メーデーメーデー ーcanary in the coal mineー40分版台本
メーデーメーデー ‐canary in the coal mine-
男
女(ゆり)
金糸雀
暗闇に鋸の音が響く。プロジェクターの明かりが灯り、作業をする男の姿が浮かび上がる。
下手から女が現れる。女の歩みは壁を頼りにした酷く遅いものであり、言葉は明瞭だが遅い。
女 おかえりなさい
男 ただいま
女 椅子ももういらないの?
男 うん
女 ご飯出来てるから
男 今日はどれくらい歩いたの
女 ……
男 大人しくしてろって言ったよね。料理なんかしたら駄目だ
女 お昼はじっとしてたよ。持ってくるね
男 いいって。座ってなよ
女 私の分はいいよ
男 君さ、自分が死んだ後のこと考えてる?
女 ……
男 僕がまだ何も諦めていないのは君がいるからだ。だから……
女 ……諦めないって、何を?
男は台所へ行き、椀に食事をよそう。椀とスプーンを持ってくる。
女 今日は、固形シチューだよ
男 代わり映えしないけど彩がある。この実はなんだろう
女 木苺
男 配給で?
女 ……摘んできたの
男 退屈なのは分かるけど、せめて家にいてくれよ
女 摘んだのは一週間前。保冷庫に残ってたから
男 そうでなくても君の症状の進行は急だから……
女 食べて
男 頂きます
女 椅子、せっかく一緒に作ったのにバラバラにしちゃうんだね
男 材料があればまたすぐに作れるよ
女 材料がないから家のものが必要だって言ってなかった?
男 ……あればの話さ。
女 ……今日もトンネルのお仕事?
男 ああ。検疫官として派遣された矢先の落盤事故だろ。やっと今日現場の皆で岩をどかして下敷きになった人を見つけたけど、一目で感染してると分かる姿でさ
女 ……そう
男 日に日に増えてく作業員達も感染の疑いが濃厚だ。もうあそこには誰も近寄れない
女 ……じゃあトンネルにはもう行かなくていいの?帰り早くなるね
男 ……でもあれは初めて見た。血なんか一滴も流さないで地面と一体化してて……まるで本当に粘土みたいになって土に還ったみたいだ
女 土に……
男 …………でもこれ結構美味しいよ。やっぱゆりちゃん料理が上手だなって
女 働いてた人たちは……?
男 隔離……或いは滅菌処分……
女 あなたは
男 僕は大丈夫……いや、いくら予防接種を受けててもあんな所に行けばね。弱い者は切り捨てられるんだ。僕たちが助けを求めても耳を塞いで生きて奴らにすれば無関係なんだよ……ごちそうさま
女 ……うん
男 ゆりは今日何か食べた?
女 木苺を少しだけ
男 お腹が空かないってのがどういう気持ちなのか僕には想像もつかない
女 ねえ、壊した家のものどこに持って行ってるのかそろそろ教えてくれてもいいんじゃない
男 なあ、この家は静かだからいいよな。丘の上で裏は森。そして何より、仕事から帰ったら君がいる。邪魔なのはこれくらいだ。
女 何も流れてないけど……大丈夫かな
男 画面は付いてるし向こうのトラブルだろ。片付けてくる。
台所へ食器を片付けに。女は難しい表情をし
ている。男背後から近寄り、女の頬をつまむ
男 ゆりちゃん、笑顔
女 ちょっと、戻らないから
男 今日はもう寝よう
女 放送はちゃんと見なきゃいけないんだよ
男 寝ながら見たらいいじゃん。どうせ何も流れてないんだし。
布団を部屋の中央に敷く。女の手を取って布団まで導く
女 一緒に寝るのならシャワーくらい浴びてよ
男 消毒槽に浸かってきたから綺麗だよ
女 最近なんでまた一緒の布団で寝るの?
男 えっとね、布団の中でゆりがひんやりしてて、一つになってるけど別々、みたいだから
女 気持ち悪い
男 えっ?
女 ……でも、あなたがあそこの屋根を壊してから、星が綺麗に見えるようになったわ
男 うん。街から反対側の空だからな
女 それにお昼は鳥が巣を作りに来てた
男 え、鳥の巣?
