amazarashi《無題》の歌詞から見える世界
amazarashiというアーティストをご存じだろうか。実直な歌詞で世界を構築し、哀愁を帯びた声でメッセージを届ける、不思議な魅力を持つアーティストだ。テレビなどのメディア露出こそほとんどないが、近年ではタイアップも多く、凝ったライブの演出などもあり、かなりの人気を誇る。今日はそんな彼らの魅力を「歌詞」の観点から少しだけ考えたい。
amazarashiは素顔を公表していない。名前や出身地こそ公表されてはいるが、経歴などは多くは語られていない。しかし、彼らの人柄や考え方はファンであれば容易に想像できるだろう。彼らの音楽の多くは、私小説の要素を多く含んでいるからだ。歌詞を綴るボーカルの秋田ひろむは、自分との戦いや現実への抵抗を、音楽の中に鮮明に描きだす。私たちは彼の歌に心の叫びを見出し、なんとはなしに自分と重ねてしまう。彼はそんな力のある歌詞を書く。語りたい名曲は枚挙に暇がないので、今回は2010年に発売されたミニアルバム『爆弾の作り方』より、《無題》の歌詞を読んでいく。
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この曲は、とある画家の人生を三人称視点で描いたものだ。画家「彼」は世間に評価され、やがて凋落していく。
木造アパートの一階で彼は夢中で絵をかいていた
描きたかったのは自分のこと 自分を取り巻く世界のこと
小さな頃から絵が好きだった
理由は皆が褒めてくれるから
でも今じゃ褒めてくれるのは
一緒に暮らしている彼女だけ
「彼」が今まで描いた絵は、すべて自分の周囲のことだけだ。ある日「彼」の絵が一枚売れた。それを皮切りに、全ての絵が売れるほど人気になる。いつも支えてくれている恋人は「彼」にこう伝える。
「信じてた事 正しかった」
人気になるにつれて絵の楽しさをより深く知った「彼」は、自分についてより深く掘り下げた作品を描く。人間の醜い部分を露呈させたその作品は大衆受けせず、「彼」世間から蔑まれる。支えてくれていた彼女ともすれ違い、やがて別れてしまう。大切なものを失い、苦悩する「彼」。
信じてた事 間違ってたかな
そう独り言ちる。
しかし彼は絵を描き続けた。すべて失った自分のことを未だ描き続けた。絵が好きだった理由も忘れ。
木造アパートの一階で彼は今でも絵を描いている
描きたかったのは自分の事
結局空っぽな僕の事
その後も絵を描き続けた「僕」の絵は、ある日久々に売れた。買った客から手紙が届く。そこにはただ一言、
「信じてた事 正しかった」
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ストーリー性の強いこの楽曲は、第三者視点の語り手により客観的に語られる。「彼」の人生の趨勢を冷静に語り続ける。しかし物語後半、曲でいうとCメロの部分で人称が「彼」から「僕」に変わる。冷静でいた語り手は自分の現状の場面に差し掛かるにつれて、不意に感情を漏らし、それは悲痛な叫びとなって顔を出す。この場面以降、歌詞は一人称で語られる。この曲は、すべてを失った絵描きの回顧の歌なのだ。
最後に絵を買ってくれた客は「僕」に、かつての恋人と同じ言葉を残す。描きたかった自分のことすら信じられなくなっていた「僕」は、その言葉を何度も何度も繰り返し読む。リフレインされるその言葉により、「僕」は初めて救済される。絵が好きな理由さえ見失っていた「僕」は、再び絵と向かい合うことができるようになったのだ。
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少しずれた話だけれどこの曲の「彼」のように、描きたいものと大衆が求めるものには差異があるよって記事も書いてあるので、こちらもぜひ。
小難しく言ってしまえばそれまでなのだけれど、この曲には物語に引き込まれ、どう転んでも自分と重ねてしまうような握力がある。夢を追うすべての大人に聴いてもらいたい一曲だ。
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個人的な話になるけれど、私は今年仕事を辞めた。3歳から音楽をはじめ、音大まで卒業したのだけれど、卒業時になぜ音楽をしているのかわからなくなって、一般企業に勤めることにした、その企業を辞めた。私の親はたぶん、私の音楽を信じて音大まで行かせてくれたのだろう。学生の頃から仕事をして1年くらいの頃まで付き合っていた恋人も、私を信じて応援してくれていた。しかし私は周囲の信頼から逃げた。
仕事を辞めて音楽を生業にすると決めた今、思う。「信じてた事 正しかった」そう言ってもらえるように、自分にも自信をもって言えるように。私と同じように、道半ばで悩んでいる人にこの曲が届けばいいなと思う。
勇気をくれたこの曲に感謝を込めて。
それではさよなら、また今度。
はるねこ