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四国八十八ヶ寺巡りDay1 香川編① BRZ紀行



今回の計画

2月初旬の寒波が終わり、もう強い寒波は来ないだろう..と思い、2月19日から4泊分の宿を予約したのは一週間ほど前のこと。
ところが、この冬一番の寒波がもう一度やってくるとのことで、出発する朝まで天気予報と睨めっこ..
どうやら四国方面の雪は当面心配なさそうなため、鳴門を基点にグルっと左回りして、香川県と高知県のお寺(黄色マーク)を参拝する予定で、とりあえず出発することにした。

参拝ルートマップ(黒:済、赤:未、黄:今回)

2025年2月19日

四国上陸まではナビの誘導に任せ、名神高速から阪神高速7号を通って明石海峡大橋を渡った。
淡路SAで最初の休憩。観覧車のうしろには青空が広がり天気は大丈夫そう。

淡路SA

鳴門北ICで高速道を降り鳴門スカイラインへ。随分前にバイク(VFR800)で走って以来久しぶり。鳴門の海を背景に写真を撮った記憶がある。

小鳴門新橋の駐車場に車を停め、橋下の海を見ると、潮が川のように流れている。
その一方で少し先の入り組んだ地形の海に目をやると、釣り筏が点々と浮かび、海面は鏡のように静かなのが対照的。

釣り筏

R11を西進。きたなだ 海の駅をナビにセットしていたが、昼食の時間にはまだ早くそのまま通過。道の駅 津田の松原 で昼休憩にした。折角の香川県なので昼食はうどん。昆布うどんに大きな揚げさんをトッピングした。出汁の味はちょっと薄い感じかも..

うどん県最初のうどん

もう何年も前に、わんこと四国車中泊旅をした際、確かこの道の駅で休憩した。当時は軽自動車のソニカで、狭い車内で二人匹で毛布に包まって寝たのを思い出す。楽しい旅だった。

海岸に神社のような、そうでないような石造りの施設があった。観光案内板を見に行くと小屋の中から人が出てきた。何の施設か聞くと近くにある石清水神社の御旅所とのこと。

岩清水神社の御旅所

松の木が立ち並ぶ参道の脇に「わたしを5分間使って下さい」と書かれた立札と熊手があった。

使って欲しそうな熊手

86番 志度寺

今回最初に参拝するお寺は、86番 志度寺。海がすぐそこに見える所に駐車場があった。志度寺には過去に二度来ているが、山門がどこか分からずしばらくうろうろ..
前回参拝した時の、お寺とその周辺の景色が印象に残っているところと、そうでないところがある。ここは前者で、それはそれである意味新鮮さを感じるが、前回訪れた時の心にゆとりが無かったのかも..と思ったりもする。

五重塔

86番 志度寺 境内の立て札に、次のような縁起が記されていた。

「志度寺縁起」(鎌倉時代末期の成立)などによれば、推古天皇33年(625)、この地の尼・凡薗子(おおしそのこ)が志度浦に流れ着いた霊木で十一面観音像を造って安置したのが始まりと伝える。
その後、天武天皇10年(681)に藤原不比等の妻であった志度の海女が、子・房前のために海中の竜神から玉を取り返そうとして無くなったので(「海女の玉取り伝説」)、海浜の小堂の傍らに海女を葬り、その菩提を弔うため精舎が建立された。持統天皇7年(693)に藤原房前は行基とともにこのお堂を訪れ、伽藍を整備し、『法華経』8巻を納めるとともに、千基の石塔を立てたと伝えられている。

86番 志度寺縁起
86番 志度寺 3つ目の御朱印を頂いた

85番 八栗寺

ナビに 85番 八栗寺 をセットして向かった。自転車やバイクで巡っていた頃は、地図やへんろ道の案内板を見ながら次のお寺を目指していたが、車でナビを使うようになってからは、時々とんでもない細い道に誘導されることはあるものの、ほぼ迷うこと無く目的のお寺に着くことができるようになった。それが楽で良いことかどうかは、少々の疑問が無きにしも非ずだが..

