変わること、変わらないこと

色んな言われ方がある。

人は絶対に変われない、と言う人もいれば、「自分」は変えられる、と言う人もいる。

僕は前者の言葉をよく言われたものだ。



そもそも、「変わる」ということ自体が曖昧で不明瞭なものだから、余計にわけが分からなくなる。

変わる、というからには基準となるものがあるはずであって、人間の、自分の基準とは一体何なのか。

よく分からない。



それでもやはり、生きていく上でそれとなく培ってきた経験や自己分析のもとに、

ある程度の「自分」という基準は自分の中に存在するわけで。

きっと誰しもそうだと思う。

それが本当に、正確に、自分を自分として理解できているかはまた別の話だけれど。



自分に対して不確実で掴みどころのない基準(これでは「基準」の意味を成していないけれど)しか

持てないのが人間らしいと思うし、奥深いものがある気がする。



何だっけ。



「人」が「変わる」というのは良い場合にも悪い場合にも使われる。

そんなことを言うと、何か良くて何が悪いんだ?というエンドレス議論が頭を駆け回るけど、

でもよく考えてみたら、良し悪しをつけること自体がナンセンスであって、

そんなの見方によって180度変わってしまうから、考えても無駄だった。



ただ、基本的に僕は、変化は嫌いじゃない。

そうだ、僕自身はどうなんだっけ。



という疑問が出てきたので、音楽との話をしてみようと思う。



そもそも僕は、音楽こそ(一般的な程度で)好きではあったけど、

楽器を弾くことになろうとはまったく思っていなかった。

自分で言うのもなんだけど、わりと大人しい人間だったし、真面目な人間だったし、

内気な人間でもあった。と、当時の僕は自己分析している。



それが13歳の時にジミー・ペイジのギターを知って、一気にギターが好きになってしまった。

(これは「変わった」に入るのだろうか)

それまで何も自分に誇れるものもなくて、ひとより自慢できることもなくて、

どちらかというとひっそりと、どちらかというとつまらなく生きていた気がするけど、

ギターは自分にとって特別な存在になった。

(ああそうか、自分が変わったのかは分からないけど、ギターという存在が生まれたのか)



それから僕は、ギターというやつに一喜一憂して、振り回されて(時に振り回して)、

いわゆる青春時代というやつを、音楽とともに過ごした。

とにかくギターが好きで、たくさんのバンドを掛け持ちして、1ヶ月の大半がリハやライブだった時期もあった。



時を経て、(かなり端折るけど)ある日ギターボーカルをやらないかと誘われた。

楽器を弾くだけでも想定外の人生だったので、歌を歌うことは本当に「考えてすらいなかった」。

結果的にはご覧のとおり、ギターボーカルという立場を与えられ、立っているわけだけど、やはりこれも、

僕にはとてつもなく大きな変化だった。

(だけど、変わったのは僕じゃなくて、僕のやろうとすることや、立場、見られ方、そんな外部要素の変化な気がする)



結局は新しいことを始めると自分が変わったような気もしたし、

それでも根本は変わらないという自覚もあった。



あんまり細かいことをつらつら書いてもしかたないので、つまりは、

変わったのは自分なのか環境なのか外部要素なのか何なのか、はっきりしないけれど、

新しい(と感じた)自分を生きようとして、生きていると、だんだんそれが本質に近づいて、

何がもともとの自分で、何が新しい自分なのかの境目なんて無くなると思う。

そう考えると、変わることも変わらないことも一周回って同じ意味なんじゃないかと思ったりする。



僕も君も彼も彼女も、唯一無二の存在であって、その全てが僕自身であり、あなた自身であるのだから。



変わるんじゃなくて、新しい一面の発見。それを自覚することは素敵なことだと思う。





変わること、変わらないこと。それは表面的なものであって、その真ん中にはいつも、僕がいて、あなたがいる。



それらを共感し、尊重し、受け入れて、認め合えること。

それはとても美しいことだと思った。





ああ、何か音楽もそんなものだし、ライブもそんなものだね。

って、何となく気づいた。







おやすみなさい。











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