夢のまま心の中で温めていたかった
『正倉院展』に一度行ってみたいと、二十代の頃から思っていた。
(箱根を越えて奈良まで行くので、行くなら最低でも一泊はしたい)
ようやくその夢が叶ったのは、十四年前の秋、四十を過ぎてから。
事前に期待していたものを、はるかに超えていた。感動した。
その結果、
「奈良の『正倉院展』に、毎年通いたい」
という、ほとんど野望にも似た夢が、私の中にふつふつとわきあがって、それはこの十四年間、ずっと私のウィッシュリストの最上段に、燦然と輝き続けている。
(注:正倉院展は毎年展示される宝物が異なり、膨大な数の宝物を全てコンプリートするのは、何十年通い続けてもむずかしい、とされている)
「今年は上野に正倉院がくるね」
と、親友からのメール。
十四年前、私は彼女を奈良の正倉院展に付き合わせた。
そのかわり、彼女は私を、奈良郊外にある松柏美術館につきあわせた。
私は上村松園の作品と出会って夢のような時間を過ごした。そうそう、法隆寺もボランティアガイドさんについてじっくり回った。盛りだくさんの二泊三日。
「あれって、二泊三日だった?」
つい先日、雨がそぼ降る中、上野のトーハク(東京国立博物館)前の行列に並んだ私たちは笑いあった。
そう。あれはまさかの二泊三日。十四年前、よく行ったよなあ。お互い幼い子どもたちがいたし、仕事もどっさり抱えていたのに。
でも、思い切って全部放り出して行ってしまえば、なんとでもなった。子どもたちは無事三日間を生き延びていた。母親のいない家はこんな感じなんだと、実感したはずだし、おかあさんだって自分の楽しみのためにお友達とでかけることもあるんだとわかったはずだ。
多少しわ寄せされた仕事は、リフレッシュ効果もあってすぐに取り戻した。(と思う)
すんなり行かしてくれただんなも偉かった。
けどね、私も偉かった。常日頃から、超アウトドア派のだんなに好き放題にさせてあげていたから、こうした肝心の時に「だめ」と言わせなかった。
(特に、オレゴンのカヌースクールに二週間、気持ちよく送り出してあげた。あれが効いてたなあ)
あれから十四年ぶり、二回目の、正倉院の宝物(@上野)
博物館や美術館に行く理由は、人それぞれだろうけれど、私は、正倉院の宝物にひかれてやまない。
展示されているのは、発掘されたものではない。財力にものをいわせて買い集められたものでもない。「伝世品」だ。
正倉院という場所におさめられ、大事に守り継がれてきた。
千二百年余にわたってこの宝物を秘蔵しながら守り継いできた人たちを、もし数えることができるなら、はたして何人くらいになるのだろう。
守り継ぐことが、現金収入をもたらすとは思えない。逆に、守り継がなければ、手っ取り早く金になったはずだ。散逸させなかったものは何?
そして、遠くから運ばれてきたものには、尋ねたくなる。あなたはいったいどこから来たの。ペルシア?ギリシア?ローマ?
いったいどんな人のどんな手があなたを作ったの?どうやって奈良まで運ばれてきたの。らくだの背中に乗って?インド洋の波にゆられて?いったい何にくるまれて来たの。
特に、古いガラスは、私の心をとらえて放さない。
ササン朝ペルシアで製作されたといわれる、透明なカットグラス、白瑠璃碗(はくるりのわん)の前には、一日だって立っていられるだろう。
親友と「これ、あの時奈良で見たね~」と確認しあった宝物も何点かあって、懐かしかった。
あれから十四年。私たちにとっては大変な時の流れだ。四人の子どもたちはあれこれ苦難を乗り越えながら成長した。私の仕事も色あいを変え、あくせくしてるうち、私自身も年をとった。二回手術をし、臓器を一つ失った。
しかし、目の前の宝物は、何一つ変わらずにたたずんでいる。
宝物にとってみれば、ほんのまばたきくらいにしかならない、私のこの十四年。
かくして、前売り券の半券は切られ、思い出の品となって私の手帳に貼りつけられた。
ああ、やはりいいなあ。正倉院の宝物は。来年は奈良に行こうかな。
多分今までも、行こうと思えば、なんとか行けたと思う。でも、先延ばししたいような気がして、行かなかった。
この夢は、あえてかなえずに、心の中で温め続けたかった。だって、正倉院展にとってかわるような至福の夢が、この先私の前に現れるとは思えない。夢は、ないと困る。些細な夢をかなえるために、今日も明日もがんばれる。しゃんと生きなきゃ、と思わせてくれるのが、夢。
かくして、「行っちゃえ奈良」と「もう少し夢のままで温めましょうよ」という気持ちの狭間で揺れ動いてきた十四年。
正倉院はね、どこにもいかない。何一つ変わらず、何年だって、何十年だって、なんなら何百年だって、そのままでいてくれるはず。
でも、私はそうはいかないということが、今回よくわかりました。視力が確かなうちに、そして人混みに負けずに歩けるうちに、とっとと奈良に行ってこようと思います(笑)
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