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子どもが何歳になったら、心配しなくてもよくなるのか、母は知りたい。

小さな命を、はじめて胎内に授かったのは、25歳の夏。

新婚の私は、仕事をやめて無職だったし、妊娠することを望んでいたはずだったし、やや年上のハーレー親父(夫)にも父親になる責任感があふれていたし、みなさんおめでとうといってくれたし。
でも、
テレビドラマやコマーシャルでよく見る妊婦さんのように、大きなおなかを撫でながら幸せそうにうっとり微笑むなんて、とてもできなかった。
自分の体内で、自分のものではない小さな心臓が、一生懸命鼓動をうっていることに、なかなか慣れない。なんだこの違和感。

交通量の多い道路で信号待ちしている時に気づいた。もし暴走車がつっこんできて私が死んだら、この小さな心臓も止まるんだなあ。
「死にたくない」じゃなくて「死ねない」と思ったのは、あの時が初めて。
心配でたまらなくなった。車がつっこんできたらどうしよう。

おなかがふくらむのに比例して、心配もあれこれ増加。
結局、陣痛促進剤を最後に使わざるをえなかった二十時間超えの、あまり思い出したくないお産ののち、元気に生まれてくれた長男は、本当に美しくて、かわいらしかった。
ますます私は心配になった。これからこのかわいらしい子を、母親の私がちゃんと育てなければならない。
経験もなし、マニュアルもほとんどないのに、ちゃんと育てられるんだろうか?ちゃんと育つのか?

家で二人きりでいたら、心配でどうにかなってしまいそう。
(ネットのない時代だから、なんの情報もないし)
私は長男を連れてせっせと外に出ることにした。
近所の公園はもちろん、
「託児付きの○○市民講座(無料)」なんかは、必ず子連れで参加した。
講座の中身は、なんでもよかった。託児されている間、長男がどうしていたか、あれこれ保育士さんと話す方が楽しみだった。
ちゃんと育ってるかな? うん。ちゃんと育ってるみたい。

二週間に一度近所にやってくる図書館の巡回バスの司書さんとのおしゃべりも楽しみだった。
「ほらね、うちの子、車の絵本しか手に取らないので心配なんです。物語の絵本は好きじゃないんでしょうか?」
「今はね、どんな絵本でもいいの。手に取ってパラパラすると楽しい、ってことがわかるのが今は大事。だから大丈夫よ」
三十年たった今でもよく覚えている。なぜなら、その言葉は本当だったから。

そんなふうに手元で育てているうちはまあまあよかったんだけど、幼稚園に入ったらまたまた心配になった。
だって長男は、同じクラスの○○君や○○ちゃんのように、大人の言うことに素直に従う優等生タイプではないみたいだぞ。
「うちの子、よその子にくらべてどうなんでしょう?」
ベテラン先生は笑顔でしみじみ言ってくれた。
「よその子と比べてもな~んにもなりませんよ。○○君、いい味出てるし」

ベテラン先生がこの時直感的に口にされた「いい味出てる」は、その後何年も私の心の支えとなり、長男が何か「超個性的」なことをやらかしてくれるたび、おまじないのように唱えました。うん、いい味だ。いい味出てる……

中学生になれば、心配することもなくなるだろう、と思ったけれど、そうじゃなかった。
高校に合格すれば、心配することもなくなる……それも違った。
大学に無事合格すれば……それも違った。
二十歳になって成人すれば……なんの関係もなかった。
いい就職先さえ決まれば……それも違った。(←今ここ)
お嫁さんをもらえば……それはそれでまた心配だろうなあ。

同年代の友達ともよく話すんだけど、
結局、子どもが何歳になっても、子どもは子ども。心配の種。
母親の心配はつきない。

でもね。
私は、四人兄妹の最年長である長男のことを、小学校の頃からずうっと「○○さん」と、「さん」づけで呼んでいる。
(ちなみに教師をしてる次男は、永遠の「ちゃん」付け)

ずうっと心配の種ではあるものの、それ以上に、とっても頼りになる。
それがうちの長男。

(あ、彼は大学時代バイトしていた某○ニーズの「とろーり卵のオムライス」を、リクエストすればいつでもちょちょいとうちで作ってくれます。それもポイント高い)


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