女 あそこで木の枝を集めてた
男 へえ。普通人が住んでる所に巣をつくりに来るかな
女 その鳥たちを見てたら、二人でこの家を建てた時のことを思い出した。
男 うん。建てるより許可取るほうが大変だった。
女 職業柄、街から離れた場所で住む方が望ましいですって書類をもう何十枚も書いたね
男 そうだったな
女 楽しかった。人生で一番かもしれない
男 僕もそうだよ。あらゆる創作が禁止されて、抜け道みたいに残った数少ない表現が建築だった。こんなただの小屋みたいな家でも二人で何かを作る時間は楽しかった
女 ……
男 ……あ、忘れてたわけじゃなんだけど食後にどうかなと思ってさ
女 カントリーマアム、まだあったんだ
男 昔食べて美味しかったって言ってたよね。
女 うん、懐かしい。でもどこで
男 闇市
女 そう……明日ね
男 おやつくらい好きに食べたらいい
女 ……管理、されてるのかな
男、愛おしげな笑い
男 そう、闇市でこんなのも売っててさ
女 ギター……!!
男 歩くのも大変だろ。いつか買ってあげたかったんだ。
女 でも、指とかちゃんと動かないから……
男 君の創った芸術をもう一度聴きたい
女 芸術って……。弾き語りしてただけだよ
男 もう何回も言ってるけど。創作活動が禁止されたとき、最後まで街で路上ライブしてたのが十五歳の君だった。それから病院で偶然君と会うまで君が歌ってる姿が頭から離れなかった。だからさ、もう一度……
女 えー……。歌はたまに歌ってるでしょ
男 それじゃあ、君のご両親が歌ってた歌を聴かせてよ
女 歌や楽器を教わりはしたけど、二人の歌はよく覚えてないの
男 フォークだよね。真っ先に規制したっていうからさもっと……
女 そんなじゃないよ。でもその時は沢山の人がお母さんとお父さんを知っていた。捕まった後は……もう誰も口にすることはなくなった。二人を覚えているのは私だけ
男 僕も覚えてたいよ、君のご両親のこと
女 人の心に寄り添う歌ほど容赦なく消えていった。でも、それはもう代わりのものを作れるようになったからね。母さんも最後は自分の歌を歌うことはなくなって、既成の歌ばかり歌うようになったわ……
(歌う。AIに自動生成された美しくも陳腐な歌である)
男 ……そんな下らない歌じゃなくて僕は、人が言葉を紡いでた時代の歌を聴きたいんだ
女 それは偏見。私はAIが造る歌嫌いじゃないよ
男 僕は君の歌が聴きたい
女 ……本気なの?勝手に創作をすることは悪いことよ。特に音楽は……
男 君に何かを遺して欲しいって思うんだよ。こんな世界じゃなきゃ君はもっと歌ったり何か表現をしていたはずだ。そう思うだろ
女 放送がある時は向こうからも特に見てるんだって言ってたよね。そもそも楽器だってグレーなのに
男 僕は君に歌ってほしいと思ってる。ずっと続いてる緊急事態宣言が最初に出たのは35年前の疫病がきっかけだよね。芸術家が死に絶えたのはその時だ。弱い者こそが真っ先に危険を察知して声を上げる。だから一番に切り捨てられた。朽ちない強い芸術を作るべきなんだよ。僕にとってそれは君の創る音楽だ。そしてその芸術を僕の中に残して欲しい
女 音楽は強いからこそ真っ先に規制されたんでしょ。音楽は人を扇動して政治を妨げる行為だって前捕まった人がいるんでしょ
男 あれはアーティストをまるでテロリストの残党みたいに扱って見せしめにしてるだけだ
女 あなた、帰って来てからおかしくなった。こんなこと、放送の前で言えることじゃない。あなたの仕事の話も、ほんとは私なんかに話したら駄目なのに。私本当はここにいてはいけないんだから、行動には気をつけようって決めてたじゃない。危険を冒してまですること?
男 何も残せないのは悲しいことなんだ。僕はどんな形でも君を遺したい。その為に二通りのやり方を考えてる。一つは音楽……もう一つは
女 どうしてそんなことが言えるの?まるであなただけ自由になったみたいに。私がここに居ざるを得ないからってまるで鳥籠の鳥みたいに思って……
男 怒ったら怒った顔で固定されちゃうよ。大丈夫、逃げ場を用意してる。そこでゆっくりこれからを考えよう
女 ……逃げ場?
男 まず、今流行ってる病気っていうのは、
安静が第一なんだ。安静にさえしてれば生き続けることはできる
女 今病気の話なんてしてない
男 新しい家を建ててるんだよ
女 家……?
