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前置き

 電車の中でとあるエッセイを見て、それに触発されて書きました。

 「私」が見て欲しいとの事ですので、ちょっとこちらにアップしようと思います。(すごい他人事のように言ってるけど私自身の事です)

 人に見せるとなると、猫を被ってしまって「私」の原型があまりなくなってしまうので、そのままコピペしようと思います。

 (「見せる」事に不安になったりして消すかもしれないです)



 エッセイか……。
 私も書いてみたいな。

 小説に関わる事は、ちょいちょい書いてはいたけど……。なんだろうな、よそ行きのエッセイなんだよね。

 人に見せるのに抵抗がある……のだと思う。
 なんでかは……パッとは分からない。たぶん、親が原因だと思う。具体的には分からないけど。親だけじゃなくて学校での出来事もあるのかもしれない。

 でも最近。いやずっと前からかな。
 人に見て欲しい、知って欲しいと思っていた。
 知って欲しいと見せたくないっていう矛盾した想いを両方抱えてて、不安とか恐怖心とか……マイナスな感情に押さえつけられてる。のだと思う。

 私を見て!
 注目されるのが、人と話すのが、人と繋がっているのが好きだ。

 実家では誰も私など見てはいない。私もまた、家族を見てはいなかったのだと最近気づいた。
 それが、当たり前の「世界」になっていたから。
 「見る」事がどういう事なのか、きっとまだちゃんとは分かっていないけど、ちょっぴり分かり始めたから。今なんで泣いているのかあまり分かっていないような私だけど、これでも自分の気持ちが分かるようになってきたから。だから、今、人に伝えたくて仕方がない。「私」を。

 たくさんたくさん、言いたい事がある。
 たくさんたくさん、伝えたい事がある。
 だから私は小説を書くのかもしれない。私はそれでしか、自己表現ができなかったから。「自分の言葉」を吐き出す先がそこしかなかったから。半分くらいは、物語を考えるのが楽しかったからだとも思うけど。

 今、ふとスイッチが入って書き出してみた。
 「私」を知って欲しい、吐き出したいという事を伝えたかったのかな。更に踏み込んで具体的な「私」を吐き出したい気もするけど、焦っているというかせっかちなだけかな。
 何にしても今は咄嗟に思いつかないから、また今度。

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春野訪花
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