食べない暮らし
「不食」という生き方にシフトし始めて、気づいたことがあります。
人は「食べる」ことにものすごくエネルギーを使っているということです。
何を食べよう?
何を作ろう?
何を買おう?
どこで食べよう?
どれが身体にいいんだろう?
毎日毎日、頭の中をぐるぐる巡っている言葉たち。
1日3食、毎食毎食考えている。
わたしも以前はそうでした。
明日の朝は何を食べようかな?
お昼は?夜は?
買い物に行くからあれとこれとそれも買って…
あれも食べたいけどちょっと予算オーバーだな…
作るのめんどくさいし、片付けるのもめんどくさい
疲れたから甘いもの食べたい…
などなどなど…
毎日毎日食べもののことで頭がいっぱいでした。
なのに「今何が食べたい?」って自分に問いかけると「何だろう?」と毎回答えが出ないのです。
子どもの頃は純粋に「オムライス!」とか「カレー!」とか言えていたのに、最近はほとんど思いつかなくなりました。
食べたいものがわからないってどういうことだろう?と疑問に思っていたら「もう食べることに興味がなくなったのかな?」という考えが頭をよぎりました。
いやいや。この食いしん坊で欲張りで食べもののことばかり考えているわたしが?食べることに興味がないとか、ないない!
と否定している自分と、どこか納得している自分がいるような気がしていました。
実際にほとんど食べなくても生活できるようになってみたら、本当に食べたいもの、本当に欲しいものなんてほとんどないことに気づいたのです。
わたしたちの世界はあの手この手で魅惑的な食べ物を作り出しては人々を魅了していきます。それは何のためでしょうか?人が豊かに暮らすため?幸福度を上げるため?本当にそうでしょうか?たくさんの魅惑的な食べものを食べて、人は幸福になったのでしょうか?
毎日毎日食べものに悩まされ、食費や健康を気にして、毎日毎日ストレスを溜めながら仕事をして家事をして育児をして介護をして、血圧や血糖値に悩まされ、病気と闘い、たくさんの情報に晒されて何が正しいのか、何を信じたらいいのか、将来はどうなるのか…毎日毎日不安を抱えて生活しているのではありませんか?
その根底にあるのは「食べる」ということではないかと「食べない」暮らしをしてみて初めて気づいたのです。
知らない方はびっくりするかもしれませんが、人は本来食べなくても生きていけるのだそうです。
餓死というのは「食べないと生きられない」という思い込みから発生しているのです。
人は思考したことしか実現できません。つまり「食べないと生きられない」と思い込んでいる人は食べないと生きられないし、「食べなくても生きられる」と思い込めば食べなくても平気なのです。
「何を食べても健康」「食べちゃいけないものなんてない」と心から思える方は何を食べても健康で長生きされています。
大切なのはあなたがどう思うかなのです。
この世界はワンダーランドです。
わたしたちの知らないこと、想像できないことが実はたくさん溢れています。可能性は無限大です。
あなたはどんな思考で、どんな世界を生きたいですか?わたしもまだまだ模索中です。
自分だけの最高の世界を創造して、最高の人生にしていきたいですね!
今この瞬間があることに感謝を込めて。