父と30年越しに同じ場所でデートしていた話
ことの始まりは、先日。
母の大好きな斉藤和義さんのライブのお供で、初めてZepp大阪に行った雨の土曜日でした。
Zepp大阪のキャパは2千人ちょっと。7月に京セラドームを初体験しその収容人数(4万人とか?)に衝撃を受けた私は、そのちょうど良い広さとステージとの距離感に、ライブ前特有のワクワク感と緊張に胸を膨らませていました。
母も人生初のスタンディングにそわそわしながらもいつもより子供のように目をキラキラさせて周りを見回していました。
私たちがいたのは一階のスタンディング席でもステージに近い場所で、振り返るとまだ数十メートルスタンディング席が続き、2階にもせり出すように客席が並んでいました。
こぢんまりとしたZeppを見て、私は地元の一番大きなホールと大体同じくらいの規模だなぁ、と思うと同時に、高校1年生の時、当時の彼氏に連れられて行った第九のコンサートのことを思い出しました。
地元のホールで毎年開催される第九の演奏会がちょうど12月25日のクリスマスに開かれる年で、当時付き合っていた彼氏がそのチケットをどこかのツテでもらったから行こうと誘ってくれたのです。
今でこそ音楽は大好きでたくさんの時代やジャンルの音楽を聴く私ですが、16歳の私はダイク…?あ、運命か…くらいの知識しかなく。人生で唯一通知表でCをつけられたのは音楽の授業の『音楽鑑賞能力』の欄でした。いまだに覚えてます。
私、演奏会デートに適正なんかなくね…?不安しかないんだが?状態でしたが、彼に誘われるまま、クリスマスデート当日。
あまりよく覚えていないのですが、駅前のショッピングモールでお互いにクリスマスプレゼントを買い合い、(私は何をあげたか覚えていませんが、彼にはゆるいキャラクターがプリントされたブランケットをもらいました多分)少し疲れを感じつつ、夕方からコンサートへ。
2階席で、なんならいわゆるバルコニー席のような少しいい席だったような朧げな記憶があるのですが、買い物で歩き回った私に、遠くの方で演奏される荘厳すぎる音楽は悪い意味で心地よく響き。
隣にいる彼に気づかれたくない気持ちをゆうに上回る眠気に襲われ、コンサートで意識を失ってしまいました。すみません。
終演後、せっかくクリスマスに誘ってくれたコンサートで眠ったことを彼氏に謝ると半笑いで
「ああいいよ、なんとなく寝ると思ってたし(笑)」
と言われました。これだけは覚えてます。
自分の情けなさと青臭さが急に蘇り、なんだか自分だけで抱えておくのも嫌だったので、ステージを見て胸を躍らせている母にこの話を伝えました。
ライブ前で浮つく人々のガヤガヤとした雰囲気が、なんとなく恥ずかしくて親に言っていなかった気がするこの話を思ったよりスムーズに私の口から紡がせてくれました。
話終わり、ひとしきり2人でそんなことあったん!と笑い合ったのち、ふと母がこんなことをい言ったのです。
「そういえば、お父さんが昔、高校の時の彼女にそこのクラシックコンサート誘われて行って寝ちゃったって言ってたの、私も思い出したわ…」
……え?
父もどうやら、私と同じようにあのホールで高校生時代にデート中に居眠りをこいてしまったというのです。
怖いです。もはや。
30年越しに、私と父は同じ場所で同じデートをしていたのです。
更に、2人とも自分から出向いたのではなく、誰かに誘われて受動的にそこに行っているのが本当に世にも奇妙な話です。
あのホールからすれば30年前に彼女に連れられてきたコンサート中に眠っていた男子高校生の娘が今度は彼氏に連れられ居眠りこいていたのです。
多分ホールに人格があったら笑われてます。
お前ら一族にここ向いてねーよ笑みたいな感じで。
私は顔立ちも比較的穏やかで少し神経質な性格もどちらかといえば父に似ているかなと自負してきたのですが、今回、私の思い出話が引き金となって発覚したこの事実はそれらを更に裏付けることになったような、ならなかったような…
その後は問題なく、斉藤和義さんのライブを人生初のスタンディングで満喫し母とバルでうますぎる生ハムを食べて帰りました。
そんな私の頭に最近やたらと流れる、斎藤和義さんの曲の歌詞を書いて、今回は終わりにします。
受験モノドラマの主題歌で、曲を通してとても好きな歌詞なのですが、この冒頭部分がどうしてもチラつきました🥐
運がいいとか悪いとか
神がいるとかいないとか
遺伝するのは顔だけか
それとも魂丸ごとか
遺伝 / 斉藤和義