私に何も残ってなかった

生活のためにお金を稼いで、生活のためにそれらを使って、毎日忙しい忙しいと過ごしていく日々をもう10何年やっている。

いやあ、生活なんてそんなもの。皆そう笑うだろうけれど、私の中の承認欲求が笑わせてくれないのだ。

気がついたら自分の子どもは生きづらい生活をしていたし、私自身は未完成のまま途中で投げ出しているものもあるし、これじゃ何も残らないの当たり前。

どこかで生活を変えたいと思い踏み込んでみたことも、どうも上手くいかなくてまたもや投げ出してしまいそうになっている。この根性なし。

それなのに私は専門性を持った何者かになって、相応の対価を得て、人から頼られる生活を送りたいと思っている。が、一方で仕事においては自分の代わりなどいくらでもいる。家にいて子どものことを見つめて暮らしたいとも思っている。

でも両方を成立させることは困難。

こんな風に日々を過ごして人生を終わらせていくのだろうか。今日、札幌で身寄りのない人たちが集まって暮らしている施設で11人もの人が亡くなった。生まれる時は恐らく平等に、それなりに祝福されて生まれてきたはずなのに、どうして急にこんな形で人生の幕を無理やり下ろすことになってしまったのか。私だって最期はそうなっているかもしれない。決して他人事ではない。せめて心の中で冥福を祈りたい。けれど、そんなふうに人生を終わるのは嫌だという気持ちもある。

今からでも理想を目指して間に合うのだろうか。そんなことを思いながら始まった2018年だった。

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