2019年の小野二郎(メモ①)
週末から夏みたいな天気が続いている。暑さにからだが慣れていなくて、とても疲れる。今日は湿度も高く、ついに冷房をつけてしまった。
まだ5月なのに… と思うが、よく考えたら、故郷・鹿児島では、この季節に帰省するともう冷房をつけて過ごしていたなぁと思い出した。
ぼくは4月末〜5月初めの10連休でそれなりに働いたせいか、5月末は仕事が減って、家にいる時間が増えている。
日々の仕事だけではない。
書いたり、読んだり、本をつくったりという仕事が、ぼくにはいちおう、ある。それは、仕事というより、活動というか、運動だ。
"出版"には、運動という側面が色濃くあると思っている。
でも、なんだかいま、この時代に、この社会では、出版を運動などと言ってもほとんど通じないような気がしている。"娯楽"の色合いが濃くなりすぎていて。しかし、あったりめーだが、出版とはそれだけではないのである。
運動というと、政治が思い出されるかもしれない。しかし人の生活にとって、動いていなければならないのは政治(と経済)だけではないのである。
そんなことを考えたのは、小野二郎の本をいくつか読み返していたからだ。
世田谷美術館で、「ある編集者のユートピア 小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校」という企画展をやっている。
ぼくは始まった頃に観に行って、その後も買ってきた図録を繰り返し読んでいる。
この図録は、展覧会とは別に、小野二郎という「人」の全貌に迫る読み物としてしっかりつくられていて、興味がある人には永久保存版になるかもしれない。
展覧会と図録を通して、ウィリアム・モリスの研究者として、さまざまな本の編集者(とくに企画者)として、晶文社の創設時のリーダーとして、教育者として、思想家として──52歳で突然、亡くなった小野の"未完の仕事"の、その先まで見ようとしている。
会場にも、図録にも、いろいろな人のことばや文章がある。彼らのことばに触れていると、小野はいまだに死んでいない、というような気がする。その「人」ひとりひとりが小野の"作品"だからだ。
この「道草のススメ」は、毎日、書きなぐっているメモみたいなものなので、まとまった文章にはならないが、これから数日かけて小野二郎にかんする覚書ていどのことを書いてみよう。
(つづく)
「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、5月27日。今日は、毎年この季節になると咲く花の話。
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