男 黙っててごめん。でもそこは絶対に安全なんだ。そこで一緒に過ごそう
女 その為に家のものを壊していたの
男 で、そこへ通じる通路だけ何か繋がったんだよ。今まで見せてなかったけどな。……いや、君は見ないでいてくれたのかもしれない。だから今見せるよ
女 ……!
(スクリーン下の幕が取り払われると、異形の門が現れる。)
男 この先に僕らの新しい暮らしがある。完成したら連れて行くよ。それまで待っていて欲しい
女 それは、あなたが作ったの?
男 当たり前だろ
女 どこに繋がってるの?
男 僕たちの新しい家だ
女 違う
男 違うはないだろ。気を悪くするなよ。僕が君を隔離病棟から連れ出して、外で死んだように工作したからこうやって暮らすことができてるんだ。もしかしたら泳がされてるだけかもしれない。だから早く行かなきゃいけないんだよ、向こうに。分かってくれるか
女 分からない。こんなの作るなんて普通じゃない
男 怖がらないでいい。ここに残る方がもっと恐ろしいことだよ。もし捕まればどうなるか知ってるのか。あれ、僕は知ってる……何が行われるのか……
女 後ろ
男 えっ
女 何か居る
男 何が
女 さっきまで後ろに居た
男 どこに。何がいるの
男が女の方を向くと、下手に金糸雀が立っている。
男 なんだ、小鳥か。驚かすなよ……
女 小鳥じゃない
男 黄緑で、丸々としてるだろ。あれは多分金糸雀だと思うよ。向こうの森から来たんだ。昼間来たのと一緒じゃないか
女 森の中で目覚めた
男 何だって?
金糸雀は大きく呼吸をしている。
女 ねえ、あの奥には何があるの。どこに繋がっているの
男 何度も言わせるな。新しい家があるんだ。
女 なら行って見せて
男 ……
女 ただの家なんでしょ。行って見せて
男 …………
女 行けないのね
男 あ、小鳥が逃げちゃう!……木苺食べるんじゃないの
金糸雀と女の呼吸が同期し始める
男 食べないか
金糸雀、暫しスクリーンを見つめ
女・金糸雀 「迎えに来た」
男 は?
女 ……
男 もう寝よう。小鳥は一旦追い出そうね。
女 今日はどこに行っていたの
男 トンネル
女 何のためのトンネルなの
男 目的は言えない。ごめんね
女 本土決戦
男 ……
女 噂になってた。すぐそこまで敵が攻めて来ていて、奇襲を仕掛ける策を練ってるって。その為のトンネルじゃない?
男 それはデマだよ
女 言いたくないことも言えないことがあるのも分かる。でもあなたはそのトンネルの仕事に行き始めて二日目……それからひと月帰ってこなかった。その間一切の連絡も寄越さなかった。せめて、その間に何があったのかだけ教えて
男 いい加減にしてくれ。この先にあるのは僕たちの新しい家だ。そこで僕たちは強い芸術を見つけるんだ。何のためのトンネルか、それは僕にも知らされてない。僕みたいな末端には何も伝えられない
金糸雀 嘘
男 ……
金糸雀 あの向こうは家じゃない。あなたが堕ちるべき地獄
男 聞いたか。地獄だってよ
女、固まる
男 ……ゆり?
金糸雀、家に火を付けようとする
男 おい!
金糸雀 殺すの?
男 は?
金糸雀 人殺し
男 火を消せ
金糸雀 親殺し
男 くそ
金糸雀 虐待……子殺し!
女 うわーーん
男 ゆり!
金糸雀火を消す
女 お母さん……?
金糸雀 ゆり、こいつは人殺しよ。そして放火魔
男 ……
金糸雀 本を燃やして楽しかった?
男 燃やしたくなんかなかったよ
金糸雀 でも燃やした
男 仕方なかった
金糸雀 反対しなかったということは賛成ね
男 人の内心を決め付けるな
金糸雀 ゆり、貴方の絵本を燃やしたのはこの男よ
女 どうして!
男 ごめんな。でも僕は古本屋の担当だった。君が読むようなものは燃やしてないよ
金糸雀 本を焼く者はいずれ人を焼くようになるわ
男 それは違う。僕が主体的に燃やしたわけじゃない
金糸雀 あなたが付けた火で一人も死ななかった?
男 ……!
