弟の徴兵と姉の決断: 徴兵制が変えたミャンマーの若者たち
「こんにちは、私はミャンマー人です」
教室には元気な声が響いていた。ここはヤンゴンにある日本語学校。生徒のほとんどは、日本で働きたいと願う若者たちだ。しかし、男性の姿が少ない。30人ほどの生徒の中で、男性はわずか2名。あとは女性ばかりだ。
男性が少ないのは、今年5月から始まった徴兵制が原因だ。男性は18歳から35歳、女性は18歳から27歳までが徴兵対象だが、当初は女性が対象とされていなかった。男性への規制は厳しく、23歳から32歳までのすべての男性が就労目的での出国が禁止され、出国時に厳しくチェックされる。そのため、それまで多数在籍していた男子生徒は、あきらめて日本語学校から姿を消した。
教室の最前列に座っていたスースー(仮名)は、教室で勉強する女生徒の一人だ。ミャンマー中部の町からヤンゴンに出てきて、日本行きを目指して勉強していた。かつて日本で働いた経験もあるという彼女に話を聞いてみると、意外な方向へと話が進んでいった。
突然の徴兵
弟のマウンサウン(仮名)は20代後半で、町でタクシー運転手をしていた。父親を亡くした家族にとって、彼は大黒柱だった。6月のある日、マウンサウンは地区事務所(ヤックエ)に呼び出された。既に多くの若い男性が集まっていたが、それは徴兵の抽選会だった。
以前のブログ記事にも徴兵制について書いたが、今のミャンマー軍に入りたいと思うような若者はほとんどいない。多くの国民にとって、ミャンマー軍は憎悪の対象であり敵である。それに、各地の地上戦で敗北を重ねているミャンマー軍は死傷率がとても高い。
マウンサウンの地区からは、2名の新兵を出すよう軍から命令が出ていた。抽選会は公平な選出を装っているが、実際には有力者や賄賂を贈った富裕層の息子たちは抽選会の参加を免れていた。マウンサウンの家族には、賄賂を払う余裕などなかった。そして、彼は不運にも当たりくじを引いてしまった。マウンサウンは、すぐに軍の訓練所へ送られた。
その後、しばらくマウンサウンの消息は途絶えた。徴兵された若者たちは携帯電話を没収され、家族との連絡手段を失うからだ。しかし、一度だけ彼から電話があった。携帯から抜き取ったSIMカードをこっそり隠し持っていたマウンサウンは、訓練所で他の人から借りた携帯電話にそのSIMカードを挿入して電話をかけてきたのだ。彼が電話で話した言葉は、「金を送ってくれ」だった。
徴兵時に軍は、給料の支給と残された家族への支援を約束していた。しかし、給料は支払われず、訓練所では上官に賄賂を渡さなければひどい仕打ちを受けるという。
再び弟からの連絡は途絶えた。そして9月のある日、母親のスマートフォンが鳴った。画面にはマウンサウンの名前が表示されていた。ある程度の覚悟はしていたものの、弟が語る戦場の現実は悲惨なものだった。彼は、最も激しい戦闘が行われている中国国境に近いシャン州の前線に送られていたのだ。
電話の向こうから、泣き声が聞こえてきた。人前で泣くような男ではなかった弟に家族は驚いた。彼は、食べるものが何もないと訴えた。1日分の食料で1週間をしのいでいるという。激しい戦闘の中で、彼はまともに睡眠を取る時間もなかった。
その後、月に2回ほど電話がかかってくるようになった。最後の電話では、前線から退却し、シャン州南部へ移動したと告げた。そこでは命の危険はないのだが、待遇はあまり変わらなかった。支給される食事だけでは空腹を満たせず、自分で金を出して食料を買っているという。軍服をはじめ、兵士の生活に必要な物資も自費で購入させられている。給料は30万チャット(実勢レートで約1万円)と言われていたが、実際に支給される金額ははるかに少なかった。
ミャンマー軍の兵士であるということ
ミャンマー軍の下級兵士の置かれた状況は、ミャンマー人には周知の事実だ。ミャンマーでは軍人は特権階級と言われているが、それは士官クラス以上だ。特に将軍クラスになると莫大な富と利権を手に入れることができる。クーデターを起こしたのはミャンマー軍トップであるミンアウンフライン総司令官だが、彼の息子と娘が多くの会社を所有していることは有名だ。将軍たちは自身や家族が利権によって富を得ることを当然と考えている。
一方、将校以下の一般兵士は奴隷同然の扱いを受ける。給料は30万チャット(約1万円)程度だと言われているが、様々な名目で差し引かれ、手元に残るのはわずかだ。軍企業の株式購入費や生命保険料も、毎月の給料から天引きされる。しかし、軍企業の配当金はクーデター以降停止している。さらに悲惨なのは生命保険で、戦闘で死亡しても行方不明として処理され、保険金が全く支払われないケースが多い。この保険を扱っているのが、ミン・アウン・フラインの息子が所有する保険会社であるため、保険金を支払わないのだろうという噂がまことしやかに囁かれている。
こうした状況から、兵士の士気は極めて低く、軍を離脱したいと考える兵士は多い。しかし、クーデター以前から、ミャンマー軍から去るのは容易ではなかった。正規に除隊するには、HIV感染など特別な理由が必要とされた。さらに、脱走が成功したとしても残された家族が罰せられる。多くの兵士は家族を基地内に住まわせており、事実上の人質となっている。クーデター以降、こうした監視はさらに厳しくなっている。
マウンサウンは、このような組織に組み込まれてしまった。兵役についたばかりの新兵がここから逃げ出すことは、極めて困難だろう。
日本をあきらめてタイへ
この話を聞かせてくれたスースーは、日本で働きたいと願っていた。10年ほど前、技能実習生として数か月間農業に従事した経験を持つ彼女は、日本での生活は楽しかったという。しかし、特定技能などの制度を利用して日本へ行くには時間がかかる。弟の代わりに家族を支えなければならない彼女には、時間的猶予がなかった。そこで彼女は、タイで働くことを決意した。タイであれば、3か月程度で渡航でき、労働資格を取るための費用も600万チャット程度(約20万円)で済む。
タイ行きを決めたスースーだが、まだ日本語学校に通い続けている。日本への未練が捨てきれないのだろう。いつか彼女が日本で働ける日が来ることを願っている。