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旅の話 四編。

史実にヒントをもらいながら書いておりますと、
たまに、
「作品の舞台となった場所を旅してきました!」という
うれしいメールを頂くことがあります。
そんな「旅の話」を四編、ご紹介。
2021年コロナ渦の現在、私たちは自由に海外を旅することができません。
旅気分を少しでも味わっていただければ幸いです。

旅の話1 『マリア』の大選帝候のお墓 inベルリン


ベルリンを旅したSさんからいただいたメールです。

「…ドイツ旅行の時、ベルリン大聖堂に行ったときの写真を送ります。

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大選帝侯のお墓は、地下墓所にありました。
ベルリン大聖堂は、ホーエンツォレルン家の墓所になっているので
もちろんお墓だらけだったのですが、
その中でも中央の、ひっっそりとした場所に大選帝侯のお墓がありました。
没年の1688と刻まれているのが見えるかと思います。

その他の色々と並んでいる方々とかと、すこし違う場所にあって
私たちのマリアのフリッツ様は、やはり大選帝侯だったんだなぁ。
実際には、大選帝侯と呼ばれたのは晩年の頃…でしたっけ。

こちらは、そのベルリン大聖堂の外観です。

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普通に礼拝堂としても使用されている場所なので、
一階は宗教画とか、礼拝の時の椅子が並んでいたり…
端の方に、フリードリヒ大王の金ぴかの棺があって驚きました。
このくらいの歴史上の人物なら金の棺はまぁ解りますが、
地下の他の一族の人とは別に扱われていました。
観光客が写真をとりまくり。日本人があまり行く場所ではないので
日本人はいませんでしたが、観光している人もやっぱりいました。
何も行事が無い時は観光できるらしいです。

この大聖堂の上のドーム状の部分を一周、
外に出て展望できるようになっているのですが
ベルリンの街をぐるりと一周みてきました。
随分と景色は変わっているんだろうけれど、
この場所に昔大選帝侯というひとがいたんだな~と感慨深かったです。
そんな風に思いながら旅をできるのって、
やっぱり歴史を舞台にしている小説ならではですよね。

大選帝侯とは縁がないホーエンツォレルン城から見た景色のほうが、
田舎の風景でふもとに見える小さな街のほうが
マリアの舞台を連想してしまいました。

ここは本当に戦うことを目的に建てられた城だったので
行く時もバスで山登りでしたし
壁には攻めて来た敵を弓で射るための穴があいていて
日本人のいく観光ルートにはなっていないのが残念なくらい
中世の城らしいところです。

こうして書いてみると
ほんとうに帰国子女の友人にムリを言って
あちこち連れて行ってもらったものだと思います。
でも、彼女もホーエンツォレルン城は行きづらいけど
もう一度行ってみたい城だったからと、快くOKしてくれました。
有名なノイシュバンシュタインなどよりもよっぽど城らしかったです。
ノイシュバンはやっぱり個人の趣味で作られたきらびやかな城ですからね…」


Sさんメールありがとう!
すごいです。こんなにも近づけるものなのね。
飾り気がなくて、がっちりしていて、いかにもドイツらしいね。
連れていってくれる友達がいるのがうらやましい!
一度はいってみたいものです…。

『ドイツ史』(山川出版社)という本をざあっと読んだとき、
一番おもしろいなあと思ったのが、なぜかこの人でした。
信長に共通するものを持っていると思ったんだけど、
たとえば、
もしドイツの公共放送でNHKの大河ドラマみたいなものがあるとして、
このひとを主役にしたら、さぞかしおもしろいんじゃないだろうか??
とか、そんなことを思うのです。
このひと、お国元のドイツでは、どのくらい人気があるんだろうなあ。
ドイツ人のお友達がいたら、ぜひきいてみたい。

