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【映画】それはきっと社会のせい『あんのこと/入江悠監督』

先日「ナミビアの砂漠」を見てからというもの、河合優美さんの演技に魅了されて、ちょうどアマプラで発見したので、こちらの映画を観てみた。

もちろん、河合さんの演技にまたまた惚れ惚れしてしまって、けれど個人的に、いつもとはちょっと違ったシリアスな佐藤二朗さんの演技を見ることもできてよかった。

1人の少女の壮絶な人生を、実際の新聞記事をもとに描かれた本作。
できれば実話であってほしくないと願いながらも、現代日本社会が抱える問題が作品中で忠実に再現されていて、なんだか苦しくなってしまった映画だった。

とにかく、観ていてただでさえ苦しいのに
それがフィクションではなく、現実社会とぴったりと重なるからこそ、さらに苦しくなってしまった。

いわゆる近年「毒親」と称される、母親の虐待が影響で、中学校も卒業できず、薬物に手を伸ばし、売春で生計を立てている主人公、杏(河合優実)。

警察に連れていかれ、そこでとある刑事、多々羅(佐藤二朗)と出会う。

刑事の傍ら、薬物依存の自助グループを運営している多々羅の助けで、薬物から、売春から順調に距離をとっている杏だったが、最終的に、コロナ渦に巻き込まれ、縁を切ったはずの母親にまた巻き込まれ、最終的に自死してしまう。

とにかく観ていてしんどかったのは、主人公杏の生きていこうとしている道が、これみよがしに寸断されて、行き場がなくなってしまうところ。

誰かが悪い、誰かのせい、という訳じゃない。

もちろん、杏の母親の暴力は、とにかく観ていてひどいものだったけれど、母親自身も、何かしらの問題を抱えて生きているわけで、杏は、そんな母親を殺めようとするけれど、実際に実行することはできなかった。

自分自身、この社会を生きてきて、目の前の不安や苦悩を、特定の誰かのせいにすることができたのなら、どんなに楽だろうかと思ったことが何度もある。

ゲームの世界みたいに、敵が明確で、その敵さえ倒せば私自身は幸せに生きることができる。そんなシンプルなルールでできている社会に憧れを抱いたことが何度もある。

けれど現実は、特定の誰かを敵にすることなんてできなくて、職場にしろ家庭にしろ、人と人とがちょっとずつ、複雑に絡み合っているからこそ、誰のせいにもできなくて、、、。

そんなたどり着く先に、自分しかいなかったとき、自分を責めるしかなくなってしまう。

自分が悪い、自己責任。追い打ちをかけるように社会だって、それを肯定してくる。うまく生きていけないのは、あくまで自分のせいなのだから、自分でなんとかして、自立しなさい。

自己責任、自己責任、自己責任。
そうやって考えれば考えるほど孤独になっていって、、。
もしかしたらあった他の選択肢や、道がいつのまにか閉ざされてしまって
逃げ場がなくなって、八方塞がりに。

そんな社会を今、私たちは生きている。

そういうメッセージを痛烈に私はこの映画から受け取った気がしている。

私たちが生きているのは、堕ちたらなかなか這い上がれない社会で
その責任をすべて自分自身で、自分ひとりで背負わなければならないことを強要してくる社会で
誰のせいにもできないどころか、誰を信用したらいいのかすらもわからない社会の中で

私たちは生きなければならないのだから、ときに「全部それは社会のせい」そう割り切って、自分を自己責任の呪縛から、少しだけ解放してあげる時間を持つことは、意外ととても大切なことなのかもしれない。

この映画から、そんなメッセージも、同時に私は受け取った気がした。

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