熱血この身に宿りて走る-②
熱血この身に宿りて走る-②
長尾(66)
若槻(23)
有田(52)
テイ
中部地方・太平洋に面した町の製鉄工場。
従業員は全員この町に住んでいて、うち3割は寮から通っている。
二か月前に起こった作業員の転落死も忘れられようとしていた矢先、同じ部署の青年・若槻が倒壊したフォークリフトの木材に足を挟まれ大怪我をする事故が起こった。
10月として前例のない寒さの20:00過ぎ、工場の食堂で長尾はひとりカップそばの麺が戻るのを待っていた。
鍵を閉めに回っていた警備員の有田が厨房側から食堂のドアを開ける。
テレビではワイドショーが流れている。
有田 あれ、久しぶりだね。……最近は長尾さん来ないし時間潰してくるの止めたんだけど。
厨房の戸を閉め、正面の両開き戸の鍵を握る。
長尾は席を立つ素振りも見せない。
有田 災難だったね、彼……若槻くん。行ったんでしょ、ツーリング。こうも立て続けに労災が起こるとね。社長、お祓い行ったほうがいいよ。勿論、お見舞いにも。……長尾さんは、お見舞いは行った?
長尾 言われなくたって、行くよ。
有田 どうなの彼の容態は。
長尾 意識もあって、命に別状はないと
有田 ふうん、そっか。復帰できそうなの?
長尾は黙っている。カップ麺から湯気が立ち登っている。
有田 久場さんに続き、呪われてるね、あの枠は。代わりも見つかるかどうか。気にせず食べて行ったらいいですよ。でもまあ、気にしなかったらこの時間っていうか。使うなら使うで、別に遅く来ますし。でも使わないんだったら、早めに閉められた方がもちろん早いよってだけで。
長尾 今日は買っていかないの?
有田 弁当にしたんですよ!やっぱりインスタントは良くないなと思って。今日はピリ辛きんぴら。昨晩のうちにたっぷり作ってタッパーに……作り置きってやつね。これがビールに合うからついつまみに……。
厨房側のノブがガチャンと回された。そのまま試みようと続けるので、有田は億劫そうに鍵を開ける。
テイ あ、有田さん
有田 何してんの
テイ えっと
有田 正門空けてきたの
テイ 来客者の対応で分からないことが
有田 そういう時はこれ(PHS)使うんだよ!だいぶ待たしてんじゃないの?いいから戻れって!
テイ はい
有田 あっちから出たほうが早いって!
厨房側の戸から戻ろうとしたテイは食堂を横切り出て行く。
有田 彼だよ、フォークリフト運転してたの。社長の計らいで配属替え。でもいいのかね、外国人の契約ってややこしいもんじゃないの。……彼、いつまで続くと思う?
長尾 知らないよ
有田 いつ辞めてくれても構わないけどね。話も合わないし、トイレ流し忘れてるし、スパイシーな臭いするし
有田は椅子に深く腰掛けた。
有田 食べないの?
長尾 食欲がないんだよ
有田 いつまで待てばいいのさ
有田はテレビに目をやる。
有田 俺が食おうか
長尾 え
有田 食えないんなら
長尾は無言でカップ麺を有田の方に寄せた。有田は席をひとつ分移動しカップ麺を手にとった。
有田 いただきます
有田は掃除機のごとく麺を吸い上げる。
長尾は机の荷物置きにある、ラミネートされたチラシがまとめられた車のカタログを読み始めた。系列の自動車会社から社割で購入できるものや、補助金を受けられる車種が紹介されている。
有田 マイカーですか?またまた。
長尾 見てるだけだ
有田 この前久々に運転したら、座席にすっぽり嵌っちゃって。車が棺桶になるところだったよ。……かかってこないな。
有田はPHSで正門と連絡を取る。数コールの後、息を切らせたテイが走ってきた。
テイ 電池が切れてました
有田 あ?
テイ すいません
有田 来客は?
テイ 一度帰ってもらいました
有田 はぁ?
テイ すいません
有田 何だよそれ、何言ってんの。名前は?
テイ 覚えてません
有田 はぁー!?畜生、この時間なら森野さんかな……森野さんならいいけど……違う気がすんな!クソ、帳簿帳簿!
有田はカップ麺もよそに正門に駆けていった。背筋を曲げたテイがとぼとぼついていこうとする。
長尾 君……。お見舞いに行こうと思うんだけど、もう済ませたかな?