旅の話2 『薫フィレ』のフィレンツェ


『薫風のフィレンツェ』の舞台、フィレンツェを旅してきたMさんからのメールです。

「昨年ですが、2週間ほど、ヨーロッパを周ったときの話です…。

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カバンに『薫風のフィレンツェ』をいれて、
ふらふらと美術館と教会を梯子しながら、歩いてたのですが、
美術館で、ちょっと怖いけど、勇ましく立っているのをみて
『あ、ドナテッロ!』とすぐわかりました。

ドナテッロを知ったのは、『薫風のフィレンツェ』で、
ミケルがお気に入り彫刻家だと話していたのを読んだときでした。
…そのあと色々なドナッテロを見ましたが、
どれも印象的な雰囲気がただよ っておりました。
彼の独創性は現代美術に近いところもあるかもしれない。
「あー、なんか憧れるのはわかりますね、ミケルさん。」
などと心のなかで言ってみたり・・。
ただそれだけだったのですが、
私には、あの街ではルネッサンスの有名人とちょっと近い視点から
不思議に感じることができるところでした」


いいですね~フィレンツェそぞろ歩き。
『薫フィレ』の中でもたびたび書きましたが、
フィレンツェという街は、街自体が美術館のようなものだそうで、
歩いているだけで、びっくりするような美術品に出会えるわけです。

上の写真、建物の向こうにかいま見えている巨大で赤い丸屋根が、
ドゥオモ(サンタマリア・デル・フィオーレ教会の大聖堂)ですね。
フィレンツェの町中を歩いていると、
こんなふうにどこからでもみえるようになってます。
この赤い屋根の下でジュリオのお父さん
(華のジュリアーノ。ロレンツォ豪華王の実弟)が
よってたかって惨殺されたわけで、
つまりジュリオは、フィレンツェのどこにいても、
父親の殺害現場が目に入ってきてしまうわけです。
ジュリオという美少年を、ファザコン気味の、
かなり感じやすい子に設定したのは、ここらへんの事情からきています…。

さてここでひとつ告白。
榛名はフィレンツェには、行ったことがありません。
人にそのことをいうと、返ってくる反応は二つあって、
「え~どうしてどうして? 行っておいでよ」
と、しゃにむに行くことを薦める人と、
「絶対行かない方がいい」と、断言する人。
榛名の頭の中には、
十五世紀のフィレンツェがもうきちんと存在するのだから、
わざわざ二十一世紀のフィレンツェを見にいく必要はない。
かえって印象が悪くなると困るでしょう?という意見です。

両者ともごもっとも。
もちろん行きたいですが、ちょっと怖いような気がしないでもない😊



旅の話3 『アレ伝』の東地中海(レヴァント)テュロス近くの海


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東地中海(レヴァント)の波打ち際。
テュロスを背に、シドン方向をみて撮られたそうです。
ハミルが生まれ育った、東地中海です。紺碧です。
手前の波打ち際に岩礁が見えますが、
人工島テュロスも、こんな岩礁の上にたてられたんでしょうか。
アレクスがにらんだ海、エリッサが泣いた海、サラが飛び込んだ海、
何千年たっても、たぶん、海はかわってないねえ。

では、実際に旅してこられた、Hさんによるレポートをどうぞ。


『西暦2000年10月 レバノン。
レバノンへ行こうと思ったのは、
『遺跡が好き』『イスラム圏が好き』『地中海が好き』と、
好きなモノがいろいろ重なったから。
本当はシリア・ヨルダン(よくこの3カ国がセットになっています)
にも行きたかったのですが、旅費が高いので、もうちょっと安かった
『レバノン&南キプロス10日間』というツアーに参加。
これが想像以上にステキなところで…!