駐車場に車を停め参道の方に行くとケーブルカーの駅があった。前回参拝に来た時にケーブルカーに乗った記憶がない..
お寺近くまで車で行ける裏参道もあるようだが、当時はそっちから登ったのかな..と思い出せない..

ともかくも、今回はケーブルカー(往復1000円)を使わず、参道をゆっくり歩くことにした。

激坂のはじまり

しばらくは意気揚々で歩いていたが、すぐにものすごい急勾配になり、ちょっと進んでは休憩の繰り返し。ケーブルカーに乗ればよかったと後悔したが、今更引き返すのもナンなのでそのまま進むことにした。その先には激坂がずっと続いていた..

スマホの地図に参道が載っておらず不安になっていたところ、何かの施設を点検?に来ていた人に、お寺まで行けることを確認した。

やっとのことでお寺に着いた。下界が一望できる所があり、登ってきた高さが分かる。

下界を一望

帰宅後に調べた八栗寺縁起の一部要約は次の通り。

宝亀年間(770~781年)、弘法大師が幼少の頃、五朶の峰に登山して土泥で三千仏及び十王の像を作って遊んだ。その後再びこの峰に来て虚空蔵聞持法を勤修すると五柄の剣が降ってきた。その時金剛蔵王が「この山は仏教相応の霊場である、ここに伽藍を建て三宝を納めれば擁護する」と告げた。大師は中嶽に蔵王の権扉を開き五剣を埋めて山の鎮護とした。故に五剣山と称す。また大師自ら千手観音像を刻み、堂宇を建て安置した。故に千手院と名付けた。同時に五剣山第四の裾に四仏の像を刻み、中嶽の岩面に毘盧遮那を刻み、絶頂に登り四方を展望すれば八ヶ国の境界があり始めは八国寺と称した。延暦年中(782~806年)に大師が入唐する前に、またこの地に来て焼き栗8個を植え、帰朝の後に栗が生長したのを見て八栗寺と称した。

85番 八栗寺縁起の一部要約
85番 八栗寺 3つ目の御朱印を頂いた

参拝を済ませ納経帳に御朱印を頂いた頃から、雪がバーッと急に降ってきた。今週は寒波が来ているため、千切れた雪雲がこの辺りに流れ込んできている感じ。

雪を払いながら急勾配の道を下っていると、つま先での踏ん張りが辛くなるので、時々後向きになりながら下った。

感覚的には45%

駐車場に着いた頃にはかなりの雪が降っていた。

雪..どうしよう..

84番 屋島寺

雪が降り続いているため 84番 屋島寺 の参拝を中止して宿泊先に向かっていたが、行く先の空に晴れ間が見え始めたため、ナビに 屋島寺 をセットし直し向かうことにした。

頂上にある駐車場は広い。料金は 300円。観光バスも停まっていて若い観光客らしき人が多くいる。境内に向かって歩いているとなんとなく前回来た時のことを思い出してきた。

帰宅後に調べた屋島寺縁起の一部要約は次の通り。

鑑真和尚入朝の時(754年)、内海航行中、風波の難を避け、此地の七佛法施の地なるを相し、京師に至りて之を帝に奏し、弟子恵海をして同島北嶺に屋島寺の前身たる一宇普賢堂を建立せしめた。

84番 屋島寺縁起の一部要約
84番 屋島寺 3つ目の御朱印を頂いた

参拝を終え展望台に行くと下界が一望。皿投げの的?にする輪っかが目先の空中にあった。

展望台から

ガラス張りの廊下が円を描くようにグルっとひと回りしている施設があった。中に入ると暖房が心地よく、Cafe のようなお店があった。


今夜は高松市内のビジホ泊。自転車を借りて地元スーパーまで夕朝食の買い出しに行った。
部屋で夕食をとりゆっくりしていると、隣室との壁は薄く隣客の声が丸聞こえだった^^


Day2 に続く(作成中)

四国八十八ヶ寺巡りDay2 香川編② BRZ紀行
82 根香寺、81 白峯寺、80 国分寺、79 天皇寺、78 郷照寺、77 道隆寺、76 金倉寺

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