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愛鳥の最期を思い出して

 不甲斐ない飼い主だったと思う。
 ちゃんとあの子を愛せてはいなかった。
 失ってから、度々思い出しては、遺影と遺骨に向かってどうだった?と心の中で問い続けてきた。当然返事はいないし、あったところで言葉がわかるわけでもない。ただ幸せだっただろうかと漠然と思うばかりだった。

 亡くなる前日、わたしはあの子を病院に連れて行ったことを後悔していた。
 枝にとまることができないほどに弱っていたのに、寒い中連れて行って寿命を縮めただけなのではないか。苦しめてしまったのではないかと。
 もしも連れて行っていなければ、翌日仕事で家を空けたわたしが帰ってくるまで、生き長らえていたのではないかと。最期の瞬間に立ち会えたのではないかと。
 でもふと、病院に行った晩に、あの子がカゴを嘴でついて音を立てたことを思い出した。度々思い出す記憶ではあったが、死期を悟っていたのかもしれないと思うだけだった。でも今日は、ふと思ったのだ。
 ――最後に、わたしと一緒にいたいと思ってくれたのかもしれない。
 枝に掴まることもできず、カゴの床を移動するあの子は、人間でいうところの寝たきりのような状態だった。しかも、音を立てて催促するようなことは数年見ていなかったのだ。
 あの時はただシンプルに外に出たいのだろうとだけ思って、ほとんど動かないあの子を足の上に乗せた。あの子はそこでじっと、眠っていた。その頃になると、あの子は外に出てもずっと眠っていたので、見慣れた光景であった。最期が近いかもしれない、などと夢にも思っていなかった。

 思い返せば、亡くなるその日。
 わたしはいつものように、カゴに被せていたカバーを外した。あの子は筒状の寝袋の中で、わたしに背中を向けていた。
 仕事のために身支度を整えて、再び目をやると、あの子がこっちを向いていた。「かわいいね」と声をかけた。これが、あの子にかけた最後の言葉になった。
 体が辛いだろうあの子が、こっちを向いていた。もしかしたら、最期にわたしの顔を見ようとしてくれていたのかもしれない。

 あの子は、ちゃんと愛せていなかったであろうわたしを恨んでも、憎んでもいなくて。
 もしかしたら……わたしを好きで居てくれたかもしれない。

 わたしと最後に一緒にいてくれようとした。わたしの顔を見たいと思ってくれた。
 それが……ひどく、嬉しい。

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春野訪花
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