金糸雀 あなたは面倒がって本棚に火をつけて去ったわ。その店の二階に子供が寝ていることも知らずに……その火が風に煽られ街中を燃やしたことも知らずに
男 あの日はそもそも街中大火事だった。隣人が紙でも持っていようものならすぐ火を放った。だが僕はその中でも理性を持って焚書に取り組んだ
金糸雀 理性だと?墓荒らしが。死んだ人間の尊厳も踏みにじる分際で。
男 ……
金糸雀 この病の発端は土葬の文化が根付くある一族にある。そう理由づける為に感染者と死体をすげ替えた……その死体はどこへやった
男 ……
金糸雀 黙っていれば済むのか?親殺し
女 お父さん
男 あれは与えられた試練だった。ああしなければより酷い目にあう。仕方なかった
女 お父さん
金糸雀 お前が社会不適合者でなければな
男 そうだ。18を過ぎてもまともな職に就けなかったから。誇り高き国の職員になりませんか……そう問われて選択の余地はなかった
金糸雀 子殺し
女 お父さん!お腹空いた!
男 ゆりごめんな。配給はお父さんが全部食べちゃったよ。……そうだ木苺がある。洗ってくるよ
女 木苺嫌い!臭い!
男 そっか、折角摘んだのにね……ああ、カントリーマアム。ほら、全部ゆりのだよ
女 嫌、お母さんがいい!お母さん!
金糸雀 極めつけにお前は生粋のレイシストだ。歪んだナショナリズムの持ち主。国と己の尊厳が結びついた生きる屍だ
男 俺は、あらゆる人種差別に反対してるし、国だって積極的に批判してきたはずだ。
金糸雀 その人間が、磔にされた異国人に石を投げ、この国を貶める存在だと流言飛語を飛ばすのか
男 昔の基準で今を断罪するのは止めてくれ。俺たちに信条の自由はないんだ。
金糸雀 それならば。配給を外された外国人にあの森に自生する植物のことを教えてやれば良かったのではないか。
男 森の資源には限りがある……
金糸雀 腹を空かせた外国人が外国人の家に盗みに入り返り討ちに遭っている様を目撃していたな。それを止めすらしなかった
男 俺という人間にも限りがあるんだ。全てに首を突っ込んでいられない
女 お父さん、お母さんはどこに行ったの
男 うるさい……
金糸雀 さあ早くその道を往け。私はヴェルギリウスとして生まれた。だがお前を導いてやるのは御免だ。
男 お前は一体何なんだ。神の遣いか。ならこの俺に慈悲をくれよ。
女 お父さんの馬鹿!お母さんの代わりに連れていかれれば良かった……。どこか行け!
金糸雀 ほら、娘もこう言っているぞ。考え方を変えたらどうだ。お前はこれほどたくさんの罪を背負っているのに誰にも裁かれずに済むんだ。あの道を往くだけで。さあ往け
女 (歌い始める)
金糸雀 ほら父親だろ!?
男 (女に)黙れこの売女!病気になって身体を売れなくなったお前を病院に紹介してやったのは誰だと思ってる……。
金糸雀 神に慈悲を寄越せとねだる口で売女と罵るとはな。見下げたものだ。
男 お前は神の遣いか?
金糸雀 下らない事を聞くな。そのだらしない口を閉ざしたらどうだ。
男 黙るのはお前だ。俺は耳を塞ぐ。お前は亡霊だ。朝になるまで喚いていろ。
金糸雀 自ずと判決は下る。お前に朝は来ない(金糸雀再び呼吸を始める)……ほらゆりちゃん、貴方も呼吸をするのよ。
女 私は理由なく呼吸はしない。必要ないもの。
金糸雀 私の言うことが聞けないの?
