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どこでもかんじるこどく


先日のキャリア面談から1週間経ったのか。
noteを書くのも気を緩めると平気で1週間も経ってしまう。この1週間は少し心が忙しかった。突然孤独に感じては、料理を楽しんだりSNS発信したりして気を紛らわせていた。毎日何か生産したり新しいことしなきゃ、など少し義務感に駆られていた気がする。

私は、高校卒業から地元を離れて10年以上が経つ。毎年何かしら帰省していたけど、昨年帰省した時に親戚や友達と久しぶりに集まった喜びに胸がいっぱいになった。私にも地元と呼べるところがあるのかもしれない、と。大嫌いな母とも、久しぶりに会ったからか割と仲良く過ごせた。
だから、今回フリーランスになるにあたって地元に帰ってきたわけだけど、現実は思っていたものと違った。

母との物理的距離が近くなったせいで、忘れていたいやなところも見えてくる。当たりが強いところや金銭面を求めてくるところ、自己中な発言。
ここ最近、仕事について何度も状況について聞いてくるLINEがあり、温泉に行こうと執拗に誘ってくるので、ついになにもせず休んでいることを打ち明けた。そうすると、急に口調が変わり、心配だと言って電話をしてきた。
「干渉しないでほしい」と伝えたが、次の日にはまた「会ってくれないなんて私に対して失礼」と怒りをぶつけてきた。どんな神経やねん。

期待しちゃいけないのに、大人になれば仲良くなれるはず、母と二人で旅行に行ったり仕事や恋愛の話をして楽しく過ごせるかも、と思っていた。でも、そもそも人の話をちゃんと聞かない人だから会話が成立しないし、一緒に過ごして最後まで楽しく過ごせたことなんてほとんどない。

そしたら今度は、産んでくれた母を嫌う自分が親不孝者なのではないかと、自己嫌悪になった。近づこうとするほど、拒否反応が出る。でも、もらってないもの(愛情)は返せないし、いまだに親しみすらわかないのよ。

親戚の人たちも、たまに会うから楽しいけど日常に入り込むほどの親しい距離感ではないし、働いていないと言ったら妙な顔されたり、接し方に迷われるだろう。

いわゆる「あったかいホーム」みたいなものは、地元にないと気付いてしまった。

近くに住む親友はどうか。

この前会ったとき以来、グループLINEの会話が弾むかと思ったら、そんなことはない。話しかける人はほぼ私だけで、それも明らかに暇だから頻度が増えている。そんな状況にまったく反応がない日もあった。私が精神崩壊したと言ってからまだ日もたってないのに元気なようにしているから戸惑っているのか?なんなんだろうか。

そんなふうに、無駄に心配になったり、みんなそれぞれ家族や恋人など強い関係性があったり、忙しくて、友達の優先順位が低いのかな、きっと深い意味はないだろう、などと心の中で折り合いをつけたりした。

そこで気づいたこと。あ、わたし結局東京でも地元でも孤独なんだ、と。
しかも地元に頼れる人が近くにいると思っていたからこそ、物理的距離がより一層孤独感を強めている気がする。

前に、仕事のストレスが強くて精神参っていたときに当時の彼に頼っていたとき、「俺に頼りすぎじゃない?」って言われたのが心に突き刺さった。(結局、その時は相手も仕事で参ってたので受け止めるキャパがなかったのだけど)
その時に学んだのは、頼る人はいっぱいいたほうが良くて、分散したほうがいいと。

でも、そんな人たくさんいないよ。私は今、正直この状況を話せていて、かつ近くに住む信頼している友人を頼りにしていたけど、私だけだもんな。こんな暇でかまってほしいと思っている人。もっと関係性の強い人がみんなにはいるんだもんな。

世の中の大人は、人とじゃれ合わずに自分の悩みはなんとなく自分で解決して、一人の時間をそれなりに楽しんだりしているのだろうか。たわいもない会話をする相手っているんだろうか。

そういう人がいなくて寂しくて、恋人を作ったり結婚したりするんだろうか。

東京は、孤独を感じている人が集まった土地だと勝手に解釈しているけど、逆に集団に紛れることができて居心地がいいのかもしれないな。

もっと、必要以上に孤独を感じることなく、日々過ごすことに充実感を得られて自分に夢中になれるようになりたい。

誰かとじゃれ合わずとも、凛とした大人になりたい。



と思ってるのだけど、昨日は自分が主人公になったと感じれる1日だった。
昨日はずっと休館していた図書館が開館になり、本をたくさん借りて街を1万歩歩いて、帰りに有名なケーキ屋さんでケーキを買って、帰って本を読んだ。体を動かして新しい知識も入れて新鮮な味を楽しみ、〆にお風呂に浸かることがとんでもない幸福だったので、まずは「疲れたな」と感じられる運動習慣をつけていきたいな。


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