神戸の奈良時代の敏馬神社
この前、神戸に引っ越したが、この町はあまり知らないです。どのような街を分かるために、歩き回って、私の近所の神社に挨拶に行きます。
そこで、神戸の最も古い神社の一つ、敏馬神社に出会いました。マンションから5分からこんな素敵な場所があるかと少し驚いてたんです。
まず、神様に挨拶と感謝。これからも、大事にされていますように
そして、本殿の賽銭箱の隣には、敏馬神社の歴史のパンフレットが置いていました。一枚を取り、玉垣の近くのベンチに座って読んでみます。
名前の呼び方
まず、神社の名前は読みずらいらしい。敏馬はよく読まれているのは「みるめ」ですが、正しい読み方は「みぬめ」です。
ちなみに、阪神電鉄バスの「敏馬神社前」と「敏馬」の停留所の読み方は「みるめ」と読むらしいです。
奈良時代の創建
神社によると、奈良時代(8世紀)に編纂された『摂津風土記』には敏馬神社が書かれていました。
つまり、船の安全祈念のために建立され、昔から、重要港湾でした。そして今でも、「航海安全」「災厄や悪縁解除」のご利益があると言われています。
神社の周りの変化
扁額の古地図による海岸線は神社に近かったようなので、神戸はどれほど埋め立てられたのだと分かります。
平安時代の万葉集の和歌から、敏馬神社が全国的に知り渡った港になりました。
「新羅人が来朝すると、生田社で醸した酒を敏馬でたまう」と書かれています。つまり、敏馬神社は市内最古の格式の高い神社でした。
江戸時代は、神社の前の西国街道は忙しい道で、酒造業や船運業が盛んでした。この地には俳諧を筆頭に多くの文人が集まり、扁額神社に俳諧奉納絵馬二扁が残っているらしいです。
そして、明治時代から海水浴場として賑わい、神社の周囲には茶屋や料亭、劇場などが建ち並んでいましたが、昭和初期の海岸の埋め立てや、昭和20年の戦災により、昔の面影は失われてしまいました。
「鎮守の森だけが往時を偲ぶ唯一のよすがである」(神社のパンフレット)。
現代には、海まで全然見えず、鳥居の向こうはビルばかりです。
町の風景は随分変わってきたと感じられます。昔みたいに、ここから梅を見ることが出来ないのは少し残念だと思いました。
昔の風景はこのように説明されています:
私の近所の神社として、とても面白い場所を見つかりました。
高い木に囲まれ、アジサイはきれいに咲いていて、
都会の喧騒から離れ、静かで落ち着ける場所です。