✽
日曜日、昼。総合病院の大部屋で若槻はスマホを触っている。
部屋に入ってきた長尾に気が付くと笑顔を見せた。
若槻 長尾さん、お久しぶりっす。わざわざすいません
長尾 いいんだよ。どうだい調子は
若槻の表情が曇る。
長尾 これこの辺の名産なんだけど
若槻 えっ、メロンっすか
長尾 マスクメロン。早めに食べてね
若槻 はい!いただきます
長尾 それとなんだけど。おいで。
長尾が促すが、入口脇にいるはずだったテイの姿がない。
長尾 あれ?あっ、いない……。あ、その
若槻 わざわざ。もういいのに
長尾 そんな訳には
若槻 もう一回来てるんですよ。弁護士だったかと一緒に。何でまた。お節介ですね。
長尾 なら彼もそうといえばいいじゃないか
テイが病室に入ってくる。手には百貨店の紙袋を提げている。
長尾 テイくんどうして
テイ すいません、緊張してトイレに
長尾 そっちじゃなくて
若槻 また何か持ってきてくれたんですか?缶に入ったいいやつ。
テイ この度は、本当に申し訳ございませんでした。私の不注意で……
若槻 いやいやいや……現場の管理不行き届きが大きいって判断になったんですよね。無免許でフォーク運転させたとか。書類来てないですか?確か保険会社から
テイ ……
長尾 届いた郵送物とか、意味分かってる?
テイは首を振る。
若槻 で、相手は外国人で回収の見込みが薄いから会社に損害賠償を請求しましょうってなってるんです。だからもう、いいんすよ。労災保険も無事下りそうで。この件はおしまい。お見舞いは貰いますけどね
カラっとした様子で話す若槻。紙袋を倒すと函館のペナントが覗いた。
若槻 ……
長尾 ステッカー気になってたみたいだから
若槻 俺、こういうのは買わない派っすね
テイ お早い回復と復帰をお祈りしております。何か困ったことがあれば誠心誠意対応させて頂きます
テイは弁護士に教わった謝罪文を唱えている。
復帰という言葉に若槻の表情が陰る。
長尾 怪我はどんな具合?仕事には戻れそう?
若槻 分かんないっす。リハビリもやってますけど、根気強くやっていこうと言われるばっかりで。障害手帳を取ることも視野に考えていくってことで、進んでますけど
長尾 そんなもんだよ。大丈夫、若いんだから
若槻 若いから何なんですか
長尾 きっと回復も早い
若槻 そうですね。頑張ります!
途端に笑顔に切り替わり、明るく言葉を吐いてみせた。
若槻 せっかく就いた仕事ですもんね。ツーリングも約束したまま行けてないですし。一刻も早く復帰できるよう気合いれなきゃな。その、お菓子ありがとうございます。もう、気にしなくて結構ですよ。この通り元気ですから。
テイ 会社は、本当に責任をとってくれるのでしょうか?あの日私たちを監督していたのはグエン・スアン・ダンです。彼が責任を負わされる結果にはならないでしょうか。立場の弱い者が押し付けられてしまわないでしょうか。
若槻 安心してください、その時は損害賠償は請求しません
長尾 そんな……、それはどうなんだ。君だって立場の弱い
若槻 弱いって何なんですかね。
長尾 え
若槻 弁護士さんとか、大学の時の教授もしきりに言っていましたけど。俺は普通にやってるだけなのに弱いんですか。で怪我したらもっと。俺はそんなつもりはないですよ。
長尾 そういうことじゃない。そういうことじゃ
若槻 え、それ、もしかして、買ったんすか?
言い淀む長尾のポケットに若槻は車のキーを見つけた。
長尾 ああ。結局中古にしたんだ。即納車。言ったっけ?車買おうか悩んでたこと
若槻 見ててなんとなくは……。でも、何で??
長尾 棺桶にするためかな
若槻 ……
長尾 何でもない。じゃあもう行くよ。テイくんも、もういいかな
テイ はぁ
若槻 気をつけてくださいよ
長尾 ん
若槻 車は
長尾 ああ、もちろん。……じゃあ
テイ 失礼しました
若槻 長尾さん!
若槻は呼び止め、己の脚を見た。これからも走り続けようとする長尾という老人と、歩くこともままならなくなるかもしれない自身を比較して、続く言葉はなくなってしまった。
若槻 気をつけて。……お元気で
長尾 ああ。ありがとう
長尾とテイは病院の廊下を歩いていった。
完
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