コト消費
私は写真を撮ることが好きだ
中学生の時
自分はフェンシング部だけに所属していたが
その裏で写真部の活動にも
こそこそ参加していた
最後まで写真部には所属しなかったものの
ほとんど部員と同じくらい参加していたので
卒業アルバムの部活ごとの集合写真のページに
写真部員と一緒に写真を撮って載せてもらった
そしてその後
高校生になり
晴れて写真部に入ることになるのだ
しかし、
写真は所詮一枚の紙でしかなく
なかなか周りに感動を伝えにくい
外国車やブランドバッグのように
価格といったわかりやすい指標があれば
それを集めればそれだけで
わかりやすく世間は驚くだろう
写真は残ったとしても
その写真が持つ力が大きいとは限らないのだ
かつて日本の都は京都にあったと
歴史の教科書が必死に写真で伝えてこようと
それを体験していない現代人にとってみれば
なかなか伝わらないものである
実際に京都に行けば
なんとなくでも
美しい神社や寺を見たり
文化を実感したり出来るので
「ここに都があったような気がする、かな」
くらいには感じられる
写真は実感を通じて
その力を大きくすることが出来るのである
みんなにも幼い時があって
当時の写真を見れば
その時の記憶を
思い出すことがあるだろう
当時のアルバムをめくりながら
楽しそうに思い出を話す祖父母を
何度も見てきた
今朝
6枚切りの食パンを買ってと伝えて
昼過ぎ
8枚切りの食パンを買ってくるような
お茶目な祖父母でさえ
写真一枚で数十年前の記憶を
ペラペラと話すのである
今回京都に友達と旅行した思い出も
いっぱいの写真や動画と共に
自分の記憶に残ることとなるだろう
明け方の清水寺がいかに神秘的だったことも
京都のスタバがいかにおしゃれだったことも
安井金比羅宮で願ったことも
八阪神社で恋おみくじを引いたことも
勝林寺での座禅体験したことも
二条で食べたモンブランの食感も
それらの思い出が例え
他の人に100%届かなくても
私たちが今回実際に
古都で消費してきたことも
学生らしい旅をしたことも
この4人が出会えたことも
数々の写真と共に
永遠に記憶に残ることになるだろう