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4日間の話
2月20日
何か書きたいなと、座ったまま体を伸ばしてタブレットを手に取る。続いてキーボードも引っ張ってきて、接続、起動。
こうして筆を走らせている訳だが──まあ、なにも思い付かない。そりゃそうだ。パッとなんか書けと自分に命じたところで、「なんかってなんだ」ってなる。亭主関白の旦那が「あれ」「これ」と言っているようなものだ。──と思い付きで書いた。そんなもんなのか?
エッセイなんだか、小説なんだか。自分に関することならばエッセイなんだろうか。エッセイというのは自分の経験などを語って聞かせる……人生における何かの欠片……のようなものだと思っているのだが。まあ、自分の現在進行形の経験なのだから、エッセイということにするか。
こうして筆を走らせたのは、さっきふと顔をあげた時に見えた、揺れるオレンジの光が綺麗だったからだ。
今、タブレットの向こう側にロウソクが揺らめいている。百均で買った安物だ。紫色。ラベンダーの香り。買ったのはずいぶん前だったと思う。半年くらい前?
それがオレンジ色のキャンドル入れ──厳密な名前がわからない──の中で燃やされている。
火が好きだ。
どこがと聞かれると少々困るのだが、なんとなく好きだ。昔から。キャンプに行く度に、バーベキューに使われた炭火を食後もパタパタと扇いで見つめ続けていたものだ。
──部屋に風はない。なのに、火が揺れている。この家で火が動かなかったことがない。いついかなる時も、無風だった。
今、キャンドル入れの色が火の明かりに照らし出されて、天井付近で漂っているだけなのだが、それがなんだかとても情緒的だ。私の気分がそうだからだろうか。何でも小説的にしてしまう──そんな癖があったりなかったりするのかもしれない。
今考えている長編を考えて書き散らかされた紙がタブレットの下敷きになっている。影からこっそりこちらを窺ってる。──まだやらないのか?と。
あ、はい。やります。今行きます。
そんな訳で、唐突に終わります。
冷めて温くなった紅茶をお供に、長編作業に戻ります。それでは。
2月25日
一仕事を終えた。というか終わらせたに近いかもしれない。
長編が行き詰まっている。それはもうどん詰まり。迷路の中を走り回っているような気分だ。もしくは輪っかになっている道か。進んだと思わせてそんなことなかったというのだから質が悪い。勘弁してくれ、とひぃひぃ言いながらも二ヶ月以上やっているのだから、私はMの素質があるのかもしれない……。
なんてことを思いつつ、溢れるやる気、焦り逸る気持ちを押さえてこうして筆を……キーボードを手に取った。
進まないストレス発散だ。
二ヶ月もやって進展なし、本編にこぎ着けないのは初めてのことだ。人生で初。小説を書き続けてそろそろ十数年になるがこれだけの長さで初だ。
一体何が今までと違うんだと思いながらひぃひぃしているのだが、なんとなくは分かっている。ここの言語化がすごく難しい。強いて言うなら、「哲学的」「感覚的」だからだろうか。これでも言い表せている気がしない。
「彼女は雑踏に紛れて消えていった」という、私の作品はお読みいただいただろうか。あれもとても書きにくかったのを覚えている。あれは感覚で押しきったが、今回は長編。感覚だけで押しきるのはいささか難しい。困ったものだ。
──冷めた紅茶を一口。
冷めてても紅茶は美味い。
紅茶の味は渋い……なんだろうか。紅茶の渋味は苦手ではないようで、いつもなにも入れずに飲む。多いときには一日五杯は飲む。ちなみにノンカフェインだ。特にこだわりはない。美味しければ良しである。
部屋に明かりがついている。眠っている妹二人には申し訳ないが、ぴっかぴかだ。いつもなら気遣って消すのだが……今回は暗くする気分じゃなかった。すまんな。
と、散らかしたところで書くことが尽きた。
今回は前回以上に小説なのかよく分からないが……これもエッセイということにしておこう。
それでは、また。
3月11日
優しい物語を紡ぎたい。
