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【子どもたちの今】

 昨夜、長男が泣いた。彼が声を上げて泣くところを見るのは、随分と久しぶりだった。私にできるのは、彼の背中を擦り続けることだけだった。
「悔しいね」
 そう言いながら、抱きしめることだけだった。


*

 コロナの影響で、また公式試合が一つ潰れた。その試合を、息子はとても楽しみにしていた。その試合に勝てば県大会がある。勝ち上がれたものだけが挑戦できるステージがある。県大会で結果を残すこと。それが彼らの代みんなの目標でもあった。

 先日、チームのグループLINEに連絡が入った。

「〇〇試合も、残念ながら中止となりました」

 その文字を見た瞬間、思わず目をぎゅっと瞑った。分かっていた。そうなるだろうということは、この状況を見れば分かりきっていた。それでも僅かな期待を捨てきれず、親子共々今日まできてしまった。

 何て言おう。いつ伝えよう。そう思っている内に、1日2日と時間だけが流れていく。いつかは言わねばならない。隠していたところで、どうせ分かってしまうんだ。覚悟を決めて、昨夜彼に話をした。

「あのね、凄く悔しいんだけどね…。〇〇試合も、中止になっちゃったんだ」

 それを聞いた瞬間、息子は読んでいた本を床に叩きつけた。

「何なんだよ!もういい加減にしてくれよ!!」

 物に当たるのは良くない、とか。ちびが寝ているのに大声を出すなんて、とか。そういう当たり前の正論を言う気には到底なれなかった。

 彼の言う通りだと思った。
 ”いい加減にしてくれ”
 誰しもそう思っているだろう。そう叫びたくて、でもそれをかみ殺している人たちがたくさんいるのだろう。

「俺たちの代の試合が、全部なくなっちゃう…」

 そう言って、息子は声を上げて泣いた。


 息子たちの代は、強い。親の欲目を差し引いても、強い。県大会でも勝ち上がれるのでは、と周囲からも言われていた。期待されていたし、本人たちもその波に良い意味で乗っていた。自信過剰になるでもなく、日々汗を流して頑張っていた。あの努力の日々は決して無駄ではなく、彼らのバスケ人生は本人たちが望めば中学でも高校でも続けられる。でも、そういうことではないのだ。今のチームで、ずっと一緒に頑張ってきたチームの仲間たちで、戦いたかったのだ。勝ちたかったのだ。


 こういうことを書くのを、躊躇ってしまう部分もある。読んだ人が元気になれる話でもないし、何なら少し落ち込ませてしまうかもしれない。それでも、息子たちがこの状況でどんな思いをしたか、どれほど悔しい思いをして、どれほどのものを失ったのか、それを書き残しておきたい。忘れたくないし、忘れてはいけないのだと思っている。

 大人たちと同じくらい、子どもたちも日々闘っている。たくさんのものを我慢して、たくさんのものを飲み込んでいる。それを吐き出す権利だけは、絶対に奪いたくないし奪われるべきではない。


 息子を布団に連れていき、背中を擦りながらその心が少しでも穏やかになるようにと祈った。呼吸が段々規則的になっていくのを聞いて、心底安堵した。泣き疲れて眠ってしまったその頬を、そっと拭った。濡れた自身の指先を見て、私の目からも溢れた。無力感がどっと押し寄せてきた。

 どうにもできないことなんて、世の中には嫌というほど溢れている。それでもそのことが、悔しくて悔しくて堪らない。息子の涙を止める術すら持ち合わせていない。ただ気が済むまで泣かせてやるのが関の山だ。


 思わず叫びたくなることが日々山のように起きている。たくさんの人が、大切なものを守ろうと必死になっている。それなのに、みるみる内にその大切なものが掌からこぼれていく。


 昨夜吠えた息子は、いつもより不機嫌な顔で起きてきた。
「おはよう」
「うん」 
 気まずいとき、彼は「おはよう」の代わりに「うん」と言う。
「コンソメスープ作ったけど、飲む?」
「飲む。…ありがと」

 大好きなコンソメスープを飲み終えた息子は、起き抜けよりも幾分か柔らかい表情に戻っていた。
 焦らなくていい。少しずつでいい。怒っていいし、泣いていい。どんなときにも笑っていよう、なんて思わなくていい。あなたのペースで、ゆっくり消化していけばいい。消化できないぶんは、いつでも吐き出していい。そんなものを飲み込んだって、腹を壊すだけだ。


「多分さ、俺たちみたいな小学生がいっぱいいるじゃん。だから、コロナが落ち着いたら、みんなで集まって試合したいな。試合中は対戦相手だけど、みんな同じ仲間だから」

 柔らかい春の日差しの下、軽快にドリブルをつきながらそう言った君の背中を、お母さんはずっと、ずっと覚えていたい。




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碧月はる
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