文学を学ぶ。

今日は大学で、四回生さんの卒論中間発表の学会がありました。私は大学で、日本文化や日本語について学ぶ研究室に所属しています。そのため今回の発表も日本文学、日本語学についての発表で、古典文学、近代文学、方言やイントネーションなど様々な視点から先輩たちが1人30分ほどお話ししてくれました。

 私が今一番興味があるのは近代文学です。大学に入った当初は、古典がやりたいと思っていました。しかし、この二年間授業を受けて一番面白いと思うのは文学の授業なのです。その理由は、今まで自分が考えてきた“文学”の考え方が180度ひっくり返ったからだと思います。今までの私は“文学”と呼ばれるような文豪たちの作品を国語の授業でしか読んだことがありませんでした。皆さんも体験した通り、高校までの授業で現代文学に触れる時、考えなければならないことはその時の登場人物の気持ち、描写から読み取れる示唆ぐらいのものでした。しかし、大学の授業では、それらのことは二の次三の次、むしろそんなことは大して問題ではない、と考えるのです。大学における“文学”の捉え方は“精密機械”のようなものだと私は思います。ストーリーに全く関係ないところで何かしら仕掛けが隠れていて、それがストーリーが動くにつれてひっそりと動いている、それが文学なのです。それは読み手にわかるように書いてあるものではなく、ぱっと見気づかないほど繊細に文章に織り込まれ、何かしらの意図を持って変化します。物語に関係なさそうなその一文の中で、その精密な仕掛けが少し顔を出しているのです。そのため文学の文章は1文たりとも、いえ、1文字たりとも欠かせない、そんなふうに言えてしまうほど繊細で考え抜かれた芸術なのです。まさに精密機械だと思いませんか?

 例えば“走れメロス”。ストーリーとしてはただただメロスが友達のために走るお話。高校までの読み方をすると、友人同士の美しい友情を筆者は伝えたいのだという結論になると思います。しかし大学で学ぶ読み方をすると、あれは“メロスが赤くなる話”なのです。きっと多くのひとが私の言っている意味を理解できないと思います。しかし“赤”を頭において読んでみてください。メロスはこの作品内で周りの人も風景も巻き込んで徐々に徐々に赤くなり、最終的に真っ赤になっているはずです。


  このように“文学の新しい読み方”を習っていくうちに私はもともとやりたかった古典よりも近代文学に興味を持つようになりました。今日の学会の先輩方は自分の選んだテーマに向き合い続け誰もが理解できる言葉でわかりやすく説明してくださりとても輝いて見えました。私もあんな4回生になれるのかな、、。少し不安もありますが今は想像もできない新たな感情、新たな楽しさに出会えると信じて沢山勉強に励みたいと思います☺️