嫌われても

基本的に人に恵まれ人間関係では悩まない私だが、5、6年に1度くらいの頻度で1人くらい私のことを目の敵にする人に出会う。
大体が同性で、まぁ簡単に言えばその人の目指すポジションに私がいる場合が多い。
私の何かが彼女達を苛立たせたり、彼女達の神経を逆撫でするようだ。ファーストコンタクトで挨拶も碌にしないうちに嫌われていたりする。お手上げである。。。

いきなりスタートしてしまったが、今回はそんなような話をしたい。

 会社や学校、さまざまな場所で各々が自分のポジションをなんとなく見定めて生きている。
 しかし、隣のポジションが羨ましくなる時や、あそこに立ちたかったのに!なんてこともたまにあるのだ。もしかしたら女性はそういう位置付けが若干男性より強いかもしれない。
立ちたかった場所に立てなくても価値がない訳ではない。生きていけない訳ではない。他に出来ることは沢山ある。人生にはやらねばならん事が沢山ある。なのに他人が持っているものが欲しい。

正直にはっきり言うとそれは嫉妬心でしかない。

若いことに嫉妬された時、私は思うのだ、別にあんたも若かっただろう、私だっておばさんになるんだよ。みんな平等に歳をとる。若さは消耗品なのだ。
若さが残っているうちに若さ以外の取り柄を見つけなければいけない。私だって焦っている。

才能に嫉妬された時、私は思う。今からでも始めればいいのに。こんな阿保ほど小さい才能に向かって嫉妬に狂うほど情熱があるならすぐに超えられるだろう。才能なんて好きでやってるうちに才能じみてくるものだと思うのだ。

だけど、こんな事を言ったって相手はさらに私を嫌いになるだろう。こんな事言わなくても私のことが嫌いだというのだから、相当嫌いなんだろう。
煽てても媚びても対戦してもダメだろう。
彼女達は私のことをが嫌いだ。何をしたって気に触るのだ。
嫌いな人がいたって別にいいと思う。しかし、嫌いな人に対して大人が嫌いを剥き出しにするのはあまりにも見苦しい。客観的に自分を見て、「あ、見苦しいな」と自分を律せないのも少し恥ずかしい。そんなことしても相手は死なないので馬鹿らしさも加わるわけだ。
そういうことに気づけない人、育ちが悪いと私は思っている。
裕福な家に生まれたとかいう家柄の悪さではない。自分を育てられてないってことだと思う。心が幼い。
やり返したり無視するのも、育ちが悪い気がする。

じゃあそういう人をどうするか。

そういう人には普通に接しようと思う。どうもしない。その人が私のポジションに苛々して意地悪したくなるのはその人のお育ちの問題であって、私の問題ではないからだ。
人の世話を焼く時間はない。人生は短い。一瞬の出会いに、村人Bに、いちいち構ってはいられない。責任を持って彼女達を育ててあげられるほど私は立派ではない。

彼女達もいつか気付くかもしれないし、そのまま気づかないかも。知ったこっちゃないのである。

こうして私は本日もぽかぽか生きて、彼女達から嫌われ続けるだろう。
嫌われても、私まで彼女達を嫌いにならなくてもいい。

そして、どうしても嫌な事をされたなら、嫌だと伝える。言葉で分かって貰えなければ、とりあえず殴ろうと思う。グーで。拳さえあれば、いつだって相手をタコ殴り出来ると思うと案外平気である。

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