人との出会いはギャンブルだ
私にとって人との出会いはギャンブルみたいなものだ。
心というお金をすり減らし人と関わる。
当たればラッキーだ。その人を師としてついていき感謝すればいい。
外れたらアンラッキー。その人を敵として静かに戦っていかなくてはならない。
お金がなくては賭けることができない。
戦い続け、すり減らし続ける。これは心にも同じことが言えるのではないだろうか。
お金は減っていることが分かる確かな基準だ。心はどうだろうか。人によっ
て違う曖昧な基準なものだ。心はつい自分基準、他人基準で考えてしまう。
自分基準は「自分は我慢しているのにアイツはずるい」
他人基準は「皆も我慢しているのに自分だけはずるい」
心はすり減らしすぎると自分本位となるのだ。周りの環境を知らないふりして自死を選ぶか理不尽な殺人が起きるのではないのではないか。しかし皮肉なことに人との関わりですり減らした心は人との関わりでしか埋めるしかないのだ。
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