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母のポテサラを褒められてスキップした日

「これをお隣に持っていって〜」

実家の辺りでは、私が子どもの頃はちょっとした手作りのおかずをご近所さんにお裾分けするようなことが頻繁にあった。

ポテトサラダを盛ってラップをかけたお皿を私は両手で慎重に持ち、慣れた足取りでお隣の家の勝手口から入って行くのだ。

心の中でそっと「めぐちゃんが出てきますように」と祈りながら。

いつものように薄暗い土間から大きな声で「こんにちは〜」と叫ぶと、奥からジーンズ姿のめぐちゃんが出てきた。私はヤッタ!と思いながら、
「これ、お母さんが、、、」と言ってお皿を差し出すと
「わー、嬉しい!私、おばさんのポテトサラダが大好きなんだよねー!ありがとう」と言ってめぐちゃんは優しく笑ってくれる。

背が高くて美しい顔立ちをしているめぐちゃんは何かの専門学校に通っているらしかった。
いつも明るくて、大きな口でハキハキと話す人だ。

中学、高校生の頃のめぐちゃんは、何だか周りにいる他の学生とはどこか雰囲気が違って見えた。
私は幼いながらも、大人っぽいめぐちゃんに憧れていた。

めぐちゃんのおばあちゃんも出てきて、土間に置いてあった泥のついたネギを手早く新聞紙に包み「ありがとうねー、これをお母さんに持って行って〜」と言っておばあちゃんの畑でとれたネギを沢山くれた。

ぶつぶつ交換だ。

めぐちゃんはいつも『おばさんのポテトサラダ』と言ってすごく喜んでくれる。

そして母に会うと「おばさんのポテトサラダは本当に美味しいのよねっ」と言って母を喜ばすのだった。

だから母はポテトサラダを作ると必ずめぐちゃんにもお裾分けするのだ。


私はネギを抱えてスキップして家に戻ると、
「めぐちゃんが喜んでたよ!」と母に伝える。


『ポテトサラダ』をメグちゃんに褒められると、私はすごく嬉しくて、とっても誇らしかった。

うちのポテトサラダは特別で、特別なポテトサラダを作る私のお母さんはすごいんだ!と胸が高まった。



家では母の料理を特に美味しい!!とかリアクションする習慣がなかった。

父は気に入れば黙って全部食べるし、気に入らないときは箸を全くつけないような人だった。

私も妹も毎日いつもの母の手料理を普通においしく当たり前に食べるだけだった。


家の食卓には華やかな料理が並ぶことなどなく、大根と里芋の煮物や、きんぴらごぼう、きゃらぶきと小女子炒め、切り干し大根の煮物、芹の胡麻和え、ナスの油味噌、ぬか漬け、、、そんな季節の野菜を使った茶色い料理ばかりだったし、母は家族にも、他の人にもいつも
「私はこんな田舎料理しかできないから、、」「私は気の利いたものは何も作れないのよ〜」
と言っていたので、私は母はあまり料理が得意ではない人なのだと思っていたのだ。

ハンバーグやグラタンやスパゲッティを作るお母さんが料理上手なお母さんなんだと思っていた。


私と妹が「母は料理上手」と知るのは大人になってからだった。

一人暮らしを始めてしばらくした頃、実家のいつものご飯が懐かしくて自分でも作ってみたが、なかなか母のようには出来なかったのを覚えている。

母の田舎料理は実はどれもとても美味しい。
味付けの塩梅が絶妙だ。
そして何より作るのが早い。
冷蔵庫にあるものでパパッといつもの決まった味のおかずを何品か作る。

ポテトサラダだけじゃなくて他の料理も美味しいことに私は家を出てから気付いた。

そう言えば、町内の会合などで料理を作ることがあると、皆、母に作り方を聞いてきたり、味付けだけは母に頼んだりしていたものだ。


しかし母は相変わらず自分は料理が出来ないと言い、時々私が手料理を振る舞うと、「あなたは本当に料理が上手だねー。私にはこんなのとても作れないわー」と大袈裟なくらい褒めてくれる。

私は母の味に少しでも近付きたくて、料理本を何冊も買い勉強した。
レシピ通りには作れても、手慣れた手つきで調味料も計らずにパパッと味を決めてくる母の域に追いつく為には日々精進だ。


正月やお祭りなどのおめでたい日や、親戚の集まり、大切なお客様のおもてなし料理でもある母のポテトサラダ。

『母のポテトサラダ』には必ず薄くスライスしたりんごが入っている。
そして少し中濃ソースをかけて食べるのが母のおススメだ。

高齢で一人暮らしの母は、最近ではあまり人に料理を作ることはなくなってしまったが、私達家族が訪れた時などは、せっせと沢山のジャガイモを茹でてポテトサラダを作りはじめる。

ジャガイモのホクホク感とりんごのシャキシャキした食感がアクセントの母のポテトサラダを
皆んなが笑顔で「美味しい」と言って賑やかに食べる。

私は母の嬉しそうな顔を見ると胸が熱くなった。

めぐちゃんに褒められて得意になったあの時の気持ちを思い出しながら、 
「お母さん!美味しい!」と何度も何度も言ってしまう。

母は私がスキップして帰ったことは今も知らないけれど。











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