シルバーレース

シルバーレース

若槻 24歳。大学卒業後一年経て工場に就職する。
古河 23歳。片腕が動かない。

場所 工場の点検歩廊

時  昼前

工場の歩廊で、若槻は手持ち無沙汰にしている。
古河は首から下げたバインダーを胴体で支え、チェックシートを記入している。

若槻 何書いてんすか
古河 気にしないでいいよ。見学のつもりでいればいい
若槻 むずいっすか
古河 何も
若槻 いっこ前の紙、見てきていいすか
古河 どっちでもいいよ

若槻は大きなあくびをした。
反対側に作業をしている壮年の作業員がいる。

古河 実際の検査は、高橋さんに教えてもらって
若槻 え?
古河 俺は実演できないから
若槻 高橋さんの仕事の、ダブルチェックをしてるんすね
古河 そうだよ
若槻 どこ見てるか、教えてくださいよ
古河 高橋さんの仕事は間違いないから
若槻 いや、でも
古河 だから、見学のつもりでいたらいいよ
若槻 ……そうすか

若槻はベルトコンベアが長く続く作業場を見下ろし、向かいの高橋に目をくれる。

若槻 じいさんばっか

若槻はもう一度大きなあくびをした

古河 俺でも出来る仕事だから
若槻 え?
古河 もう今日で辞めるし
若槻 ああ、へぇ……
古河 ……
若槻 辞めて、どうすんすか?

古河は作業場を見下ろしチェックシートをめくると、さっさとチェックボックスに書き込みを始めた。

古河 辞めて、辞める

若槻はベルトコンベアの先を見る。幾重にも折り返し、レーンが切り替わり、奥まで続いている。

若槻 見てて飽きないっすね。マリカみたいで。あの火花散ってるの、クッパ城っすよ
古河 俺は、ボンバーマンだと思ってた
若槻 え、どこがすか
古河 白いのが、せせこましく動いてるから

若槻はチェックシートを覗き込む。高速でチェックをつけていたのは「作業員の態度」の項目だった。

若槻 潰し合いだから、じゃなくて?
古河 え?
若槻 態度悪い奴は弾いて、給与カットとか?
古河 まさか。そんな権限ない
若槻 じゃ何で書いてるんすか
古河 それは、この仕事が閑職だからだよ
若槻 あー……?
古河 もともとここの営業だったんだけど、腕が駄目になってから、この仕事を貰ったんだ。本来、高橋さんが片手間でやる仕事ね。だから、見学のつもりで居ろってのは本当だよ。なくなる仕事だからね
若槻 営業だったんすか
古河 うん
若槻 ……事故で?
古河 新卒でここに就職して、お得意先との初めての営業に行った時……その会社のラグビーサークルの人たちに潰れるまで飲まされて。一人でうちに帰ろうとしたら、雪道で眠ってしまって。目が覚めた時には、雪にうもれていた左腕がどす黒くなってた。車も運転できないし、もう駄目だな
若槻 なら、何で辞めるんすか。ずっとここで働けば
古河 みんな俺を疎ましがってるよ
若槻 俺は、閑職に就くために、採用されたんすかね
古河 高橋さんももう高齢だから、その後任育成だろうね
若槻 じゃあ、俺が仕事覚えたら高橋さんはどうなるんです?
古河 高橋さんが、この仕事に収まるかもしれない
若槻 で、おれがジジイになったら?
古河 また、新しい奴が来る
若槻 はは
古河 はっ……(笑い)
若槻 古河さんと話せるのは、今日限りってことだ
古河 別に大したことじゃない
若槻 彼女とかいるんすか
古河 いるわけないだろ
若槻 そっかー、ま、いたら辞めませんわな
古河 こんなカタワの面倒みてくれる女なんていないよ
若槻 え?
古河 ひいじいちゃんが言うんだよ。わしのひ孫がカタワになっちまったって。お陰でみんな、おお、カタワの兄ちゃん!だぜ
若槻 あ、じゃあさ、何か電話対応とか無理なんすか?俺学生時代、ヘッドセット付けてやってたけど
古河 いや、無理だろ
若槻 何で?
古河 お前、俺無愛想な奴だって思ったろ
若槻 あー、そうだわ
古河 無理だろ?
若槻 あーね
古河 あーねじゃねえよ。お前新卒?
若槻 いえ?一年ニートやってました
古河 なんだ。…………お前は、頑張れよ

背後でガシャンガシャンと音が鳴った。一周回り終えた高橋が階段を下っている。

若槻 あれ、高橋さん作業終わったってこと?
古河 やべえ、こっちまだ全然終わってねえや。……ってことは

古河は時計を確認する。ちょうどその時鐘の音が鳴り、昼休憩の時間が訪れた。

古河 とりあえず、飯行くか
若槻 そっすね。食堂あるってマジすか?

二人は、キャットウォークの始めから三分の一程しか進んでいない道を引き返した。

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