読んだ人がホッと息をつけて、温かい気持ちになるもの。私が求めているから書きたいんだろう。だけど浮かぶのは雰囲気ばかりで具体的なことは何もない。それがとても悲しい。
ついさっきまでお風呂に入っていた。常に携帯を触ってしまう私が、久方ぶりに携帯を手放した時間だった。二十分くらいだった。
曲だけを携帯で流して、一緒に歌った。米津玄師さんの曲だった。好きなアーティストだ。間違いなく一番と言えるほどの。
携帯を手放したからか、歌って声を出したからか、少し気分が解れたようだ。だからこうして書いている。携帯で、ツイッターを開いて。ツリーとして繋げて書いている。
時々こうやってツイッター上で小説的な文章を書くことがある。たまにやりたくなる。なぜかは分からない。程よく気が抜けるからかもしれない。
――優しい話を書きたい。今はそんな気分だ。私が書くものの大半は優しいものだと思う。モヤモヤを発散したい時には、「人を殺す話を」などと思ったりもしたが、やはり優しい話の方が性に合っているような気もする。でもやっぱり「人が死ぬ」話も書くと思う。時々だけど。
私は相反する感情を常に持っていると、自分で自分に思う。優しい感情と同時に冷めて凍てつくような感情だ。自分で自分を直接見るのは苦手だ。だけど小説を通してなら見られる気がする。小説として自分の感情を落とし込めば吐き出せるから。だから小説を書くのかもしれない。……とか難しいことを言っても、結局は好きだから書くのだろうけれど。
そろそろ程よいページ数だろうか。まだホロホロと言葉がこぼれ落ちそうではあるが、長くなりすぎてもダラダラしてしまう。この辺りで終わろうと思う。
今夜は長くなるのか短くなるのか……。眠たくなったら眠ろうと思う。それでは、また。
3月12日
夜の匂いが好きだ。あの匂いをなんと形容したらいいのか分からない。情緒的に、小説的に、詩的に書くなら――寂しいような、優しいような感じ。胸の中をするりと撫でるような心地は、優しいと思う。単純に、今の私の気分がいいからかもしれない。
ネカフェで漫画を読んだ。面白かった。泣いたりもした。漫画を読んでいて思った。ごちゃごちゃ考えて書くなんて馬鹿らしいよな。物語を描く人はみんな想い想いに筆を走らせていて、私みたいにぐちゃぐちゃなことを考えていない。
馬鹿みたいだなぁ。この気持ちが、なんと言い表せばいいのか……よく分からないんだけど……。清々しいとか、蔑んでるとか、少し違う気がする。この感情を、人はなんと呼ぶんだろうな。
私の「世界」は……いつも他人事のような気がする。誰もが「世界」を持ってて、そこで生きているんだけど、他の人はどうやって生きているんだろう。ついさっき、この数行を書く前は「普通なら」「一般的なら」と一括りに考えていたけど……みんな「普通」ではないか。みんな違って、みんないい。みたいなね。
私の思考回路は自分でもよく分からなくて、それだけじゃなくて感情もよく分からなくて……人間ってとてもめんどくさくて、ややこしくて、複雑……。
ネカフェから出て歩きながら、私って……そう、変だなって。今、思った。今、纏めた。感覚的すぎて、言葉にしようとするとふわふわしてしまって、「わーっ!」とか「ぐわーっ!」みたいな言葉でしか言い表せないんだけど……。
「世界」を見る、私の目は、なんというか……とても、「変」だと思う。「変」なことが嫌な時期もあって……もしかしたら今もそうなのかもしれないけど……でも、まあ、「変」なのも悪くないかなって。その「変」なところが、結局自分の性癖に刺さってしまうんだ。どうしようもない。笑ってしまいそうだ。
本当に、この感情を人はなんと名付けているんだろう。気になるけど、自分ではよく分からないんだ。誰か、分かったらそっと教えて。名前がないとふわふわしてしまう。でも名前があったらあったで、それはこういうものと決めつけてしまうような気もするから、知りたくないような気もしてきたなぁ……。ホント、どうしようもない……。
さて、そろそろ締めようかな。シチューを食べたいんだ。食べたら寝よう。それでは、また。
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