「目的地としての東京」を経て(柑橘系)
両手になんてとても収まりきらない柑橘のレモンを狭い時間の中に閉じ込めて、力の許す限りに搾っていたような旅でした。
東京。場所としての東京じゃなくて、目的地としての東京。
どこに行っても誰と会っても、そして時代がどれだけスリムでスマートになっていっても、また人や街がそのような様相になっていたとしても、人と心で繋がることが社会で生きていく上で1番大切なことだということ。それを、歌いに行くことを通して確認することができました。
そして、一見無駄に見える過程を時間の許す限り多く踏み続けることが、本当のことを見る上で大切だということを感じました。
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例えば、歌う場所を決めなかったことでその街に生きるいろいろな人と直接その場で話をすることができたこと。例えば、新幹線に乗れば途中の全ての街の営みをすっ飛ばすことになること。
下北沢がおしゃれで綺麗でたくさんのルールが敷かれていく傍ら、高円寺が人間の隙を許容する受け皿を街や人が残し続けていること。そして、そこに人とのあたたかな繋がりが生まれていくこと。
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人肌の心をいつも確かめ抱きながら、削ぎ落とされ整頓された時代に生きる人と、人間として生き続けたいなと思った。
電車の中、ボロい服を着て酔っ払った笑顔のじいちゃんが、足の不自由な女の子に靴はニューバランスがいいと話しかけていた。明らかに空気の違うその声かけに女の子は怯えるようにうつむいていたんだけれど、しばらくして隣に座っていた端正なシャツを着た色白のおじさんがそのじいちゃんの言葉をうんうんと笑顔で聞いて、ついには会話をし始めた。するとね、じいちゃんはもうその女の子のことは忘れたかのように、色白のおじさんと話し始めた。とても安心したかのように、とても愉快に。(僕らは)同じ歳くらいかもしれないねぇとか言いながら。車内はその2人の会話だけが聞こえていた。
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例えばこれも、そうなのかもしれない。人によって受け止められることは違う。考えも育ちも今の境遇も違う。けれど、誰かが誰かを受け止めることで、そこにいるみんなが安心して今日を生きれるような気がした。あのおじさんのように、僕はなりたいと思った。
SNSで僕を見つけて繋がってくれていた人が高円寺まで聴きに来てくれたりもした。時間の遅れた下北沢へ着いた瞬間に声をかけてくれた東京の友人がいたりもした。
街は綺麗を保とうとしているのに、どこからか下水の臭いがする瞬間がある。タバコの吸えなくなった路上の脇で、タバコが吸えることを売りにした喫茶店の空調が4分で全空気を入れ替えられるようになっていく。
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新しい世界を見続けたいなって思った。それは足を運ばないと分からない。急いでいても分からない。ましてやスマホにこうやって文字を打っている間にも僕はどんどん名古屋に向かって静岡の風景をすっ飛ばしていく。
目的地を決めて、そこへ向かうこと。そのときに通る過程に、まだまだ知らない大切なことがたくさんあるんだと思った。書ききれないね。文字もまた何かを削ぎながら一生懸命何かを残していく。握ったレモンを搾り切りたいけれど、あとは時間に任せて日々の人生にて。忘れながら血肉にしていきます。
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次のライブは、9/16(土)京都。目的地を見定めたら、また歩き出せる。最後まで読んでくださった皆さんありがとう。これからもお元気で。この先のどこかでまた直接会いましょうね。それを僕は音楽でやっていきます。
https://haruramoneru.tumblr.com
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