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元号と船と私
昭和に生を受け、平成を流れて、令和で人生を終えるだろうか。
自分の意思とは関係なく元号は移り変わっていったけど、
私の人生もおおよそうではなかったかな、と思う。
(まだアラフォーだけど、今のとこ)
とか言うと、早くに妊娠したり離婚歴があったりするので、
ツッコミを受けそうな気がしないでもないけど。
舵を切った後は流れるまま、そうして今ここまで行き着いた感覚でいる。
何も間違っていなかったし、
全部ひっくるめて自分だけの大切な道のりだったと感じられる。
「違う船に乗っていたら」
「舵を別の方向に切っていたら」
「海じゃなくて山を選んでいたら」とか、
どうしようもないことを考えることはあるし、
考えたせいで、もやり、とすることもあるけど、
そうやって考えた後
「じゃあそれを踏まえて、これからの時間をどう遣うか」と
ちゃんと思考を拡げることができる。
まぁまぁ優秀じゃないか、なんて。
頭ではそう思っていても、
自分の心に自信を持たせるのは私にはとても難しいから、
私は時々「私みたいな人が目の前にいたらどう声を掛ける?」と考える。
そうやって頭の中で、
透明の他者を通して自分の心と話をしようとしてみたりする。
これからの時間もきっと基本は流れるまま、
もしまた元号が変わっても「はいはいオッケーよ」と受け入れるが如く。
でもせっかくなら、ゆらゆらと進んでいく途中で何か掴めるように
もっと流れの中をじっくりと見るようにしてみよう。
と、年齢を一つ重ねて思ったのでありました。
てか、さむーーー