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この緩やかな上昇気流に身を任せ

しばらくぶりです。こいつ近ごろ書いてないぞと心配して下さった方々にはごめんなさい。m(_ _)m コロナ鬱というほどではないのだけれど、気持ちは低空飛行中。読後感のいい記事が書けそうもなかったので、noteもしばらく自粛しておりました。
少し報道を見過ぎたんだと思う。ワイドショーじゃないよ。民放はもともとほとんどみない。コマーシャルを強制的に見させられるのが苦手で。
コロナ関係、特に医療関係の番組とか、BSで海外の悲惨なニュースやドキュメンタリーをついついどっぷりみてしまったり、さらに、前回の記事でも書いたけれど、欧米に在住されてる方々のブログをあれこれ読み込むうち、圧倒され、胸が詰まってしまいました。
気をつけてはいたんだけどね。私は、自分でも困ってしまうほど“憑依(ひょうい)”しやすい体質で(まあ、だから”物書き”を続けてこられたのかもしれないけれど)311の時も、しばらくは苦しくてなんにも書けませんでした。(忘れもしない、あれは『ロクサリーヌ夜話』を書いてる最中でした) まるで自分が、苦しんでる人と同じ空気を吸ってるような気分になってしまう。

私にいただくメールを読むと、私の書くものを読んでくださる人って、心が繊細な人が多い。本当に多い。
私あてに長文のメールを書くこと自体が、その人のセラピーになってるんだって気づいてからは、説教じみた返事は書かなくなりましたが、それでも少しでも励ましてあげたくて、素人ながら丁寧に返信メールは書くようにしています。(ごめんなさいしばらく返信がたまってます。この記事を無事書けたら必ず)
だから、きっとこのnoteを読んで下さるのも繊細な方が多いのではないかと思ってます。新型コロナの今こそ、みなさんを励まさなきゃあ!と思い、「みんなでがんばりましょうね!」系のnoteをいくつか書いたんですが、まるでだめ。うつうつした気持ちが行間ににじみ出てしまう。
こんなうっとうしい時期に、こんなうっとうしい記事を読ませるわけにはいかない――そんなわけで、noteもしばらく自粛していました。

ほら、こうして書いていても、どこからか鍵盤ハーモニカの練習が聞こえてきます。小さな子の世話をしているみなさん、ほんとうにお疲れさまですとお母さんたちの頭を撫でてねぎらってあげたい。昔、子どもたちが長期休暇に入るたび、「学校再開まであと何日、あと何日」と指折り数えながら耐え忍んでいたのを思い出します。2月とか3月から始まって、もう5月も末だよ?本当に大変。できることなら飛んでいって半日だけでもお子さんを預かってあげたいよ。もしくは、ランチにオムライスでも作って、上げ膳据え膳で食べさせてあげたい。

こんなことになるなんて、ほんと、誰にも想像できなかったよね。私だって、十数年ぶりにミシンを引っ張りだし、家族のために、まさかの”布”マスクを縫ってる。いまだに信じられない。(やってみたら意外にはまって量産したけど)
そう。もともと人生なんて、想像できないことのオンパレード。想像もできなかったことばかり立て続けに起こるのが人生。
逆に言うと、想像した通りに、順番に展開する人生なんて、退屈でやってられない。次の台詞がかんたんに読めてしまうドラマみたいで。
人生はまさかの連続。でも、どんなまさかの展開にも、”順応”できる自分でありたい。順応できれば、先の読めない未来だって、楽しめるかもしれない。

腹立たしい”アベノマスク”は、いまだに届きません。
でも、発表される各種数字と共に、私の気持ちもなんとかゆるやかな上昇気流にのったみたいです。長かったね。(どうした神奈川県民とツッコまないでやってください)
高度は、いまだに低空のまま。でもだいじょうぶ。それでいい、と自分に言ってあげたい。ここでひとり無理して急上昇すれば、失速するのは目に見えている。私は生まれながらのおっちょこちょいなので、そうした失速は何度も経験済み。ここはね、無理をせず、がんばらず、このゆるやかな上昇気流に身を任せます。
うつうつした自分が、どんなことに対してどんな感情を抱くか、おもしろがりながら観察していきたい。

さあ、ミシンをしまって、メールにお返事書こう。

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(ミシンといっしょに発掘されたいにしえの生地。懐かしいなあ)


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ありがとうございます。サポートして下さったあなたのおごりでゆっくりお茶を頂きながら、次は何を書くか楽しく悩みたいと思います😊