4. 用事は済んだか
「あなたは助手席に乗って。」
工場まで乗ってきたイシアの車に戻る時、私は先に運転席に座って、イシアを助手席に座らせた。ビルを見下ろす高さを飛び始めると、イシアは靴を脱いでダッシュボードに足を乗せた。私は、少し咎めるように言った。
「ずいぶんなくつろぎ方ね。」
「もう疲れたよー!今日一日ブーツ履いて足使ってるし、休みたい。」
イシアはうんざりしたように、椅子を倒して伸びをした。足元には、焦げ茶の使い込まれたロングブーツが力なく横たわっている。私は苦笑した。
「そうよね。悪かったわ。急に頼んでしまって。」
イシアは天井を見ながら言った。
「いいよ。私いないと、話聞いてもらえないんでしょ?」
あの工場長は、私が一人で話をすると、大抵途中からすべて拒否されてしまう。でもイシアがいると、不思議と話を聞いてもらえる。
「そうなのよ。なんか、いつも話が纏まりにくくて。助かったわ。」
「いいんだよー。それに私も、設計図漁れたし。」
私が話している間、イシアが横で広げられている設計図を勝手に物色しているのが見えていた。横目でちらりとイシアの表情を見てみた。
「何か、良い物はあったのかしら?」
「うーん。ま、参考にはなったかな~。」
シートでくつろぐイシアは、気持ちよさそうな顔で目を閉じている。車窓から見える外の窓や、外壁を伝う大小のパイプが西日に照らされ、キラキラと反射して眩しい。私は目を細めた。
「ふふっ。そう。」
~~~~~
イシアの家のガレージに車を停めて、私は外に出た。
「それじゃ、私は帰るわね。今日はお疲れさま。それと、おめでとう。」
「ありがとう!またねー!」
シャッターが降り始めるのを見て、私は予定通り帰ることにした。空を見ると日が傾き、赤く染まり始めている。踵を返して駅へ向かおうとすると、前から楽し気に話している二人組がやって来た。
「あら。こんばんは。」
「あ。ナターシャちゃ〜ん!こんばんは~。イシアちゃんは、もうお家に帰った?」
手ぶらなフィフィと、大きな買い物袋を両手で抱えたブラスターに会った。ブラスターはじっと私を見ている。
「ええ。さっきガレージに車を停めたから、帰っているはずよ。」
「よかった!このあと、今日のお祝いしたいんだ~。」
「そう。いいわね。」
「イシアちゃん、多分今日は疲れて、いつも以上に何も食べないと思って。ね。ブラスター。」
「ああ。どうせ帰って、そのまま寝てるんじゃねぇか。」
イシアは蒸気機関いじり以外は無頓着で、食べることに関しても無頓着だ。簡単に想像できる。私は頷いた。すると、頭の中でピピピッと電子音が鳴った。私は小さく手を振った。
「それじゃ、私は行くわね。楽しんで。」
「うん。またね〜。」
フィフィはふわふわの手袋の手をゆらゆらと振り、再び歩き出した。
私も再び駅に向かいながら、頭の中で通知を読んだ。
〈列車乗車予定 時刻確認〉
ダイヤを確認すると、今いる位置からなら余裕を持って向かえそうだ。
~~~~~
フィフィがイシアの家のブザーを鳴らすと、しばらくしてゆっくりとイシアが顔を出した。
「こんばんは!寝てた…みたいだね。」
「ううん。まだ寝ようとしてたとこ。」
イシアは目を細めてふんわりと欠伸をした。ブラスターが眉をひそめる。
「よくそのまま寝られるな。とりあえず入れてくれ。」
「うん。いいよ。」
大きく開いた扉を通って、二人は家に入った。
食材や飲み物、お菓子をテーブルに広げると、フィフィは食材を持ってキッチンに立った。ブラスターは飲み物を冷蔵庫にしまって、ソファに座る眠そうなイシアの前に立った。
「お前、風呂入れよ。」
イシアは首を振った。
