長くいることの罪深さ
確か、大学2年のときのガイダンスの時だったと思う。
同じ学科の女性の先輩がいて、
「このキャンパスには罪深い人ほど長くいるんですよね。
私も9年もいるので、とても罪深いんです。」
とおっしゃってたのがものすごく印象に残った。
「修士まででも6年だけど、さすがに9年はいないだろうなぁ。
私が博士課程に行くわけないし…。」
と思って余裕ぶっこいていたのだが、
私も結局7年もあのキャンパスにいてしまった。
やはり、私も罪深かったのだと思う。
初めてあの無機質なキャンパスを訪れたのは、
入学手続きのときだった。
国立後期試験に落ちたのを確認した足で大久保に向かったので、
精神的にもかなりキツかった。
あまりにも工場な建物しかないので、
「ここに最低4年は通わなきゃならないのか😓」
ととても失望したし、
「もしオープンキャンパスで訪れていたら、
絶対志望校から外しただろうな」
と直感的に思った。
それなのに、7年もいてしまった。
住めば都というか、住めば都の西北というか。
(住んでないけど)
学部1年のときなんて、国立を受け直そうかとか
そんなことばかり考えていたのに、
学生を終える頃には愛校心の塊みたいになっていた。
面白いもんだよね🙁
この大学にしかいたことがないから他の大学がよく分からないのだけど、
“大学は何もしてくれない”くらいの程よい自由放任な感じが
私には合っていたのだと思う。
何でもアリな雰囲気が好きだった。
逆に、諭吉さんの大学みたいに管理がガチガチに行き届いてる大学だと
私は学生生活を楽しめたのか怪しいと思っているし、
第1志望の国立に行けてたとしてたとしても
馴染めていたかどうか分からない。
ま、いくら居心地いいからって、
7年もいちゃダメだなとは思っている。
しかも、私は最後に大学に対し、
「お金(授業料)を貯めて戻ってきます!」
と言い残してきているのだ。
戻れるのかどうか、戻る場所があるのか、
かなり怪しいもんではある。
ただ、“働くのがキツいな”と感じたときは、
『自分のお金で大学に戻る』と言い切ったことを思い出すことにしている。
初心に帰るということ。自立するということ。
自分が働く理由は何かということ。
頑張ってはいたものの、四方八方いろんな方向に飛び回りすぎて
どこに向かっているのか分からないような、
ダメすぎる20代の学生時代だったけど、
たまに過去の自分の“頑張り”に救われたりする。
そんな人生も悪くないかな、と最近思う。