中学の現国で書いた作文のタイトル↑と同じ物で、今の私を書いてみた。【part1】
①私は『寂しがり』である。
→そう、かなりな寂しがりだろう。
だからといってベタベタとくっつかれると、距離をおきたくなる。だからといって一人で何も出来ないわけではない。一人で何か仕事を任されても特に問題はない。
②私は『甘えた』である。
→まさにこれは間違いない。とは言っても、最近は甘え方をすっかり忘れてしまった…今は甘え方を思い出して、少しでも甘えれるように、自分だけで荷物を背負い込まないように模索中…
③私は『いつでも強がって』しまう。
→口癖が『大丈夫、なんとかなる!』だからだろうか。本当は大丈夫じゃないのに、大丈夫って言ってしまう。まさにヘタクソなんだろう。
④私は『人間観察が好き』である。
→どんな人だろう、から始まって常に何かしら人を見てしまう。付き合いが長くなればなるほど、その人の考えていること、無理をしてるんじゃないか、大丈夫が本当に大丈夫なんだろうか…と察知できるように。それが出来たら、出来ないよりはほんの少し上手く行くと思う。
⑤私は『泣き虫』である。
→普段は余り泣かない!…様にしている……
でも、ふと弱くなった時にそれを察してほしい言葉をくれる人が居た時には、もう涙は止まらない。
⑥私は『我慢しぃ』である。
→そうだね、うん。無駄に我慢することを覚えてしまったのかもしれない。『適切』が掴み取れない。そこは我慢しなくても良いと言うところで我慢してしまったり…物分かりが良いと思われたいわけではないんだけどね。
⑦私は『敵を作りやすい』だろう。
→今までの職場でも間違いなくこれは解ってきた。
性格上の問題なんだろうけど、嘘や騙し、適当に合わせる、その場が良ければ回りの多数派に合わせる…何て事をしたくない。
例えば、Aさんが居たとしてその人の粗を見たBさんが、Aさんの事をよく知らない、そしてBさんと仲の良いCさんに少し味を付けてAさんの嫌味を言ったとする。そうすればよく知らないAさんを見る目も、Cさんの『人を見る眼鏡』は良くない人のフィルターがセットされた状態で見ることになる。この連鎖で2人が3人、4人と増えれば、多数の人間がいうなら…とBさんが『ちょっと気に入らない』と少し味を付けただけの言葉が正当化される。私はそれを鵜呑みにするのが嫌なのだ。
実際にAさんと接してみる。Bさんが見つけた粗や付けた味の事も、それとなくでも聞いてみる。それでどっちが正しいか、私自身の眼鏡で見極めたいと思ってるから。そうすればAさんの事も理解出来るし、言い出したBさんの事も解る。ただし、そうすれば間違いなく私は多数派に属することはなく少数派になる。そうするとその多数派からは必然的に敵視される。まぁ中にはBさんが怖いから合わせてるってだけの人も居るけど。。でも私は間違ってるとは思わない。接してみないと、解らないこと・見えないことはたくさんあるから。
⑧私は『臆病』だろう。
→…と、⑦で強気なことを言っても、大事だな、大切だな…と思った人には嫌われたくないのも事実。負担になってないかな、迷惑じゃないかな…なんて色々考えて一歩踏み出せなかったり。。何て事もたくさんある。
⑨『お飾りじゃダメ、ちゃんと戦力にならなきゃ。』が結構好き。
→小学生の時から良く言っていた言葉。地味で、皆が嫌うような単調な仕事でも、それが必要なことであれば私はやってきた。その仕事が決して花形の…目立つ仕事じゃなくても、だ。もちろん花形や目立つこともやれる機会があるなら挑戦してきた。そんなメイン的な時が来たときに私がやっていた地味ぃぃぃな仕事の欠片が見えたりしたときには嬉しかった。『地味だから皆やりたくないけど、私がやった事がここで活きてる。』って。目立つことも花形ももちろん嫌いじゃない。でも、花形やメインだけが戦力じゃないんだって解る瞬間は今でも大好きだ。
10結果私は『面倒くさい』かもしれない。
→甘えたで寂しがりで、それなのに臆病で…って子供ならまだしも大の大人がこれは面倒くさいかもしれない。。。関わってくれる人、傍に居てくれる人、皆さんにさらに感謝しかありません。
いつも本当にありがとう。
まだまだ『私と言うもの』書けそうですwww
最深謝
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