女 彼が目を塞いだのは彼だけのせいじゃない。(男に)貴方は耳を塞いだだけで世界と無関係になれるのかもしれない。でも私たちは違うの。目か耳どちらかで世界と向き合わないといけない。あれから、私たちはいくつもの病気を経験してきた。貴方だってまだ治っていない病気を抱えている。でもその度それを乗り越えて私たちはここにいるわ
金糸雀 ゆりちゃん。あなたがされていることは搾取よ。貴方がそう諭さねばならないことそれ自体が。辛い言葉を投げかけられてもなお前向きに言葉をかけてやらねばならないこと自体が搾取なのよ。
女 こういう時に声をかけあわないでいたら、私たちは何のために一緒にいるのか分からないわ。それができないなら、皆でこの病気に罹って一つの粘土の塊でいるのと変わらない。
金糸雀 流行り病が起きることに意味を見出してはいけないわ。それは神の試練でもなんでもない。貴方たちがただ受け入れ翻弄される、それだけのものよ
女 私は朝を待ちます。この放送が終われば私も眠りに就ける。
金糸雀 そうしたら。私はこの男を向こうへ導かねばならない。
男 もういいよ。もう。こうしてたって全部聞こえなくなるわけじゃない。…………あのさあ、ここから遠くのアパートに、太った主婦が洗濯物を干してるのが見えるんだよ。なんだかその姿に力強さを感じるし、それに母の面影を見るんだ
金糸雀 ……
男 ほら、マザコンとか言わないだろ。ゆり、今度一緒にお墓参りに行こう。街の共同墓地だけどね。そこには大きな木があるんだ。そこで母に祈りを捧げよう。
金糸雀 向き合え
男 は?
金糸雀 己の国と。政府と。
男 それはそうかもな。でも選挙も行われない国でどうしたら向かい合えるんだ?
金糸雀 違う。お前は森の迷宮で目覚めなければならない。
男 それはもっと違うんだよ。僕は何も諦めてなんかいない。地獄へも行かない。
金糸雀 あの向こうは地獄じゃない。あなたが後始末を忘れたトンネルよ
男 トンネル
女 何の後始末なの
男 ……落盤事故のだよ
女 あなたがトンネルへ向かったのはひと月と六日前なの。一度帰ってきたとき、酷く思いつめた様子だった
男 そうだったか。このひと月の記憶が曖昧だ。
金糸雀 あなたは私を殺した
男 殺した
金糸雀 あの奥には酸素がない
男 ……
金糸雀 呼吸ができない
男 あの通路は、地獄に繋がってしまった
金糸雀 違う。あの奥はトンネル
男 地獄がいいなあ
女 あの奥はトンネルなの
男 違うよ。君が安静に暮らすための新しい家だ
金糸雀 あの向こうはトンネル。崩落してガスが満ちている
男 ああ……俺はもう終わりなのか
金糸雀 いいえ、まだ終わらないわ。共に潜りましょう
男 ……ゆり。俺はやっと分かったよ。こいつは小鳥の姿をした秘密警察だ。俺はお前を匿った罪で投獄される。……ごめんね、守ってやれなかったよ。せめて君が楽に死ねることを祈っている……
女 この期に及んでまだ現実から逃げるのね
男 ……
女 私、あの通路の先へ行ってみる
男 ……
女 大丈夫。あなたの言うことを信用する。新しい家でしょ。もし帰ってこなかったら……あなたは後から来て。二人で出口を探しましょう
男 行くなら一緒だ
女 あなたが向こうへ行くのは逃げるためでしょ。私は迷わない為に行くの
男 君が居ても地獄からは抜けられない
女 ……はあ。何だかあの向こうにね、お母さんとお父さんが居る気がするの。お母さんが言ってた。人が天国に行けるかどうかは、一生のうちどれだけ善い行いをしたかじゃなくて、一生のうちどれだけのバナナを食べたかで決まるんだって。天国とか地獄とか、私たちにとっては本当に理不尽な方法で行き先が決まるのかも知れない。お父さんは昔愛国主義を掲げた歌手だったんだけど、お母さんに出会ってから『国』を愛することは辞めたの。国って、政治家でも国旗でも君が代でもない。土地で、言葉で、お酒で、そこに住む人々だって分かったからなんだって。ねえ、天国も地獄もただ人が作ったものだよ。それなら、会いたい人が居るところが行くべき場所じゃない?
男 (金糸雀に)ごめんね、わざわざここまで来てもらって。悪いけど、少しだけ時間をくれないかな。最後に二人で話したいんだ……。
金糸雀 ……お前は未来に犯す罪がある。それを分かっていながら答えを先延ばしにするのか。お前にこの国は相応しいよ。
金糸雀玄関から去る。その直後男は駆け出し、冒頭の鋸を手に表へ出る。やや息を切らして男は部屋へ戻る。女は興味をなくしたように椅子に座りギターを爪弾き始める。
男 ゆりちゃん、永い夜だ。君を連れて逃げたあの日を思い出す。
女 なにか思いせた?