この写真は東地中海&海岸沿いの風景です。
シドンとテュロス(ティルス)の中間くらいにある
『ムーネスホテル』というホテルのレストランから、北方向にむけて…
つまり、テュロスを背に、シドンへ向かって撮影しました。

シドン~テュロス間は、約35キロ。
キレイに舗装された海岸沿いの道路で結ばれています。
遺跡周辺と海岸道路は観光客用に安全が保たれているようなのですが、
海岸の反対側にある山にはテロリストがいるので、
入ってはいけないそうです……ホントなのか!? 
ツアー客(わたしたち)はのんびりとバスに揺られていたのですが、
添乗員さんは、いつ山からテロリストたちが降りてくるかと、
ハラハラしていたそうです(後日談)。

残念ながら、シドンもティルスも、
古代ローマ帝国や十字軍の遺跡に塗り替えられて、
フェニキア時代の面影は、ほとんどありません。
が、テュロスの海岸の最先端から見る地中海の穏やかな波や青い空は、
きっとサラたちが見ていたのと、同じ景色でしょうね…』


Hさん、本当にありがとうございます。

それにしても、レバノン、いってみたいなあ。
あそこらへんの、まだ手つかずの、半分砂に埋もれたまま、
もしくは、テュロスのように、波に洗われたままの
古代の街の遺跡に、大変惹かれます。
地元の人は放りっぱなしだし、
観光客もなかなかそこまでは行けない、っていう場所に眠る遺跡を、
めぐりたいなあ。遺跡に、さわってきたい。
(ぺたぺたさわるのが好き😊)

旅の話4 『アレ伝』のギリシャ サントリーニ島

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最後は、はるな自身の旅の話。

ここは、
エーゲ海に浮かぶサントリーニ島(古名はティラ島)のレストラン。
テーブルの下は、海まで断崖絶壁。

なにしろこの島では、
こうしてエーゲ海にしずんでいく夕日をながめながら
夕食をとるのがすばらしい。
レストランは、み~んなこんな感じです。つまり「外」。屋根なんかない。
雨が降ったら営業にならないと思うんだけど、
きっと雨なんか降らないんだろうなあ。

料理もおいしかったです。
手の込んだ料理じゃなくて素朴なんだけど、素材が新鮮なせいかな。
こんな風景の中で、外で食べたら、な~んだっておいしいかもしれない。
ワインも二人で一本空けました。とにかく、すばらしい思い出です。

(なので、榛名しおりのブログや、ツイッター、インスタなどのアイコンは、全部この青い水差しに統一してます)

あと、このサントリーニ島には、発掘中の古代遺跡があって、
発掘しているすぐそばを、見学できるんです。
遺跡といっても、掘り出しているのは、神殿や王宮とかじゃありません。
「町」。
アトランティスが一夜にして沈んだという伝説は、
この島がモデルなんじゃないかと説もあるそうで、
町並みが、そのまま埋まっているのを、黙々と発掘しています。

町の遺跡といえば、なんといってもポンペイが有名ですが、
ここは、ポンペイのように、整然とした町並みじゃないの。
路地の幅とか、曲がり具合なんかが、なんだかとっても庶民ぽくてね。
私の頭の中にあったテュロスの下町のイメージと、とっても似てたから、
歩いていて、とても不思議な気分になりました。
そこらへんからひょいと、サラやハミルが顔を出しそう。

いい写真がとれなかったのは、この遺跡全体が、
すっぽりと大きな屋根に覆われていて、
ちょっと暗かったからかな。残念。

アレ伝の三巻(『碧きエーゲの恩寵』)で、
ハミルがとらわれのペルシアのお姫様を助けようと奮闘する場面や、
ナーザニンが編んだシーツで断崖をおりていく場面がありますが、
このレストランからみた、この断崖絶壁を思い浮かべながら書きました。

***

以上、旅の話四編でした。
(ただいま書き仕事のかたわら、
古いお仕事blogの、断捨離作業を進めております。
はるなが書いたどうでもいい古い記事は、ばしばし削除しているのですが、
読者さんからのメールを紹介したこのような記事は、
どうしても削除できない。
ということで、さらっとこちらにお引っ越ししてきました😊
しばらくこのお引っ越し作業が続くと思われます。
次はたぶんお返事ペーパーかな)


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ありがとうございます。サポートして下さったあなたのおごりでゆっくりお茶を頂きながら、次は何を書くか楽しく悩みたいと思います😊