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黒い指輪の女を演じるまで

[演出不在の稽古7日間]
2ヶ月と言う稽古期間の中、これから大詰めというところで演出家を失い、そこからは平常心を保つのがとても困難な日々を過ごしました
大詰めと言いつつも、私の出演シーンの共演者である猪島さんが合流するその日の朝に倒れたので、そのシーンに関しては全くの手付かずでもありました
私は正直、小川さんが倒れてICUにいると知らされたとき、冷酷ながら、あ、もう公演は無理だと思っていました
そう思うほど、小川さんは全部のことを1人でやってらっしゃいました

自分は小川作品初めての参加で、どんなふうに作品を作るんだろう?と手探りでいながらもなんとなく分かりはじめていたタイミングでもあり、小川さんの台本を読めば読むほど本当にこの人が書いたのか疑いたくなる(失礼)くらい素晴らしい台本だと気づいていて、その感動を稽古場で本人にお伝えしたいと思っていた矢先で音信不通になり、目の前が真っ暗になりました
みんなどうするんだろう、と思っているときに主演のミレイちゃんも小川さんの奥さんもやらないという選択肢がないという態度だった
きっとそれが小川イズムなんだろう
意見すべきところではないのだろう
そう推し量ることしかできなかったし、それでよかったと今は思ってます
私はとても怖かったけど「どんな状態でも小川さんが生きている限り戻ってくるのが何年先でも待つ。そのために作品作りを続けよう」と勝手に決めていました

いつから体調が悪かったのか、もう知る由もないけど、あの頃インフルエンザが大流行していて他にも体調不良のメンバーもいたので、さすがに発熱があった小川さんを帰らせたのが最後で彼が稽古場に戻ってくることはなかったわけだけど、猪島さんがくるまでは私とミレイちゃんでリードしてみんなと自主稽古したりしていました
そして小川さんが意識不明になってしまった
自分たちで公演を強行・成立させるためにやることが一気に増えたのを分担するために、奥さんとの大事な連絡などをミレイちゃんが担当し、演技の混乱を避けるためにも稽古をみるのを猪島さんが担当し、私は稽古場の演出助手のような役割に切り替えました
ミレイちゃんが本当の意味で座長らしくなっていったのはここからだったな

大事な部分や“小川さんが言っていたこと”はその都度みんなで共有して、足並みを揃えようとした
そうやって稽古を進めて、お医者さまからお話があった“この日までは”という小川さんのお誕生日1/14も過ぎたので、ひょっとしたら目を覚ましてくれるかもと淡い期待を抱いていた1/15の夜、小川さんが息を引きとったと連絡がありました
私はその時点では大きすぎる喪失感はあれど不思議と寂しさはなかったので涙はでず、でもどうなってしまうんだろうこの公演はとか、小川さんがやりたかった作品に到達することができるのかとか、さすがにこの先は小川さんの不在理由をちゃんと公表しなきゃなとか、ぐるんぐるん考えを巡らせながらも来たる本番のために黒髪にするべく1/16の朝に美容院に行く時にアクセルとブレーキを踏み間違えるというとんでもなく危険なやらかしでの自損事故を起こし、車が大破
あまりのショックに自分のことも信じられなくなり、稽古も行きたくないくらいでしたが、そんなことを言ってられるはずもなく、とにかく黒髪にして稽古最終日を過ごしました

本当はみんなにも事故のことを言いたくはなかったのですが、人間茫然とするとこんなにも危険なんだということを体験したことで大切な共演者たちのことが心配になりグループLINEで気をつけてねとお伝えしました(お前が言うなって感じでしかない笑)
そうするとみんなもいろいろとやらかしてたってことを私に話してくれたりして少し心が解れ、なんとか持ち直すことができたように思います

本番前日1/17の“浅川マキさん追悼ライブ@もっきりや”はもともと都合がつかず不参加だったので、1日しずかに休みながら忘れ物をしないようにゆっくり荷造りしたり、当日ゲネ前のシーン作りのために音響照明のきっかけなどを改めてチェックしたりして過ごしました


つづくーー(だから長すぎるって!)

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