男 うん。放送ってさ、あれもともと国会が流れてたよな。それがニュース番組になってバラエティになって風景だけが流れて……そして今日、何も流れなくなった。実は楽しみにしてたんだけど、期待はずれだよな。真実を知ろうとすればするほど向こうは遠ざかっていく
女 ……
男 何か言ってくれよ
女 おかあさん、なあに、おかあさんっていい匂い……
男 ねえ、鉱山の金糸雀って知ってる?……80年代までかな。地面を掘り進めると、有毒ガスが出るだろ?ガスの量を計る計器もない時代はさ、金糸雀が重宝されてたんだ。人より遥かに少ない量のガスで気絶するから、それを見て鉱山夫たちは逃げ出したんだ。
女 それがどうかしたの
男 それがどうしたのってお前さあ。とっても大事なことを思い出したんだよ
唄を忘れたカナリヤは
後ろの山に捨てましょか
いえいえそれは なりませぬ
唄を忘れたカナリヤは
背戸の小藪に埋《い》けましょか
いえいえそれは なりませぬ
唄を忘れたカナリヤは
柳の鞭でぶちましょか
いえいえそれは かわいそう
男 ……ゆりちゃんもう聞いてないや。(鳥籠に向かい)君なら聞いてくれるかな?……トンネル初仕事の時にその金糸雀の話を思い出して向こうの森から捕まえてきたんだ。で、早速300人くらい検査したかな。そしたらさ、全員陽性だったんだ。つまり感染者を殺して埋めることが僕の仕事だって気づいた。その日は無理を言って家に帰った。でもその日ゆりは体調が悪そうで、あまり話せなかったな。次の日、僕のファイルにトンネル入口の爆破方法なんて紙が挟まってて思わず笑っちゃった。何千人に増えた作業員をトンネルの中に集めて、入口を壊した後仕込んだ気化ガスと発火装置を作動させた。そういえば金糸雀を籠の中に入れっぱなしだったなーって思いながら。
暫くしたら誰かやって来て、君にはカウンセリングが必要だって言われた。長かったのはそのカウンセリングでね。……一ヶ月の間、ずーーっと続いた。そして解放されたのがつい最近。帰って来れて嬉しかった。でも後始末までが僕の仕事。トンネルの奥で炎にしっかり焼かれた人たちは陶器みたいに固まって、入口で火から逃れた人たちは固まる寸前のコンクリートみたいで……家を建てるのにうってつけの材料だと思った。だから……
……なあ、何だか息苦しくないか。君が歌ってくれないと苦しいよ。
女 あの奥に全部空気が流れて行っている。私は、歌ってあげることは出来る。
男 聴きたいな……人が言葉を紡いでいた時代の唄……
唄を忘れたカナリヤは
象牙の船に銀の櫂
月夜の海に浮かべれば
忘れた唄を思い出す
女 お母さんとお父さんのふたりのユニットは、カナリアって言ったの。私たちが鳴くことを止めても、その静けさがまた二人を思い出させてくれますようにって。弱くても、その弱さが誰かを救いますようにって……
男 嘘だろ
女 何で?
男 出来すぎてるよ。誰も金糸雀じゃないんだ
女 そうかな。そうだったらいいと思うけど
男 (空笑いする)
女 ……ねえ、私、最後にあなたと静かな場所で二人きりになりたいわ
男 放送は11時になるまで終わらないよ
女 あなたが壊した床の下にコードが埋まってたの。これを切ったら…………あ、(部屋の電気もろとも消えて)ねえ、どこ
男 僕が行くよ。
女 星が綺麗に見える
男 街から反対側の空だからな
女 それさっきも言ってた
男 そうだっけ?
暗闇の中で二人は寄り添っている
女 私、生きてるよ
男、空笑いする
暗闇の中、衣擦れの音と微かな吐息が聞こえる。1分ほど続いただろうか、轟音の警報と共にテレビの明かりが煌々と灯り、その光に女の首を絞める男が浮かび上がる。激しくドアを叩く音の中男は女を抱き抱え門の上で飾り付けるように座らせ、ああでもないと女の姿勢を組み換え『考える人』の完成を目指す。
チェーンソーがドアを裂く強烈な音のもと理想の姿となり男は換気の拍手。現れた金糸雀が男に蝋燭を差し出す。
男は恐る恐るそれを受け取り、屈んで通路の先を進む。ドアが蹴破られる。
足音のみが聞こえる。
金糸雀が少し歩み、来訪者と相対する。
金糸雀は何度も呼吸を繰り返し、
すべての息を吐き切り、大きく吸ったところで暗転。幕
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