くの人に感染したことを知られるということは、そのレッテルをより多くの人に貼られるということである。
もちろん私の性格や行動をよく知っている友人や家族は、そんな風には思わないだろうが、よく知らない人はきっと思ってしまうだろう。
これに関しては彼らが悪いのではなく、社会が悪い。だけど、いくら社会を嘆いても、私のレッテルは、私のことをよく知ってもらうまで剥がれない。

それを分かった上で、私は自分の卒業した学校の恩師にも連絡した。恩師から関係者にも話が行っただろうから、数十名の人が私の感染を知ったことになる。
理由は簡単である。私のチンケなプライドよりも、母校の人たちが健康でいてくれることの方が大事だったからだ。
少なからず同じ環境に身を置いたから、感染のリスクは等しくあったはずだ。そこでもし注意できれば、用心できれば、きっと何かあっても素早く対応できるだろうし、乗り越えやすいだろう。

しかしこの時の伝え方が悪かったようで、私のこんな思惑は伝わらず、予想以上の不安を抱かせてしまったようだった。
返ってきたのは心配よりも、むしろ、なんでそんなことを言ってくるんだ、学校生活に影響が出てしまうじゃないかといったニュアンスの言葉だった。
恩師にそんな気はなかったかもしれないが、ひどく責められた気がした。
別に伝えなくてもよかった、私は100%うつしてないから。なのに何で、私の善意は邪険にされたのだろう。分からなかった。
インパクトのある報告であっただけに、伝え方を考えなくてはならなかったと今では反省している。でも、この時に言われたことは深く胸に刺さったままだ。
その後恩師と話す機会があった時に、「災難でしたね」と言葉をかけられた。きっとあの時の恩師にも、私を責めるつもりはなかったんだとその時思った。それでも私は傷ついてしまった。

こんなことを言っているが、私は割と楽観主義者なので、本当に辛かったのは感染がわかったその瞬間くらいで、それ以外は「かかってしまったからしょうがないさ〜」という感じだった。
療養も面白い経験だったし、比較的のびのびと過ごしていた。むしろ周りの人の優しさ、医療従事者をはじめ多くの人のありがたさに気づけて、良かった。
でも間違いなく、感染しない方が良かった。私はこれから「新人でいきなり感染したヤツ」というレッテルを貼られたまま生きていかなくてはいけない。
まぁもう割り切って、こんなnote公開しちゃうんですけどね。

こんな風に思ってるのも、私が自意識過剰で勝手に傷ついているだけかもしれない。
周りの誰も思っていないかもしれないし、そもそも社会が作り上げた「感染は悪だ」という観念に囚われているのは私の方なのだと思う。
ホテルでは、「感染拡大防止のためにホテルに入ってくれてありがとう」というスタンスで受け入れられた。びっくりした、感染して迷惑をかけているのは私達なのに、お礼なんて言われる筋合いはなく、むしろ療養の面倒見てくれてありがとうなのに。

実際に感染して、いろんなこと、感染力の話や隔離の実情など、調べてみて実際に経験してみて、これまで抱いていた「コロナ感染」に対するイメージとあまりにもかけ離れていたことに気づいた。
そしてこれまでのイメージは、間違いなくメディアによって形成されたものである。もうこれだけ感染者が増えれば、どんなに気を付けても身近にウイルスは潜んでいるし、誰しもがかかる可能性がある。気を付けた方が感染する確率はもちろん下がるけど、気を付けていない人が感染しないこともあるし、気を付けている人が感染することもある。

だから私から伝えたいことは、もっと実情を知ってほしい。一人一人が、イメージに踊らされずに、向き合って欲しい。特に、周りに感染者がいたら、対応には気をつけて欲しい。必要以上に怖がらず(きちんとした感染対策は必要だが)、普段通りに接してあげてほしい。
そして、各々が、些細な体調の違和感にも、敏感になってほしい。これは人によっては難しいだろうが、みんながこれをするだけで、きっともっと感染は抑えられるのではないかと思う。

留意してほしいのは、これらの意見は私がほとんど無症状であったからこそ出るものということだ。感染者の中には生命を脅かされるほどに悪化する人もいる。一方で、私のように症状が軽い若者も多いこともまた事実であるので、もし周りに私と似た状況の人がいたら、心に留めておいてほしい。

なぜ感染するのか、どうすれば感染リスクがあるのか、あるいはどうすれば抑えられるのか。それをしっかり考えて、行動すればいいと思う。
なぜ会食がダメなのか、なぜ学校や会社は通って良いのか。以前の私含め多くの人が、メディアや政治家が言うことを、そのまま受け取ってよく考えずにフラストレーションを溜め込んでいたのではないだろうか。
例えば10日間の隔離を経てホテルを出てから、色んな人に何度も言われた言葉がある。
「2週間経ってないんじゃないの?」
コロナは発症してから数日間のみ感染力を持つこと、だから発症してそれが治れば、問題はないと今は判断されていること。これを知っていればそんな言葉は出てこないだろう。

誰しもがかかる可能性のある病気だ。
だからこそ、きっちり理解する、理解しようとすること、そして考えて行動することが大切だと思う。その一助に、この拙い文章がなれば、と願っている。もちろん私もすべてを理解したわけではないが、今回の経験を機にかなり意識が変わったと思う。

最後になるが、心配し、気遣ってくれた皆さま。ホテルは寂しいだろうと連絡を取り、長電話に付き合ってくれた友人たち。迷惑をかけたが柔軟に対応してくれた職場。たくさん手助けしてくれた家族。そして何より、ひたすらにケアし続けてくれた自治体の担当者の方、医療関係者の方々にとても感謝している。

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