就労困難心身限界。そんな「私」という人間にとっての「自立」とはなんだろう。
こんにちは。
春野太陽です。
今日は職場を退職してきました。
この半年、職場の人は柔軟に対応してくれたし
回復や再契約も応援してくれていますが、
今日の面談で言われた「確約はない」が
あまりにもズシンときました。
言われなくても最初から分かってるんですよ。
異例な対応をしてくれてて当たり前にしてもらえることじゃないのは私も当然分かってます。
だけど、「再契約の確約はできない。」
「再契約の時は今回みたいに時短勤務ができるとは思わないでほしい。そもそもフルタイムの条件で募集を出しているので。」
という言葉で、ますます再契約もとい社会復帰が遠のいた感じがします。
『少しずつ100%を目指そう』のプレッシャーと
『最初から100%こなすのが条件』のプレッシャーは
あまりにも違いすぎます。
今回こそはフルタイムできると思ったけど、
あそこまで体調が改善した状態で復帰しても
やっぱダメだったなぁ。。。。。
これからもし回復したら、地道にアルバイトはどうか?とも考えて見ますが、
私の症状はその日の朝にならないと動けるか動けないのか分からないので、
時短勤務にしようが、固定曜日勤務にしようが欠勤が起きてしまうんです。
(実際以前のアルバイトで経験済み)
だから、アルバイトもきついなって思ってます。
なにより、大学卒業後、就労しては退職するをすでに4回している(しかも退職してから休養期間は当然長い)私としてはいろいろ考えが巡ったわけで。
『休養中の体調は過去より安定感が増してきたのに、就労した時のつらさは徐々にひどくなってる。』
『雇用されてうまくいかなくてクビきられて世の中や自分に絶望して自殺願望っていうのが一番怖い。』
『就労がうまくいかないってさすがに分かってきたから他の手段を考えるしかないのでは。』
『そもそも「自立=働けて自分の収入で生計が立てられる状態」という考えだからつらいんだ。』
『私にとっての自立ってなんだろう。』
『私自身が悪化を繰り返すことなくメンタルの安定を維持し心の安全を確保していることが私にとっての今の1番の望みであり幸せでありゴールであり自立なんじゃないか?』
『健康な人にとっての自立は働いて自分や家族を養えることかもしれないけど、不健康な人にとっての自立は健康を維持する努力をすることで十分じゃないか。
健康な人と同じラインに立とうとするから上手くいかなくて当然だ。』
『障害者が職場でうまくいかないのを「迷惑だ」という世の中。
無理して働いて悪化して自殺でもすれば「迷惑だ」となる世の中。
ならば、働くことも自殺することもしない。
てか働くことで命を落とすことなんてしたくない。
自分の体調管理にだけ集中して、通院やカウンセリングにいただいた障害年金を使わせてもらって体調を安定させながら静かに暮らし、日常の買い物でそれなりに経済を回す。
それで生きてる意味は十分じゃないか。
それが私の自立の最適解なんじゃないか。』
そんなふうに、面談を終えて帰宅する頭の中で
ぼやぁと思いついたのでした。
一種の開き直りとも言えます。
これを実際に実行するかしないかは今は分かりませんが、
少なくとも「働かなきゃ」という固定概念を
とっぱらうことができた思いつきなので
この先の判断に悩んだ時の新たな選択肢が生まれたとは思っています。
すでに車を手放すということは決めてもいるので、
今の限りあるお金で、医療と食事に十分なお金をかけられるようにしたいと思っています。
また、生活の基礎と自分にとっての自立を
心の余裕がある時に考えてみようと思います。
人生のバックグラウンドによって
それぞれ「自立」の形は違うよね。
2024.1.31(Wed)
春野太陽
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