【セルフラブ】ありのままに生きる❗️
ずっと書きたくて、でも一番書くのが怖かった、私の性格について、書きたいと思います。
なぜ書くのか?
自分の中身を曝け出すことは怖いし、別にやる必要性みたいなものは全くありません。
でも、私は、こうやって今まで人に隠してきたり押さえつけてきたような自分の弱い部分を、あえて外に曝け出すことで、自分を縛っていた呪縛から解放されて、もっと自分に素直に、自由に生きていけると思ったから、書こうと思いました。
あとは、もしおんなじように苦しんでる人がいたら、こういう人もいるんだってなって楽になれたらいいなって、ちょっと思ってます^_^
まずは、自分の人生を振り返る
私は両家の初孫として生まれて、いろんな人からたくさん愛をもらって育ちました。
私は、太陽みたいな存在だねって言われることがたくさんあります。
あんまり意識したことがなかったけど、
私の突き進む姿勢、周りを巻き込む意識は、知らないうちに周りの人に勇気ややる気を与えたりできているみたいです。
おそらく私は、幼少期に家族から初孫として愛を注いでもらったおかげで、自分を人生の主人公だって認識して、常に突き進めているのかなと思います。
私には一才下の妹がいます。
妹はアトピーがあったりして、お母さんが気をかけないといけない子で、
私は一歳になったころから、お姉ちゃんとしてちゃんとしないとっていう意識が育っていました。
あとは、自立してると、しっかりしてるねって褒めてもらえることが多くて、それが嬉しくて、もっと自立しようとしていた気がします。
でもやっぱり、寂しいと感じることはたぶん多くて、
夜寝る時、妹、お母さん、私で川の字で寝ていたんですが、お母さんが妹のお世話をしていて、私に背を向けて寝ないといけなかった時のことは、なんとなくずっと記憶にあります笑
何かを頑張って、達成したら褒めてもらえる、私をみんなが見てくれる、そういう感覚がちょっとだけ育っていた気がします。
人生の一つ目の転機は小学校3年生の転校でした。
たぶんそれまで家族だったりに守られてきて、新しい環境に飛び込むという経験があんまりなくて、
友達が誰もいないということが、人生の終わりみたいな感覚でした笑
今となっては1人で海外に来ちゃうくらいになったんですが笑
そんな中で、担任の先生がすごく厳しいおばあちゃん先生で、
勉強もスポーツも音楽も芸術もスパルタで、優等生みたいな感じで生きてきていた私は、怖くて怖くて絶望していました^_^
そんな中で、ある意味生存本能というか、
先生が求めることを達成したら、褒めてもらえて、私もこの場所に存在できる、みたいに感じて、
全部めちゃめちゃ頑張るようになりました。
そしたらいろんなことで人より秀でることができて、
先生にも周りにも褒められて、
なんでも卒なくできる優等生、みたいな感じだったと思います。
この先生のおかげで、努力する忍耐力は、間違いなく身についたと思います。
そういう、優等生のイメージを守りたい、という感情に加えて、
単純に、すごくすごく負けず嫌いな部分もあります。
絶対負けたくない、だから出来る限り努力する、
これはたぶん、そのスパルタおばあちゃん先生が、とにかく量をこなさせるタイプの人だったので、
努力していればいつか身になって勝てる、
そういう感覚が育ったんだと思います。
でも、その先生が割とできない人を真っ向から否定するタイプで、
私も同じように、周りの人に自分と同じレベルの努力を求め、できない人を否定するような目で見るようになってしまいました。
チームで動く時、私がこんな頑張ってるのに、なんでみんなはおんなじように頑張ってくれないの、と思ってました。
中学に入って、部長だったり行事のリーダーだったり、たくさん上に立ってきましたが、
今振り返って、リーダーとして失格だなという行動をしていたことがたくさんあります。
まあでもそれも、中学生だからしょうがないよなと、今は思うしかないんですが😅
優等生として生きる長さが長くなって、
失敗して周りから失望されることがとても怖くなっていきました。
はじめはいろんなことを単純に楽しんでとり組んでいたのに、
全てのことで、成果を出して、周りより秀でないといけない、そうして自分の存在価値を示さないといけない、
そういうふうに気付けば努力が呪縛になっていきました。
頑張るほどまわりにすごいねって言ってもらえる、それがさらに私の呪縛を強くしていっていたと思います。
そして、完璧でいたいから、できない自分を見せるのが怖くて、
弱音を吐けなくなっていきました。
そして周りも近寄りがたいような人間になっていったと思います。
周りから見たら、勉強得意でスポーツもある程度できて、クラスの中心で(笑)友達もたくさんいて、すごいなあみたいな感じだったと思いますが、
