クーデターから1年の2月1日、サイレントストライキで再び沈黙の街へ
2021年2月1日の早朝、徹夜明けの私は軍がクーデターを起こしたことを知った。それからちょうど1年後の2022年2月1日、9時ちょうどに目覚まし時計で目覚めた。
今日は午前10時から午後4時までサイレントストライキ(沈黙のストライキ)が予定されていた。去年の12月10日に行われたサイレントストライキでは、ヤンゴンのダウンタウンを歩いて回ったが、どこもゴーストタウンになっていた。
役所から届いた書類
私はストライキが始まった10過ぎに家を出た。まず、近くの小さなゼー(市場)に向かった。8割ほどの店が開いていたが、客の姿はまったくない。数人の店主たちは暇そうに集まって何やら話をしていたので、顔なじみの店主に声をかけた。
「今日は店を開けたんだね」
店主は苦笑しながら、
「しょうがないよ。こんなのが回ってきたんだ」
と、役所から来たというA4にプリントされた書類を見せてくれた。
「NUGやCRPHやその他のテロリスト集団が行おうとしているサイレントストライキに参加してはならない。参加した場合は法に基づいて起訴され、動産、不動産を没収することもある」
というようなことが書かれていた。実際、数日前から何人もの商店主が逮捕されていた。多くは、Facebookなどに「2月1日は店を休む」などと書いた人たちである。そういう状況を見て、サイレントストライキの実施方法も「商店は店を開くように、人々は家から外に出ないように」と、急遽変更された。
客が消えた店
ゼーを後にし、最寄りのショッピングモールへと向かった。そのショッピングモールの前には警察の車が止まり、数人の警官の姿が見えた。ショッピングモールの中ではほぼ全部の店が開いていたが、客はほとんどいない。店の中を覗くと、店員が暇そうにスマホを見ていた。
近くの繁華街にも行ってみた。大通りでは8割ほどの店が開いていた。しかし、ショッピングモールと同じく店員はいても客は全然いない。繁華街にいるのは店主と店員ばかりという奇妙な光景だった。
去年の12月10日のサイレントストライキのときは交通量は普段の1/100ほどで、本当にヤンゴン全体がゴーストタウンになっていた。今回は1/10程度の交通量だろうか。ただ、客の姿が消えたのは前回も今回も同じだ。ということは、店の強制営業がなければ前回と同じくゴーストタウンになっていたのではと思う。
ヤンゴンの街は厳重警戒体制
ダウンタウンの中心であるスーレーパゴダに向かった。途中の市場では銃を抱えた兵士たち数人が2m幅ほどの狭い通路を挟んで向き合って座っていた。彼らの目からは表情が失われていた。私は迂回しようかと思ったが、彼らを避けるような行動をすると逆に疑われると思い、そのまま直進した。銃を持った兵士の間を通るのはさすがに緊張して心臓の鼓動が早まった。
スーレーパゴダへの道中、軍や警察の車両と何度か遭遇した。ヤンゴンではここ2〜3ヶ月は表通りから軍の姿はかなり減っていた。PDFや民族軍との戦いでヤンゴンから多くの兵士が地方へ移動したという話も聞いた。しかし、今日はどこにそんなにいたのかと思うほど、多くの兵士を見た。
スーレーパゴダ前に到着した。パゴダ近くにある歩道橋は絶好の撮影ポイントなので、前回のサイレントストライキのときも私は歩道橋の上から撮影した。しかし、歩道橋の上を見ると銃を持った数人の警察官がいた。今回は軍は非常に警戒しているようだ。また、軍人や警察官が制服を脱いで一般人の間に紛れ込んでいるという話はよく聞く。周りを注意しながらこっそりと写真を撮ることしかできない。それも、一覧レフなどのカメラだと持っているだけで逮捕されるので、スマホが頼りだ。実際、去年の12月10日のサイレントストライキのときに街の様子を写真に撮っていたカメラマンが、軍に拘束された後に軍の尋問所で死亡した(拷問による死亡と噂されている)。
スーレーパゴダ前に軍歌が響く
軍歌が聞こえてきた。スーレーパゴダ横の公園の方角からだった。公園前には軍の車両以外に拡声器を積んだトラックや一般市民の格好をした人たちが20〜30名ばかりいた。軍歌はこのトラックに積んだ拡声器からだった。歌詞はビルマ語だが、メロディーは旧日本軍の軍歌っぽい。ミャンマー軍の軍歌には日本の軍歌がいくつか採用されいて、中でも「軍艦マーチ」は有名だ。ただ、今流れている軍歌は日本のものかどうかは私には分からなかった。
今日はスーレーパゴダ前からタマダ映画館前まで軍のサポーターたちによる軍支持のデモが予定されていた。それが始まるのを待ってしばらく公園近くにいたが、なかなか始まらない。そのうち、拡声器を積んだトラックが発車し、軍歌を流しながら北の方へ向かっていった。まるで、日本の右翼の街宣車のようだった。結局、私が家に戻った12時過ぎに軍支持のデモが始まったという。参加者は100〜200人ぐらいだったようだ。
軍にとってはクーデター1周年記念になる2月1日、この日にサイレントストライキが行われるなど軍からすると許されることではないし、全力で阻止しようとした。しかし、できたのは店の強制営業と軍歌を流すことだけだった。
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