朝から社訓を読みあげないといけない会社とは宗教が合わなかった
10年くらい前にいた会社は一応ベンチャーだった。が、事業が大きくなってくると役員たちはどんどん威厳を持とうと思ったのか、数百万〜千万をかけてコンサルタントを雇い「社訓」を作った。
なんでこんな昔のことを思い出したかというと、この方のnoteからだ。
気になった所だけ切り取り引用で恐縮ですが。
「なんで通勤ラッシュにもまれて、朝の9時(当社の定時は9時半〜18時半なので、参加する人は9時〜18時に前倒し)にわざわざ集まって、社長の話を聞かなきゃいけないんだ?」って話を、前置としてしました。
ほんそれ。でも、当時の私は社長の話ならまだ聞いてやってもいいと思っていた。会社では「朝から社訓を全社員が声を出して読む」のが日課になっていて、苦痛だったからだ。しかも社長の話とセットだ。
ちなみに2010年より前の話になる。言ってはなんだが以前、この会社よりもっと規模の大きい会社にいたが社訓読み上げなどなかった。社訓といえるものはあったが社員が強制的に読まされることはなく、各自がその言葉を理解し、自分のものにしたうえで仕事をしているという人たちが多かった。その言葉は今でも座右の銘だという人もいるほどだ。
毎朝ドタバタしながらギリギリ満員電車に乗り、20分もの無駄な朝礼に参加させられているという日々だったので、社訓読み上げへの抵抗感はあった。当然、社訓読み上げが始まった2日目から口パクで通した。
同僚たちは大きな声では言わないが、社訓読み上げに辟易していた。そんななか、あるひとりの同僚がこう言った。
「社訓読み上げはやれないわ、宗教上の理由で」
私はその理由にひどく納得した。社訓読み上げさせたい役員たちと、我々社員。同じ会社にいるものの「宗教」が違っていたのだ。
社訓とは、満員電車に乗ってまで声に出して読みに行くようなものではない。皆、落ち着いて自分の仕事をしたいだけのはずだ。
社訓読み上げは一ヶ月もすると恐る恐る声をあげた社員の意見によりショートバージョンとなり、やがて消滅した。なお、当時いた役員らはさまざまな理由で現在はひとりも残っていない。