「眠いならなんか飲み物飲んだらどうだ?」
イシアは頷いた。動く様子がないのを見て、ブラスターは何が欲しいのか聞いた。
「アイスココア。」
「粉あんのか?」
イシアは頷いた。イシアの家には、好物のココアの粉が大量にある。仕方ないな、とリビングの棚から粉とコップを取り出して、ブラスターは水と氷でアイスココアを作った。それを一気に飲み干したイシアはコップを返して、ゆっくりと風呂へ向った。
〜〜〜〜〜
日がすっかり暮れた頃には、三人はパーティをしていた。席を並べたイシアとフィフィは、レースを見に来れなかった向かいのブラスターに、今日の内容を話していた。風が穏やかだったけど雲が少なくて太陽が嫌だったとか、イシアは相変わらずカーブと直線が強くてやっぱり追い抜きようがないとか、フィフィがいつの間にかイシアの大技ができるようになっていて追いついてきたとか、そんな話をブラスターは楽しそうに聞いていた。
話はそれからレースの後の話題になった。
「今日はね…レースが終わってガレージに戻ったら、ナターシャが来てたよ!」
「来てたねぇ~。」
「でも今日は工場行く用事があって来てたんだって。」
サプライズをするように話し始めて、がっかりさせようとしたイシアに、フィフィはニコニコして頷いた。ブラスターはイシアの動きを最初から見ずに、ピザを取って食べた。
「ふうん。それで、おまえを連れていったのか?」
「ふぅんふぅん。ほぉ。」
イシアは唐揚げを頬張りながら頷いた。そこでブラスターは思い出した。
「そうだ。それでお前が家にいなかったから、渡せなかったんだよな。」
「あ〜そうだったね。お金、返さないとね〜。」
眉をひそめたブラスターがフィフィを見る。イシアは思い出したような反応をして唐揚げを食べきると、一つずつ指で数え始めた。
「今回は大型のバルブと、ダメにしてた熱源は珍しいものだったからー、それを含めるとーええと…」
「あーあーあー。ほら。金額は覚えてっからよ。これ。」
イシアがぶつぶつ計算するのを遮って、ブラスターがジャケットからドシャッと重そうな巾着を置いた。巾着の膨れ方を見てちょっと目を丸くしたイシアが、中身を開いて覗き込んだ。
「どれどれー?うーん…一旦貰っとく!」
イシアは紐を閉じて席を立った。二階の自室に持って行く姿を目で追っていたフィフィが、ブラスターに視線を向けた。
「ちゃんと入ってるの?」
「は?」
「金額。」
疑いのまなざしを見て、ブラスターは仰け反った。
「バカ言うなよ。入ってる。誤魔化したりしねぇよ!」
「そっか〜。もうそんな昔みたいなことはしないよねぇ〜。」
「昔も金額を誤魔化したりはしなかったと思うぜ…。」
そうだっけ?とフィフィが首を傾げていると、元気よくイシアが降りてきた。
「はい!領収書!」
「金額合ってたか?」
「うん。合ってたよ。」
イシアの手から、ブラスターが意気揚々と領収書を引っ手繰る。
「ほらな!合ってただろ!俺はこういうところはしっかりやるんだよ!」
「う〜ん。そっか〜。」
腑に落ちない表情のフィフィを、ブラスターがニヤニヤしながら見下ろした。
「どうしたの?しっかりって?」
きょとんとしているイシアに、ブラスターが説明する。
「フィフィがよ、俺が支払うカネ誤魔化してないかって疑うから、俺はカネのやり取りはきちんとするんだって、今証明してやったんだ。」
イシアは腕組みをして少し考える仕草をした。
「お金のやり取りをきちんとする…かぁ。うーん……どこが?支払い、延ばしてたのに??」
ブラスターのため息の後、沈黙が訪れた。
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