赤ちゃんを抱っこして我が家の「坊」を思い出す
赤ちゃんを抱っこしたのはいつ以来かしら。
お向かいの家の娘さんが初産で里帰りしていた。
幼い頃から我が家の子ども達ともよく遊んでくれたリオちゃんはもうすっかりママの顔だ。
早速抱っこさせてもらうと、私の腕の中にすっぽりと収まる。
赤ちゃんってこんなに小さかったっけ〜?と改めて思うほどちっちゃい。
もうすぐ2ヶ月になるというジュンくんは、ゆらゆら揺らしながら背中を優しくトントンすると瞼をゆっくり閉じた。
そしてしばらく私の腕の中でスヤスヤと眠ってしまったではないか!
なんて愛しいのでしょう。
そうそうこの感覚。
赤ちゃんを抱っこした時にこんなふうに寝てしまうと、『やったー!』と達成感に似た感覚を覚えるのだった。
むかしむかしのこの感覚を懐かしく思い出した。
「まだ私も現役ママさんに負けないわ!」なんて自信持ったりして。
ちょうどお散歩から帰ってきたところで会ったので、ジュンくんも少し疲れたのか私とリオちゃんが賑やかにお喋りしている間も気持ち良さそうに穏やかな表情で寝ている。
新米ママのリオちゃんは、「抱っこしてくれる人が増えた!」と喜んでくれた。
そうだよね。この時期、ママは24時間体制で面倒をみてるから誰でもいいから抱っこしてて欲しいって思うのよね。
いつでもベビーシッターを買って出るわよ!と言いたいところだが、ほんの2〜30分抱いていただけなのに翌日は腕が筋肉痛で肩が凝ってしまった。
まだこの世に生まれ2ヶ月足らずのジュンくんの未来は希望に満ちあふれ、その小さな命の塊からは計り知れぬ大きなエネルギーとパワーを放っているように感じ、私は赤ちゃんの持つ生命力に圧倒された。
ジュンくんの健やかなる成長を心から祈りつつ、23年前の息子に思いを馳せる。
ずっしりと重くて硬くて大きな赤ん坊だった。
母乳とミルクをたくさん飲みスクスク育った。
4ヶ月検診の時にはそこの会場で1番のジャンボくんで、保健師さんからは「健康優良児そのものです」とお墨付きをいただいたが、息子より4歳上の娘は「赤ちゃんってもっと小さくてかわいいと思ってたー」とよく嘆いていた。
息子はハイハイやつかまり立ちが出来るようになると、どこか遠い星からやってきた怪獣なのかと思うくらい家中を荒らしてまわった。
中身はまだまだ赤ちゃんなのに背が高くて手足も長いので私達が想定しないことが起こる。
届くはずないと思っていたドアノブにも手を伸ばしてぶら下がってドアを壊したり、ソファによじ登ることができたと思ったら家のあらゆる所に登るようになりテーブルやキッチンのカウンター、ピアノの上にちょこんと座っていたこともある。
階段だってあっという間に登れるようになり知らない間に2階の部屋にいたり、、。
大量のヨダレをダラダラ垂らしながら家中を徘徊していた。
その姿はまるでジブリ映画の「千と千尋の神隠し」に出てくる「坊」のようだったと今も我が家の笑い話のネタになっている。
映画の中の「坊」は母である湯婆婆に甘やかされて育ちワガママ放題だったが、主人公の千尋と出会い外の世界を知ることで母の呪縛から放たれてたくましく成長していくのだが、我が家の「坊」も同じだったかもしれない。
好奇心が旺盛で興味を持つと何でも挑戦したい性格だった息子は早くから外の世界へ積極的に飛び出して行った。
家とは異なる環境では息子と関わる様々な人達が息子の心と体を大きく成長させてくれたと感謝している。
この映画の監督である宮崎駿さんは物語を通して「大丈夫、あなたはちゃんとやっていける」ということを伝えたかったと語っていたそうだ。
主人公の千尋が両親を豚にされてしまい孤独ながら懸命に仕事を探して自分の生きる場所を得て成長していく姿に勇気をもらった人は多かっただろう。
気が付けば、あっという間に23年の月日が流れ息子はもう私の腕の中に戻ってくることはない。
社会人となり現実の厳しを目の当たりにし戸惑っている様子の息子だが、必ず自分の生きる場所を見つけて自分の力で自分の人生を切り開いて行けると母は信じているよ。
ジュンくんの温かくて柔らかな感触が私の腕にまだ残っている。
ジュンくんもいずれリオちゃんの腕の中から旅立つ日が訪れることだろう。その日までリオちゃんにはジュンくんと過ごすかけがえのない「今」を日々楽しみ慈しみ、そして大切に育んで欲しいと近所のおばちゃんはそっと願っている。