庭と別れるとき。
坂をちょっと下ったところに、小じんまりとした庭がある。
神社の林がちょうど風よけになる、南西角地の日当たりのいいお庭で、花や野菜を丁寧に細やかに育てていたのは初老の男性Oさんだ。
うちの犬は、優しいOさんが大好きで、しまいには、散歩のたびに庭深く入り込みOさんにあいたがるようになった。Oさんも庭のどこにいようが何をしていようが必ず手を止めてくれる。双方一日ぶりの再会に大感激。犬はそのまままったりとくつろぎOさんの庭から動かなくなるから、私はいつもふたりの仲を引き裂くいけずな役どころにされた。Oさんと私、どちらが飼い主かわからない。
雑草を根絶やしにしなければ気がすまないOさんだったのに、あるとき犬が駐車場の隅の雑草の新芽をおいしそうに食べるのを見て、以来、その雑草のまわりだけは除草剤をまかずに、はえるままにして食べさせてくれた。細やかな配慮と、そして実行の人で、クレマチスの交配が得意だった。初夏、何種類のクレマチスが乱れ咲いていたことか。日頃控えめで穏やかなOさんだったけれど、長年苦労して交配して咲かせるにいたった真っ赤なクレマチスの写真をスマホで見せてくれるときだけは、らしからぬ得意げな少年の顔をしていた。
夏には庭で育った青々としたゴーヤをいただいた。
だが、去年の夏、ゴーヤをもいでくれるOさんは、長袖のダウンジャケットを脱げないでいた。ガンの通院治療がひどくしんどいとのこと。すでに胃を全て切除しているOさんは、あうたびに痩せ、そして、痩せれば痩せるほど、うちの犬とその日あえたことを感謝してやまなかった。「おかげで今日も元気をもらえました、ありがとう!ありがとう!」そういって名残惜しそうにいつまでも私と犬を見送ってくれた。
庭にOさんの姿が見えなくなると、犬は毎日庭の前で足を止め、戸惑うようになった。
Oさんが病院通いのために乗っていた車も駐車場から消えて戻ってこなくなり、いつのまにか、Oさんが庭の隅にたてた作業小屋も解体された。
庭は、どうなるだろう。
通りかかるたびにOさんを案じながら、私はどうしようもなく父の庭を思いだしていた。父が亡くなった次の春、主を失った庭(裏庭や通路を含む)に、ありえないほどの花があふれた。驚いた私たちは、初めて父の最後の作業に気づかされた。末期ガンだった父は最後の入院の直前、ありえないほどの肥料をすべての庭木に置き土産していったのだ。きっと肥料を根元に置きながら、一本一本に別れを告げたのだろう。
しかし、庭は父の遺言通り、実家が売却されると同時に更地にされたわけで、前年ありえないほどの花を咲かせた庭木たちは、一本残らず根こそぎにされた。父が最後に肥料などあげたりしたから、なおさらあわれに思えてならなかった。
ある日、がらんとしたOさんの庭に、めずらしくOさんの奥さんがいた。奥さんは、空にした鉢を、何曜日のゴミに出したらいいかわからないと嘆いた。
そして冬枯れのクレマチスを見ながら言った。
「根元に除草剤をまいていったのよ。どっさり」
驚いて声もない私に、苦笑しながらうなづいた。「うん、あわてて止めたんだけどね。いいんだって。おれが全部、あっちに持って行くんだって」
Oさんの不在にまだ慣れない犬は、お父さんはどこ?とそこらへんのにおいをかぎまわっている。
冬枯れのクレマチスの枝の先に、花のあとの種が、風に飛ばされず、そのまま残っているのに気づいた。種までは除草剤はまわっていないはずだ。「この種、蒔きますか?」とOさんの奥さんに確かめたら、くたびれた様子で首を横に振った。とりあえず手の中に包み、とっさに家に連れ帰ってしまった。
どうしようこの種を。
Oさんが全部あっちに持って行くはずのものを。
答えてくれない、これがクレマチスの種です。
ありがとうございます。サポートして下さったあなたのおごりでゆっくりお茶を頂きながら、次は何を書くか楽しく悩みたいと思います😊