なんとなくずっと周りに競争心を抱いていて、
それは周りに伝わっていたんじゃないかなと思います。
高校に入ったのが、人生の2個目の転機です。
私の高校は、文字通り文武両道、
中学とは比べ物にならないくらいハイレベルな勉強と行事と自主自立、
そしてそれを体現していくポテンシャルまみれの同級生たち、
高校に入って受けた衝撃は今でも覚えています。
私が憧れる生徒の形、青春の形がそこにはあって、毎日目の前のことにまわりのみんなと全力になりながら、
燃えるように日々を過ごしていました笑
でも、そうやって自分自身が努力することに磨きがかかる分、
人に努力を求める感覚もどんどん鋭くなっていって、
部活とかで周りを傷つけることもたくさんあったし、
ハイレベルなみんなの中で優等生であり続けるには、ハイレベルな結果と努力が必要で、
努力してもおもうようにならず、劣等感も抱くようになりました。
劣等感といっても、自分が自分に課したイメージを達成できずに勝手に劣等感を感じていただけで、
周りからは褒めてもらえることが多かったし、先生方からも一目おいてもらえていたみたいです笑
高校は酸いも甘いも、とにかく青春そのもので、私の人格の大きな部分を作ってくれました。
ただ、文武両道に全てを頑張るのが正しい人間の在り方、みたいな空気感がすごくて、
無駄を過ごしちゃいけない、常に努力しないといけない、結果を残さないといけない、そうしないと将来生き残っていけない、
なんかそんなふうに感じるようになってしまいました。
まあ単純に、努力している自分が好きみたいなところはあったんですが、
常に自分を律していたし、それが当たり前で正しいことだと思っていました。
まあそんなふうに生きていればいつかおかしくなるわけで、
高校1年生で睡眠障害を発症しました。
睡眠障害については別の記事でしっかり書こうと思いますが、
私のメンタルをさらに狂わせていきました。
そして受験を乗り越えて、第一志望の国立大学に入学しました。
ここまで振り返ってみると、高校受験も大学受験も滑り止めまで全部合格して、音楽でも芸術でもある程度評価されて、リーダーみたいなことにたくさんチャレンジして、あんまり大きな挫折なく生きてきました。
それがまた、私のプライドと、弱音を吐けない感覚をさらに強くしてしまったとも思います。
大学に入って、タスクの山だった高校から急に解放されました。
なにかに夢中になっていないと怖いとすら感じていた時、見つけたのがダンスでした。
高校時代ダンスは、努力しても上達できなくて苦い思い出があったんですが、
憧れが捨てきれずに、もう一度頑張ってみようと思いました。
そこからダンスにのめり込み、ひたすらレッスンや練習を重ねて、不器用ながらもどんどん成長していきました。
高校までは、努力することに焦点がいってしまっていたけど、
大学受験の勉強を通して、なにをするにもまず本質を見極めるようになって、
今何の練習が必要か、そういうことから考えられるようになっていたので、
大学に入ってからのダンスは、苦しいことはありながらも、着実に上達できたと思います。
そして単純にダンスが大好きで、
かっこいいダンサーを見ると、心の奥底からぞくぞくしてきて、
私もこうなりたい、そんな感覚が生まれるので、
そういう本能的なエナジーをガソリンに、夢中になれました。
だけど大学に入ってからは、なんというか、
いろんな自分の素直な感情を押しつぶして生きていました。
そうして摂食障害のような症状も発症しました。
なにもかもが思うように行かず、でも努力で乗り越えるという方法しか頭になく、睡眠障害摂食障害すらも、押し殺して力ずくで乗り越えようとしていました。
辛い苦しいということも人に言えず、ただ自分で絶望に浸っていたと思います。
それを紛らわすかのようにダンスに打ち込んでいた部分はあります。
留学に来たら、この自分の中でねじりにねじれた感情をほどけるきっかけになるんじゃないか、もっと生きやすくなれるんじゃないか、と思って、
留学を決意した部分もありました。
そうして留学に来て、こんなふうに遊び心なくガチガチに縛って生きてきて、なんでも努力で乗り越えるみたいな感覚を持って、優等生としてプライドも持って生きてきた私にとっては、
自分にとって衝撃的なことの連続で、自分の良くなかった部分を正面から見つめ直す機会の連続で、
メンタルがおかしくなりそうな時もありました笑
でも、本当に大切な経験になっていると思うし、
これを乗り越えたからこそ、自分自身に正直に、自分自身が幸せに、そして他人も幸せにできる、
そういう人間に近づけていると思います。
この後の記事で、もうちょっと深い部分に踏み込んでいきたいと思います。